0049
「…ちっ!」
遠ざけたはずのルティウスが戻りつつある事に気付けないほど、レヴィは苦戦を強いられていた。
使える魔力は無いに等しく、乱発される攻撃を回避するばかりで接近の隙を見つけ出すのは容易ではなかった。幾度も肉薄し急所を狙って槍を繰り出すも、翼や腕に弾かれて届きはしない。吹き飛ばされて着地してからも、体勢を整える間もなく襲い掛かる氷の刃は雨のように降り注ぎ、全てを弾こうとするが幾つかは肌を掠め始めていた。
まだ体力を消耗したわけではない。だが徐々に動きが鈍り始めているとレヴィは自覚している。
「傷のせいか…」
それほど痛みを感じる怪我ではない。回避のため動き回りながらも、捌き切れずに被弾した箇所を気にしてみれば、確かに血が流れていた。
その時、レヴィの視界に在ってはならない者が映り込む。逃げ遅れたであろう住民の子供が、オストラの攻撃で崩れ落ちた建物の陰で声も出せずに怯えていた。
人間を憎悪するオストラが、その気配に気付かないはずもない。濁った紅い瞳は、レヴィの視線の先を追いうように動き子供の姿を視認してしまう。振り上げられた腕が幼子を引き裂こうと、ぎらつく爪を向けていた。
誰かを庇う余裕など無い。本来の姿でもなければ、竜の巨体から振り下ろされる腕を止めるには代償を伴う。けれど見殺しには出来なかった。
強く地面を蹴り、槍を構えながら飛び込む。間一髪のところで食い止める事は叶い、背後で怯える子供は表情に恐怖を滲ませてはいるが、傷一つなく無事だった。
「さっさと…逃げろ…」
振り返る事は出来ず、背を向けたまま幼子へ声を掛ける。よろよろと立ち上がって走り去る足音を聞きながら、レヴィは苦悶の表情を浮かべていた。
「ッ、ぐ…」
前方へ突き出した槍で受け止め、オストラの攻撃そのものを防ぐ事は出来た。しかし長く鋭い爪はレヴィの左肩へと深く喰い込み、白い衣を赤く染めていく。
尚も力が加えられ、そのままレヴィを圧し潰さんとするオストラの腕をやがて支え切れなくなる。地面に膝を着いてしまい、同時に肩の傷も深まっていた。長年感じた事の無かった痛みによって、上からの圧を押し返せるほどの力は既に失われている。
守る事は出来た。ルティウスも、誰かも知らない幼子も。
今度は奪わせなかった…ただそれだけで、レヴィにとっては満足で…。
【ルティ……お前の事を、笑えないな…】
あの子が居なければ満足に戦えもしない己は、決して強者とは言えない。強くなりたいと願った少年を偉そうに指導していても、自分はこの体たらく。
「ぐっ……ぅ……」
このまま押し負ければ、この身体は引き裂かれるだろう。今度こそオストラに敗れるのか…と、諦観が心に広がりかけていたその時、急激にレヴィの身体へ力が戻り始めた。
膨大な魔力がレヴィへと流れ込み、魔法の発動が可能となる。瞬時に結界を展開させ、握り締めた槍に魔力を込めると渾身の力でオストラの腕を押し返した。
突然の反撃に体勢を崩したオストラは、動揺しているのか僅かに動きが止まっている。その隙にレヴィは魔力の出所を探るが、付近に彼の気配は感じられなかった。
どれだけ遠くても、姿は見えなくても、わからないはずが無い。こんなにも優しく膨大な魔力を流せる者など、一人しか居ないのだから。
「…ルティ、何故…戻ってきた……」
オストラとの確執に巻き込みたくなかった。そのためにリーベルに預けて遠ざけた。しかしルティウスは、おそらく本人の意思で戻ってきてしまったのだろう。何も伝えなかったが故に、レヴィの身を案じた優しい少年が…。
けれど同時に、とてつもない安心感がレヴィの心中に満ちる。ルティウスがいる事で諦観は消え去り、勝てると思えるほどの魔力が全身を駆け巡る。
数千という年月を生きる古の竜は初めて、誰かと共に戦う安心を知った。
「レヴィ!」
ルティウスの声は確かに届いた。戦うための魔力と、彼を守りたいという強い想いと共に。
「存分に使え、俺の魔力を!」
聖石を握り締めて、全ての力を注ぎ込むつもりでレヴィへと魔力を送り込む。その瞬間、レヴィの背に四翼が現れ、頭にも角が出現する。力強く羽搏かせて空へと昇り、全身に水の魔力を纏わせる水神の本領が発揮されようとしていた。
眼前で力の解放が起こった事により、オストラの赤い瞳がレヴィへと向けられる。幾度もレヴィに傷を与えた氷の刃が生み出され、高速で飛翔するレヴィへと向かう。だが槍の一振りだけでそれらは砕かれ、身体に届く事はない。流れるような動作で振るわれた槍の一閃はそれまでとは段違いの威力を有し、黒く淀んだ鱗ごと体表を斬り裂いた。
傷付けられた事で、ベラニス中へ響き渡るほどの咆哮と共に怒りを露わにするオストラは、尚も攻撃の手を緩めようとはしない。大河から寄り集めた水の奔流を操り、そこから無数の礫を噴射させた。
避け切れない…そう感じて方向を変えようとするが、その必要は無かった。レヴィへと着弾する前に、オストラの攻撃は全てが結界によって防がれている。
ちらりと視線を向ければ、地上から上空に向けて手を掲げるルティウスの姿が見えた。
「全部弾き落とす!だからレヴィは、攻撃に専念しろ!」
たった一言叫んだルティウスの言葉通り、レヴィの周囲には対オストラ用の防御結界が展開されている。
本来、常時展開が可能な魔法ではない。けれど魔法が途切れる事は無く、飛翔するレヴィへと向かう攻撃は一つとして身体を掠る事も無かった。
防御と回避を捨てて攻撃のためだけに力を溜められる…それは単独では叶わなかった事。ルティウスの守護を受けたレヴィは、竜神の名に相応しい一撃を放つため力を溜め始める。
しかしその隙を狙って、尚もオストラは攻撃を繰り返す。振り回された腕と翼による単純な物理攻撃は結界を貫き、レヴィへと届いてしまう。槍を振るって受け流しても、竜の巨体による一撃は重く魔力の集束を阻害していた。
「レヴィ……っ!」
衝撃により地上へ吹き飛ばされたレヴィの身体は、ルティウスが魔法と自分の身体を駆使して受け止める。自分より大柄なレヴィを必死に支えようとするが、その瞬間にルティウスは気付いた。いつも自分を守ってくれていた竜神の身体から、大量の血が流れている事に。
「レヴィ…何だよ、この怪我…!」
「平気だ……それより、何故戻ってきた!」
「どこが平気なんだよ、この馬鹿!俺が戻らなかったら……あんたは……」
「……ッ!避けろ!」
強い力で突き飛ばされたルティウスは、咄嗟にレヴィへの結界を多重発動させていた。視界の端に、迫り来る海竜の爪が見えていたからだ。
今度は魔法だけではなく、物理攻撃に特化させた結界。そのおかげでレヴィはさらなる負傷を免れ、反撃に岩をも穿つ威力を誇る水刃を打ち出した。既に損傷の激しい翼へと直撃し、飛竜種でもあるオストラの飛翔能力を完全に奪っていた。
その光景を見逃していないルティウスは、突き飛ばされて地面に倒れるも即座に起き上がりレヴィの元へと戻る。深く抉られた左肩の傷を見て表情を顰めるが、目を逸らす事なく手を翳し治癒魔法を掛けていった。
稽古の時には息一つ乱さなかったレヴィが、呼吸を荒くしている。言ってやりたいたい事は山程あったが、今は傷を治すのが先と割り切って魔法に集中した。
「見たら…わかるだろう?私でさえ、この有様だ……早くここから逃げろ……」
「嫌だ……」
「……我儘を言うな」
「絶対に嫌だ!」
治癒魔法を掛け続けながらルティウスは叫んだ。
ここで自分が離脱してしまえば、もう二度とレヴィと話せなくなる…そんな予感がしていたから。
「あんたを置いて逃げるくらいなら、ここで死んだ方がマシだ!」
「………ルティ」
少しずつ傷は塞がりつつあるものの、快癒にはまだ遠い。翼を破壊されよろめく海竜が暴れ始める前に治してやりたい…その一心で魔法に注力するが、治癒の専門ではないため上手くは行かない。ここにテラピアがいれば…と考えるが、こんな危地に連れてくる訳にもいかない。今出来る事に全力を出すしかなかった。
しかし無情にも、海竜は既によろめかせた体勢を戻し、二人を見下ろしている。不慣れな回復魔法と並行して結界を張れる余裕はなく、攻撃が来てしまえば防ぎ切れる自信はない。
開かれた口の奥から、禍々しい魔力の集束を感じ鳥肌が立った。竜族特有のブレスが放たれようとしている事を察したレヴィはルティウスの手を振り払って立ち上がり、槍を構える。魔法とも物理とも異なるそれは、結界魔法如きで防げるものではない。
「ルティ、お前は…………お前だけは、殺させない!」
「……レヴィ、待って!」
翼を羽搏かせて再び飛翔したレヴィは、そのまま街とは反対の、何も無い大河の上へと飛んでいく。その姿を追うように河へと向く海竜は、今にもブレスを放とうとしている。
ルティウスには解ってしまった。
どうしてレヴィが飛んで行ったのか。
街がこれ以上破壊されれば、避難したはずの民にも被害が及ぶ可能性がある。
それ以上にルティウスを死なせないため⋯その為だけに、自らを囮とするべく何も無い方向へ移動したのだと。
このままでは、レヴィが居なくなる…最悪の直感が働き、その瞬間にルティウスは、内に潜むその力を解き放っていた。




