0043
「なぁ、レヴィさんよ?」
「何だ」
広間に残された二人の保護者はしばらく沈黙していた。気まずい空気すら漂い始めた頃、静かな部屋の中で先に声を掛けたのはリーベル。
「…お前さん、本当に……何だってルティウスに付いてるんだ?」
リーベルには、最初から気になっていた事がある。何故、竜神というグラディオス帝国にとって主神に等しき存在が、たかが第三皇子の傍に在ろうとしているのか。隠された魂胆が潜んでいるのではと、甥を想う叔父としての意識がそれを問い詰めさせる。
「加護なら、即位に最も近いとされる第一皇子の方なんじゃないのかってな?」
しかしリーベルの懸念を、レヴィは単純な理由で一蹴する。
「私が出会ったのはルティであって、第一皇子など知らん」
千年もの長き渡り封印され、世界から隔絶されていたレヴィ。今の時代に於いてルティウス以外の人間と関わったのはそれこそリーベル達が初めてで、それ以外の人間には興味の欠片も無い。出会ったのがあの少年でなければこうして同行する事も無かった。そしてルティウス自身の芯の強さとひたむきさに心動かされたからこそ、共に在る事を決めた。彼の行く末を傍で見守り続けようと。
「俺の甥っ子は、神様たらしなのか?全く……」
溜め息を吐きながら、いつものように頭を搔くリーベルが諦めたように笑みを浮かべた。
「ま、いいけどよ。ただ、一つだけ約束しろ」
「何だ」
改まったように強められた語調。それは心から甥を案じるが故のもの。睨み付けるような鋭い目を向けて、レヴィへと警告する。
「ルティウスを、絶対に裏切るなよ?」
「当然だ」
そんな事は有り得ないと言わんばかりに断言するレヴィの声には、一欠片の迷いも躊躇いも感じない。任せても大丈夫と思える存在があの子の傍に居る、その事実にリーベルはようやく安堵の息を吐いた。
リーベルの言葉を受けて、レヴィは『有り得るかもしれない可能性』 について考えを巡らせていた。
既に友の裏切りを知るルティウスが、もう一度誰かに裏切られる事があればどうなるのか。立場と環境が許さず甘えられなかった子供は、ようやく他者に甘える事を覚え始めた。危うささえ感じるほど脆い心へ再びの裏切りという傷が加われば、二度と他人へ甘える事も頼る事も出来なくなるだろう。
ルティウスと関わる者は見定めなければいけない…レヴィは静かに、内心で決意していた。
そしてこれが後に語られる竜神の二つ名『過保護すぎる竜の保護者』が確立された瞬間でもあった。
***
別室へ移動してから数十分が経ち、ルティウスの準備が完了したと報せに現れたフィデスは満面の笑みで、待ち侘びていた男達へ告げる。
「お待たせ~!ルティ『ちゃん』、すんごい可愛く仕上がったよ~!」
おそらくテラピアとフィデスによって、着せ替え人形の如き仕打ちを受けたのだろうと予想するレヴィが立ち上がり、釣られてリーベルも席を立つ。
「さ、迎えに行ってあげてよ、レヴィ!」
「 え、レヴィだけか?俺は……?」
「おじさんには団長のお仕事~…」
扉の陰から顔を覗かせる、二人の男。初めて出会った時にも連れ立っていた二人の部下が、わざわざ領主邸までリーベルを迎えに来ていた。
「団長、そろそろ定例会議のお時間です」
ファムと呼ばれていた男が、腕組みをしてリーベルへと告げる。その目付きは鋭く、そして呆れたように長であるリーベルを睨み付けていた。
彼の視線は語っている⋯逃がさない、と。
「今日は非番じゃないですよね?何でサボってるんですか?」
ミレーと呼ばれていた小柄な男もまた、不機嫌な表情を浮かべてリーベルへ文句の台詞を吐いていた。少しだけ疲れた顔をしている事から、団長の不在によって仕事を押し付けられていたのだろうと予想がつく。
そんな二人の様子から、リーベルは空き時間にこの領主邸を訪れているという訳ではないのだろうと、やり取りを見守っていたレヴィは察していた。
「……はぁ~、ま、仕方ないか。レヴィ、後の事は頼んだぞ?」
何故か残念そうにするリーベルは、念を押すような忠言をレヴィに投げ掛けてから、仕事へ戻るべく二人の部下に引き摺られて屋敷から出て行った。
フィデスの案内でレヴィが訪れたのは、広間からすぐ斜め向かいにある部屋。魔力の位置からすぐ近くである事は分かっていたが、予想以上に近かった。
扉に手を掛けたフィデスは、けれどすぐに開けようとはしない。微かな苛立ちを見せれば返事も後回しにして動くフィデスが、今回ばかりはレヴィの圧に屈する事がなかった。怪訝に思い睨みつけようと瞳を細めるが、何故かフィデスから叱られる事になる。
「そんな怖い顔してちゃダメだよ!この先にいるのは、ルティ君なんだからね?」
表情についての指摘を受けて、レヴィも思い直したように目付きを元の柔らかな眼差しへと戻していく。頷いたフィデスがゆっくりと、扉を押し開けていき……。
レヴィは、言葉を失う。ようやく出てきたのは、本人なのかと問う一言だけ。
「…………ルティ、なのか?」
部屋の奥で、背を向けて立っている少女の後ろ姿。見覚えのある緋色の髪は結い上げられ、同じ色の付け毛によって長い髪を演出している。
脱いだ姿を見た時にも華奢だとは思っていたが、濃紺のドレスを纏った立ち姿はどこをどう見ても女性のもの。ゆったりとした膝丈のスカートからは黒いタイツに包まれた少しだけ筋肉質な足が伸び、濃い赤色で存在を主張するローヒールのショートブーツが目を引く。
「………………」
気配と魔力で、そこに居るのがルティウスだという事は分かっている。しかし姿が違うだけで、レヴィですら確信を持てなくなるほどの変貌ぶりに目を見開く。
「……わ、笑うなよ?」
聞こえてくる声もルティウスそのもの。ゆっくり歩いて近付くと、足音を聞いたルティウスも恐る恐るレヴィへと振り返る。テラピアによって化粧まで施されたその顔は、少年ではなく少女そのもので……。
「こ、こんな服……レヴィのためじゃなきゃ、着ないんだからな!」
【笑わないでね?こんな服……レヴィの前でしか着ないんだからね?】
脳内で弾けた『現在』と重なる記憶が、レヴィの身体を突き動かしていた。
「ちょっ、レヴィ?」
腕を引かれ、慣れない靴のせいで足元が不安定なルティウスは倒れ込み、そのままレヴィの両腕の中に包まれていた。今まで抱き締められた時よりも強く、けれど優しく、そしてどこか必死さが伝わってきて振り解けない。
わぁ…と微かな驚きの声を上げるテラピアの隣では、全てを知るフィデスが二人を見守っている。
「さ、レヴィに堪能させてあげよ?」
「……そうですね」
温かな眼差しを向けた後、フィデスに促されたテラピアも静かに部屋から出て行った。




