0048
「…これでいい」
次第に遠く離れていくルティウスの気配に安堵し、直後には桁違いに膨大な魔力を撒き散らすかつての同胞へと視線を向ける。
海竜オストラ。
かつてレヴィが撃退した事のある海竜は、あの時よりも禍々しい魔力を纏わせて大河からその姿を現す。
「久しぶりだな、オストラ…」
懐かしむような相手ではない。だがそれでも同胞である事には変わらないオストラへ声を掛ける。あの時のように言葉は通じない。声が届いているとも思えない海竜は、黒く濁った鱗と焼け爛れた四翼を携えた、当時よりも痛々しい姿をしていた。
ルティウスを遠ざけたのは、この姿を見せたくなかったから。ある程度の距離を保っていなければ聖石を介した魔力の使用も出来ず、戦力としては心許ないどころか圧倒的に劣っている。どれだけ不利な状況を選ぶ事になろうとも『有り得たかもしれない己の姿』をあの少年の目には晒したくなかった。
これは、かつてやり残した自分自身の役目。そう割り切り、今にも仕掛けてきそうな紅い瞳をしたオストラへと槍を向ける。
魔力源でもあるルティウスが傍に居ない今、半竜の姿にも成る事は出来ない。だがそれでもここで食い止める…強い決意を抱いた神を冠する竜は、あの時出来なかった事を成す為に一歩を踏み出す。
既に周囲に人の姿はない。リーベル率いる自警団が避難させた後だろう。
陸へと身を乗り上げてきた飛べない竜は辺りの建造物など存在しないかのように薙ぎ倒し、レヴィを認識すると同時に無数の氷刃を発生させレヴィへと放つ。長い槍を回転させてその全てを弾き落とし、僅かに攻撃が止んだ隙を突いて地面を蹴り飛び上がる。
どれだけ損傷していようとも、目の前に居るのは本来のレヴィと同等の力を持つ古の竜。頭部目掛けて振り下ろした槍は大きな翼の羽搏きによって軌道を逸らされ、掠る事も叶わず後方へ飛び退く選択を余儀なくされた。
もう、ルティウスの魔力は遠くへ離れている。結界を展開するだけの魔力すら借りられない。一撃でも受ければ、死のない神であっても再起不能の傷を負う。そして自身に万が一の事があれば、ルティウスを悲しませる事になる…それだけは絶対に許せない。
慎重にならざるを得ない戦いがかなりの長期戦になると、レヴィは既に覚悟していた。
一方その頃。
河から遠く離れ屋敷に向かって走るリーベルと、その肩に担がれたままのルティウスは、未だに言い争いを続けていた。
「叔父様、降ろして下さい!レヴィを一人にしたらまずいんだって!」
「あぁもう、暴れんなって!落としたらどうすんだ!」
「落としてくれて結構です!レヴィが…レヴィの所に…戻らなきゃ!」
「剣も無いのにどうする気なんだよ?」
リーベルには、レヴィの意図がある程度予測出来ていた。
海竜との危険な戦闘からルティウスを遠ざける事、仮に参戦の意思を貫こうとしても、せめて戦える準備を整えさせる事。その時間稼ぎのために、レヴィが一人であの場に残った。一戦交えた事で彼の腕前を知るリーベルは、単独でも少しの間なら任せても大丈夫だろうと判断していた。
だがルティウスの抵抗に何故か違和感を覚えてしまう。誰よりもレヴィの強さを知っているだろうルティウスが、どうしてここまでレヴィの元へ戻りたがっているのか。
「ルティウス、即座に引き返さないって約束出来るなら、とりあえず降ろしてやる」
「わかったから!降ろしてよ!」
立ち止まったリーベルが、ゆっくりとルティウスの身体を降ろす。地面に立ったルティウスは走り出したいのを我慢して、視線だけを大河の方へと向ける。修繕が終わった首元の石へと指を触れさせ、まるで安否を窺うように魔力を込めていた。
「なあ、レヴィの強さならそんなに心配する事もないんじゃねえのか?」
「…そういう訳にはいかないんだ」
指先で触れた聖石からは、しっかりとした繋がりを感じる。大丈夫だと信じていても、不安は拭えない。出会ってからずっと傍に居た。ここまで離れてしまった事は今まで一度も無く、距離を隔てても魔力が供給されているのか定かではない以上、心配するなという方が無理な話だった。
それ以前に、魔力の消費を一切感じない。それは魔法を一切使われていない証であり、供給が絶たれているという事。魔力が無い状態でレヴィは一人戦っている…そう確信するのに時間は掛からなかった。
「…レヴィが力を使えるのは、俺が魔力を貸しているからなんだ!」
「……は?」
本当は明かすべきではないのかもしれない。甥を案じる叔父の気持ちを思えば、それはルティウスが自身を犠牲に捧げているようなもの。容認されないどころか、引き離されてしまいかねない。けれどルティウスは明かす事で、レヴィを一人にしてはいけないのだと説得を試みる。
「………そういう事かよ…あの野郎」
何かを考えている時の癖で頭を掻くリーベルを、少しだけ不安そうに見上げるルティウス。けれど意識はずっとレヴィが残る河の方へと向いているようで、度々視線を泳がせていた。
「なあ、ルティウス」
「…………」
「無茶だけはしないって、誓えるか?」
「…え?」
適当に答えてはいけないと直感が告げている。だがどう答えるかなど最初から決まっていた。
「…俺に何かあれば、レヴィが怒るから!」
無茶など出来ようはずもない。怪我の一つでも負えば、後からどれだけ叱られるか…その方が怖い。
ルティウスの答えを聞いたリーベルは口元を弧にして、にやりと笑みを浮かべる。
「ならいいだろう…屋敷はもうすぐそこだが、俺はお前の剣を取りに行く。ルティウスは先に戻ってレヴィを助けてやれ!」
立ち並ぶ家々の間から確かに見えている領主邸の屋根。視線だけをちらりと向けてから、強い意志を宿した蒼い瞳を見返し、細い肩を強く叩いた。叔父なりの激励と共に送り出されたルティウスは直後、今まで運ばれてきた道を戻るため走り出す。靴が慣れないなどと言っている場合ではない。
「待ってろよ、レヴィ!今…あんたを守りに行くから!」
少しでも早く彼に力を届けるため、走りながら首元の聖石へと魔力を込め続ける。せめて窮地ではない事を祈りつつ、轟音鳴り止まない戦場へと向かった。
その小さな後ろ姿を見届けたリーベルもまた、現ベラニウス家…元は自身の実家だった屋敷へと駆けて行く。
「姉さん…貴女の息子は、ちゃんと大事なものを見つけましたよ…」
本当は、叔父としてルティウスを引き取るつもりでいた。成長を見届けられなかった姉に代わって、彼を保護しようと。ベラニスへ到着し邂逅した直後には、その思いを抱いていた。
しかし無用な心配だった。甥は既に、自身で選び取っている。自分が共に在るべき相手と、その存在に対して自身がどう在るべきかという答えを。
ならば肉親として出来る事は、二人が悲しむ結末にならないよう支え、見守るだけ。その為にも今は走るしかない。二人を救うための剣を届ける、ただその目的のためだけに。
けれど彼らを案じる想いは、一つだけではなかった。
「おじさーん!」
屋敷の方向から聞こえた声に、視線を上空へと向ける。そこには背中に翼を携えた見慣れた少女の姿があった。
「フィデスちゃん?」
小さな竜神の少女は、既に目的の物を両腕に抱えて飛翔していた。
「ルティ君をここまで運んでくれてありがと!後はボクに任せて、オジサンは街の人を助けてあげて!」
停止する事なく、叫びながら飛び去っていく小さな竜神は、ルティウスを追うように河の方へと向かっていた。
これで戦況は整うだろう。そう確信した自警団の長もまた、元来た道を引き返し街の中心地へと走り出した。




