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大地が揺れ、河面は波打ち、風が荒れ狂う。
無尽蔵に溢れる魔力を纏ったルティウスは、ゆっくりとオストラに向かって歩き出す。深海を思わせる蒼い瞳は黄金に輝き、何も持たなかったはずの手には、一振の光り輝く剣の形があった。
魔力で形成されたその剣からは炎が立ち上り、軽く振り上げるだけで放たれた炎の斬撃は海竜の黒い鱗を貫くと、巨体を満遍なく覆う程に燃え広がった。
人智を超えた炎は消える事なく、海竜を焼いていく。尚も歩みを止めないルティウスがもう一度剣を振り下ろすと、荒れ狂う風が放たれ海竜を飲み込む竜巻と化していく。
尋常ではない威力の多重攻撃を浴びた海竜オストラは呻きながら崩れ落ち、溜められていたブレスの魔力も既に霧散している。苦痛に歪んだ表情の奥で、憤怒の色に染った赤い瞳がルティウスへと向けられた。
先に消すべきは、こいつだ……そんな殺意と敵意が、ルティウスただ一人へと集中した。
予想だにしていなかった事態に、レヴィもまた動揺している。竜神の視界には、有り得ない現象が視えていた。
モア跡地で起きた、世界の根源との接続。それが再びルティウスに起きていた。水脈や地脈だけではなく、風脈までもがルティウスと繋がっている。まるで世界そのものが、彼の望みを叶えようと力を与えているかのように…。
しかしルティウス本人の意識は鮮明に保たれていた。心の中は全てを守るという願いのままに、だが頭の中は冷静に、自然とその力を振るえている。
ブレスを諦めたオストラが鋭い爪を振りかざし、ルティウスへと狙いを定めて腕を振り下ろす。小柄な身体を引き裂こうと迫るが、その身へ届く前にたった一薙ぎで打ち払う。レヴィさえも傷付けたその爪は、呆気ないほど容易く砕け散っていた。
「ソレだろ……レヴィを、傷付けたのは!」
大切な者に怪我を負わされた怒りを乗せて、光り輝く剣を両手で振り上げる。剣先で地面をなぞれば、軌道の直線上で棘のように隆起した大地が海竜の巨体を貫き、身動きを封じていた。
既に満身創痍のオストラを尚も睨み付けるルティウスは、治まらない怒りのままに攻撃を繰り返そうとする。しかしその手は止まり、翼を羽搏かせて傍へと戻ってくるレヴィの姿を見上げていた。
「……ルティ、そのくらいにしておけ!これ以上はお前の身体が保たない!」
今もルティウスは根源との接続を維持している。人間の身体がその負荷に耐えられるはずはない。まして三属性との接続など、その瞬間に肉体が崩壊してもおかしくなかった。
「……大丈夫だよ、レヴィ」
不安そうなレヴィへと、ルティウスは微笑みかける。モアの時のように力が抜ける感覚もない。むしろ溢れ過ぎていて困るほど。今なら、レヴィの隣に立っても足手まといにはならない。並んで一緒に戦える。そんな自信が沸き起こっていたから。
「駄目だ、その力は危険すぎる!」
どうにかしてルティウスを説き伏せようとするが、その間も無く魔力の集束を感知し、警戒態勢を取るしか無くなる。
燃え続ける炎に包まれたまま放たれた水のブレスが、辺りの瓦礫を薙ぎ払いながら二人へと迫る。しかしオストラのブレスは、大きく隆起した分厚い岩の壁に阻まれ二人を傷付ける事はなかった。
「お待たせぇ!フィデス様、参上!」
すっかり耳に馴染んだ明るい声が上空から響き渡る。背中に翼を携え、黄金色の角を生やした竜神の少女は、その手に見覚えのある物を持っていた。
「ルティ君、お届け物だよっ!」
上の兄サルースから授けられたルティウスの剣。それを視認した直後、右手に握っていた光の塊は空気へと溶けるように消失し、代わりに空からルティウス目掛けて投げられた剣をその手で受け止める。手に馴染んだ柄の感触は、その表情に笑みを浮かべさせていた。
「……レヴィ」
鞘から剣を引き抜き、溢れ続ける魔力をそのまま纏わせていく。青白い光を帯びたその輝きは、レヴィが持つ槍と同じ色をしていた。
「一人で戦おうとするな!俺もいるんだよ!」
かつての防衛戦は、レヴィが単独でオストラを撃退した。仕留め切れず撃退に終わったのは、単独では倒し切れなかったから。そして……一縷の躊躇を抱いてしまったから。
「俺なんかじゃ頼りないかもしれないけどな…」
少しだけ拗ねたように視線を外し、未だ殺気を放ち続けている海竜へと向き直る。両手で剣を構えるルティウスを目の当たりにして、レヴィは額を押さえて項垂れた。
「……お前は……どれだけ頑固なんだ…」
言う事を聞かなすぎる少年は、共に戦う強固な決意を抱いている。笑えるほど手に負えなくて…だからこそ頼もしくもあり、戦場に在りながら、自然と笑みが浮かんでしまう。
「後でどうなっても知らんぞ?」
「どうにもならないよ!」
それ以上の言葉など要らなかった。二人は同時に動き、地上ではルティウスが、上空からレヴィがオストラへと向かう。飛ぶ事が出来ないルティウスの足場は、後方に控えるフィデスの力で生成された。隆起させた地面が階段状に連なり巨大な海竜への道を作り出した。
「そうだ~!テラピアちゃんから伝言!」
縦横無尽に飛び回り二人の援護をするフィデスが、唐突に叫んだ。視線を外す事なく意識だけを向けて受け取った伝言に、二人の緊張感が崩れそうになる。
「街の復興は気にせず、思う存分やっちゃってください…だってさ!」
暴れ狂うオストラの攻撃をかわしながら、それでもルティウスは笑う。
「それ…後から本当に怖いやつだろ…」
既に周囲…本来なら渡し船が停泊する港の位置だが、オストラの攻撃によって無残に崩壊していた。復興どころか西へ渡る船の運航再開すらいつになるかわからない有様に、緩みかけていた怒りを再燃させる。
「お前の、せいでぇ!」
フィデスによって作られた足場を蹴り、高く跳んで勢いのままに剣を振り下ろす。魔力を纏った斬撃は翼の一枚を切断するに至った。タイミングを合わせるように槍を振るうレヴィの一閃もまた、海竜の顔面へと直撃し片目を潰す結果となった。
既にルティウスは、自身が女性の服を着ている事も忘れて駆け回っている。そして忘れてはいない竜神達は、ルティウスの姿を視界に映して同じ事を思っていた。
「「はしたない…」」
既に民衆は自警団の誘導によって避難を終えている。この場に人が残っていなくて良かったと安堵するフィデスと、スカートの中を見られたらどうするつもりだ…と頭を悩ませる父親然としたレヴィが、しかし笑みを浮かべながら宙を舞い続ける。
援護に徹していたフィデスもまた、戦闘能力が無いわけではない。ルティウスへと渡った腕輪に嵌められている聖石を通じて魔力を借り、瓦礫の中から生み出した無数の石を尖らせてはオストラへと放っている。単独ではどう足掻いても足止めすら叶わない相手だが、三人の力が合わされば十分に戦えた。
いつしか、海竜オストラは瀕死の状態にまで弱っている。これ以上派手な攻撃を仕掛けてくる心配は無いだろう…そう考えるルティウスだが、オストラの事を良く知るレヴィだけは警戒を緩めていない。
そしてレヴィの懸念は的中する。




