0044
「フィデスさん」
「なぁに?」
「ルティウス殿下は…………どなたかに似てらっしゃるのですね?」
フィデスから『あの事』について話した事は一度もない。けれどテラピアは何かに気付いていた。やはり人間の女性は鋭いな…と、フィデスは笑う。
「ボクから詳しくは言えないけど…そうだね、似てるんだ」
「……そうですか…………レヴィ様、今度は幸せになれると良いですね」
「……でも今は、ルティ『君』だからなぁ?」
「あはっ、そうでしたね」
ほんの少しの言葉だけで全てを察したテラピアは、心の中で祈った。
加護を与えし竜神とその神子に、幸多き未来があらん事を…と。
女性陣が去った事は、視界の端で見えていたから知っている。けれど一向に離してくれないレヴィの様子がおかしいと気付いたのは、それから少し経っての事。
振り解きたいと思えない程の切実さが、耳元に届く吐息から感じられた。こんなにも必死なレヴィは初めてで、どう声を掛ければいいのかと悩んでしまう。
どうにか動かせた腕を、レヴィの大きな背中へと伸ばしていく。宥めるようにその背を撫でていると、落ち着きを取り戻してきたのか抱き締める腕の力が少しずつ緩められていった。
「……大丈夫か、レヴィ?」
声を掛けながら、ルティウスはふと思い出す。初めて魔力を繋げた後、枯渇に陥った際に見た夢の記憶を。そしてクレーターの上空で聞かされたレヴィの過去と、眠る前に語った『聖女』の話。
確信は無くとも、全てが繋がったような気がした。そして今のレヴィが、どこか不安定である事も理解している。
「お…………俺が!美しすぎるからって!ち、調子に乗んなよ、レヴィ!」
下手に宥めようとしても上手く出来る自信はない。ならばいつものように…それがルティウスが辿り着いた答え。ゆっくりと身体が解放された所で顔を見上げると、深い悲嘆に染まった金色の瞳が真っ直ぐにルティウスを見下ろしてくる。
「レヴィ?」
「………………」
「しっかりしろ、この変態竜神!」
この時、レヴィが自分を見ていない事に気付いてしまった。ルティウスの中に、別の誰かを見出している…そう感じた時には既に、ルティウスは行動していた。
「俺を見ろ、この馬鹿!」
両手でレヴィの顔を強く叩き、至近距離で虚ろな瞳を見つめる。まるで睨むようにじっと視線を向けていると、やがて正気に戻ったレヴィはその瞳を細めてルティウスへの文句を口にする。
「痛いぞ……」
遠慮など無しに容赦なく叩いてしまったせいか、手を離すとレヴィの頬が少しだけ赤くなっていた。軽く擦りながらじろりと睨んでくるが、ルティウスは怯まない。
「あんたがおかしくなってたから、活を入れてやったんだよ!」
腰に手を当ててふんぞり返るように見上げていると、やがてレヴィは笑い始めた。ようやく元に戻ったようだと安心し、腕を伸ばして自分が叩いてしまった頬へ手を添える。得意ではないが、使えない訳ではない治癒の魔法をレヴィへと掛けていく。僅かに赤くなっていた肌は、すぐに元の白さを取り戻していた。
「そんなに、俺が可愛かったのか?」
あくまでもいつも通りに…を心掛けて接する。本当は訊きたい事があるけれど、今はそっとしておくべきだと思えた。
「……変態だの馬鹿だの言われていたがな。お前が可愛らしい事だけは認めよう」
「聞こえてたのかよ!」
「当たり前だ」
自分の声など届いていないと思っていた。だからこそ、言いたくもない悪口でレヴィを罵り、整った顔を叩いてまで自分へ向かせようとした。しかし声は届いてしまっていた。ほんの少しの後悔と罪悪感から背を向け、心配していた事を誤魔化すように不貞腐れた態度を取った。
けれど背後から、今度は優しく、温かな腕が伸ばされ引き寄せられる。
「気を使わせたな……」
「何の事だよ?」
「少しだけ話しておこうか…………私の事を」
「言いたくないんだろ?だったら無理に言わなくても……」
「モアの聖女…………」
たった一言で途切れた声。その先を言い淀んでいる事は明らかで、レヴィが話すのを躊躇うほどの何かがあったのだと容易に察せられた。
「だから…言わなくても……」
「ルティは……彼女にどこか似ている………」
「女顔だからね!似てる事も、あるかもな…」
「そうではない……」
いつもの甘やかす声から、真面目なものに変わったレヴィの話し声。背後から感じられる雰囲気の変化に顔を振り向かせようとするが、レヴィの表情はルティウスの肩口に埋められていて見えなかった。
「私も…ルティと同じだ。大切な者を……人に奪われた……」
全てを詳らかにした訳では無いのに、理解出来てしまう。母を殺されたルティウスと、きっと愛していたのだろう聖女を殺されたレヴィ。そしてそれが、モア消滅の引き金となった事件なのだと。
レヴィもまた悲しみを背負っているのだと知り、ルティウスが抱く決意は更に強固なものへと変わる。
「レヴィ……」
「………………」
「安心してよ。俺は、絶対に死なないから」
「……ルティ」
「だって、レヴィが守ってくれるんだろ?」
ただ守られるだけで甘んじてしまうつもりは無いけれど、この一言でレヴィが安心出来るならいくらでも紡ごう。
今度こそ腕を振り解き、レヴィへ向き直る。すっかり見慣れた金色の瞳は、もう揺らいでなどいなかった。
「…しかしその姿で何を言っても、可愛らしいとしか思えんな」
「うるさいよ!」
こんな他愛のない言い合いが、こんなにも楽しい。自分の一言で彼が笑ってくれるのが、こんなにも嬉しい。
八年前から閉ざし続けていた心の氷が、本当の意味で溶け始めているのだと、ルティウスが自覚するのはまだ先の話。




