0041
その後二人は、ルティウスの懇願もあり中庭での特訓を始める事になった。レヴィが魔法で創り出した剣を渡され、腕前を直接確かめるためと実戦形式での打ち合いを行う。
確かに筋は悪くない。相手を撹乱出来るだけの剣速もある。だがそれは『普通の人間』相手ならばの話。卓越した実力者や異名を冠する程の者となれば、通じないのは道理。ルティウスの剣は、良くも悪くも綺麗過ぎた。これではリーベルに敵うわけがないと、レヴィも納得する。
「……全然、当たらない…」
息を切らせて地面に座り込むルティウスは、涼しい顔をしているレヴィをじっと見上げる。
一撃入れるまで打ち込めと言ったのはレヴィ。その言葉に応えるように何度も、あらゆる動きで剣を振った。しかしその全てが容易く受け止められ、剣先を服の端に掠める事さえ出来なかった。
その間、一切の魔法を使っていない事もわかっている。何故ならあの聖石は現在、レヴィに返しているからだ。
「お前は無駄な動きが多い」
皇子としての育ち故か、母譲りのためか、ルティウスは体力がある訳ではない。打ち合う度に乱れていく呼吸から、長期戦に耐えうる体力が無い事はレヴィも察していた。ならば尚更、最低限の動きというものを身に付けさせる必要がある。
「この程度で息切れを起こすのなら、体力を消耗しない立ち回りを覚えろ」
そのためには、今ここで疲労困憊のルティウスを休ませる訳にはいかない。無理はさせたくないが、今後のためにも必要と割り切り、座り込んでいるルティウスの腕を掴んで強引に立ち上がらせた。
「立て」
いつも甘やかすレヴィらしくない、厳しい声が頭上から降り注ぐ。だがルティウスの心は折れていない。身体は付いてこなくても、心にはまだ闘志の炎が燃え盛っている。
「疲れているその身体で、いかに無理なく動けるか…その感覚を掴めれば通常時にも活きる」
「………わかった」
瞳に宿る強い意志。強くなりたいと願う少年のひたむきな眼差しに、レヴィは微笑み、槍を構え直す事で応える。
「さぁ、来い」
それから日が暮れ始める頃まで、レヴィによる指導は続けられた。どんなに倒れても諦めずに剣を構え、師と仰ぐレヴィの隙を突こうと剣を握り打ち込み続けた。だが結局は、一度も剣を触れさせる事すら叶わないまま限界を迎え、ぐらりと身体が傾いていく。だが倒れるよりも早くレヴィに抱き留められ、ゆっくり地面へと座らされた。
「……レヴィ………当たん、ない………」
既に声も掠れている。本当に限界なのだろうと察したレヴィがルティウスを運ぼうするが、しかしルティウスは笑っていた。
「…でも……なんか、楽しい…」
「それならば良かった」
貸し与えていた剣と自身の槍をまとめて空気中へと霧散させ、動けなくなっている身体を抱きかかえる。まずは休ませるべきだと判断し部屋へ向かう途中に、ルティウスはぽつりと語った。
「俺……騎士団の中で、剣を教わったけどさ…みんな、俺が皇子だから……こんなに本気で、相手をしてくれる人…居なかったんだ」
「皇族というのも、不便なものだな」
「ははっ…そう、かもね…」
乾いた笑い声に、そっと視線を落とす。確かに笑みを浮かべているが、表情はどこか歪だった。笑っていても何かを堪えるように唇を噛み締め、そして次第に笑顔は崩れていく。
「………悔しい」
両手で顔を覆い、絞り出された震える声。
「こんなに……レヴィが、見てくれてるのに……結果が、何も……」
向けられた期待への成果が出せなかった事を悔やみ、ルティウスは押し殺すように泣いていた。だが当のレヴィは、さして気にしていない。何故なら、まだ指導を始めたばかり。まだ初日なのだから。
「最初から全てが出来る者など、そう居ない」
歩きながら、腕の中で悔しげに身体を震わせる少年へ優しく告げる。
「今日の経験は、明日に活かせば良いだけだ」
「………………」
返事は無い。だがルティウスには伝わっている。そう確信出来たのは、僅かに垣間見えた瞳が全く諦めの色をしていなかったから。
部屋へ戻った後、ベッドへルティウスを下ろしたレヴィは何も言わずにどこかへ立ち去り、やがて何かを持って再び戻ってきた。その手にはルティウスの夕食が乗せられたトレーがあった。まるで給仕のように世話を焼こうとするレヴィに笑ってしまう。
「神様なのに、何でそんな事まで…」
「私はお前の『保護者』らしいからな。子供の面倒を見るのは当然だろう」
「だから子供じゃ……もう、いいよ…」
ふらつきながらもテーブルへと移動し食事を摂るルティウスの傍で、レヴィは腕を組み何か考え込む素振りを見せていた。今後の特訓プランか、或いは海竜の動向を探知しようとしているのか。食べながら時折視線を向けるが、レヴィの様子は変わらなかった。
「一つ、お前に教えておくべき事がある」
食事を終え、暖かい茶を飲みながら寛ぐルティウスへ、レヴィが珍しく前置きを告げる。しばらく考えていたのは、それを話すか否か。
「…ん、何?」
「聞きたくなければ、途中で止めろ」
「あ、うん……」
ルティウスにとっては治らない心の傷。そこに触れる話でもある。伝えるべきか悩んでいたが、話す事を決断出来たのは、彼の心が決して弱くはないのだと知れたから。
「この屋敷は、お前の母親の生家だそうだ」
「えっ…?」
「そしてこの部屋は、お前の母親の部屋だった場所なのだと、テラピアから聞いた」
「…………」
初めて知る話に驚くが、ルティウスは改めて部屋の中へ視線を巡らせる。家具や調度品は入れ替えられた可能性がある。けれど内装そのものはきっと変わらない。ここが、かつて母が生まれ育った場所。帝国で暮らしていた屋敷と同様に、母の名残に包まれて今を過ごしている。その事実に胸が温かくなった。
「そっか……だからテラピアは、迷う事なく俺をこの部屋へ案内したのか」
最初はただ疑問でしかなかった。どうして出会ったばかりの自分達に部屋が用意されていたのか。けれど理由を知れば納得も出来る。この家が、ルティウスの来訪を待っていたのだと。
「なんだか…嬉しいな」
その一言が強がってのものではない事は表情からわかる。だがレヴィは、本当に伝えて良かったのかと未だに悩んでいた。
「辛くはないのか」
「え、何で?」
「…母親の事を思い出すだろう」
「あぁ……」
意味を理解するのに僅かな時間を要したが、すぐに気付いた。過去の惨劇が心に傷になっているだろうと懸念されている事に。本当に優しい神様だ…と笑みを浮かべるルティウスは、真っ直ぐレヴィを見つめて答える。
「大丈夫だよ。確かに、母様は俺のせいで亡くなった…血の匂いとか、冷たくなっていく母様の身体とか、全部覚えてる。だけど、俺は生かされたんだ。だったら生きなきゃって思ってる。それに、今まで知らなかった母様の事を知れるのは、やっぱり嬉しいんだ」
「ルティ…」
もう会う事も話す事も出来ない、亡き母サリア。けれど様々な場所に、そして人に、託された想いが散りばめられている。出来る事ならその全てを掬い取りたい。もしかしたらもっと遠い、他国にも母の想いがあるのかもしれない。そんな期待と希望に胸が熱くなる。
「母様って、凄いな。何年も先を見据えて、色んな所に母様の面影があるんだよ?もっと探してみたくなるんだ」
「そうだな…」
「ね、レヴィ?」
「何だ?」
「レヴィの封印を解くついでにさ、母様の遺したものを探しても、いいかな?」
ルティウスからのささやかな願い。駄目だと切り捨てる理由などどこにも無い。
「ついでではなく、それを目的としてしまえばいいだろう」
何故自分の思いを優先しないのかは理解出来ない。けれどそれがルティウスという少年の本質なのだと、レヴィはもう知っている。
自分の国よりも、裏切りの友よりも、最期まで母としての誇りを貫いて子を守り、死後も守るための想いを遺した大切な人のために生きればいい。
「いや…俺が、死んだ母様のために行動してたら、きっと俺が怒られちゃうよ。自分のために生きなさい!ってさ」
その一言で、レヴィの中にある記憶が蘇る。
【貴方は……貴方のために…生きて…………】
最期に告げられた言葉。己よりも、他者を優先にしてしまう『彼女』と似た言葉。どうして今更思い出したのか…。
「レヴィ…?」
「いや……何でもない」
ルティウスの母が言う通りだなと、呼び起こされた記憶を掻き消すように軽く頭を振る。過去に囚われていては進めない。どこまでも未来を向こうと足掻いている少年を前にして、無様に立ち止まり続ける訳にはいかない。
「私の封印も、お前の母が遺したものを探すのも、全てはオストラを蹴散らしてからだ」
「うん、そうだね!」
未だ遠くにしか感じられない気配を探りながら、心の中で強く決意する。過去の恩讐如きにルティウスの歩みを邪魔させない、と。
そしてベラニスから遠い南洋の海底では、かつての同胞たるレヴィの力を察知した邪悪の権化たる竜が、虎視眈々と狙いの的を絞っていた。
あの時は奪ってやれなかった。けれどまた、人に肩入れしている同胞への憎しみを増幅させる竜の標的、殺意の視線は、レヴィの加護を受けたルティウスへと向けられていた。




