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昔から、長く生きた竜は人の形を取り、戯れに人間と関わる事があった。そんな竜の中でも特に稀有な力を持つ個体が、レヴィとオストラ。
二体の竜は、同じ水の力を自在に操れる水竜同士。しかし性格は真逆で、平穏を望むレヴィに対し、オストラは変革を望み続けた。そして変革を求めるが故に欲が心を支配し、オストラは暴走した。
世に蔓延り、支配者たれと増え続ける人間への嫌悪と支配欲に染まり切ったオストラは、見せしめに一つの国を水の底へと沈めてしまった。それはレヴィが戯れに降り立っていた国の一つ。
ただの気まぐれでしかなかった人との関わり。しかし交流を絶たれたレヴィは、オストラを許さなかった。そして始まったのが、水竜達の争い。
今では神話の一つとして語られる、ベラニス近郊で起こった防衛戦。オストラが次にと狙ったのがベラニスであり、守り抜いたのがレヴィだった。
海洋から大津波を呼び寄せ街を飲み込もうとしたその時、カレント大河の本流を操り津波を海へと押し返した。さらにそこへ介入した土の竜が、街を守るように海洋との境を隆起させ山を生み出した。
目論見を潰され激怒したオストラは、世界中の海を支配し、全ての大陸を沈めてやろうと画策するも、各地に生息する他の竜達も戦線へ参じた事により敗北。容易く這い上がってこれない海溝の奥底へと堕とし『海竜』という蔑称で呼ばれるようになった竜の、その力を封じて世界は未曾有の危機から救われた。
この功を認めた各地の神達は、それぞれの竜を神の対として召し上げ、力の半分を譲渡し共に世界の安寧と均衡を守るべく在れとした。それが神の名を冠する『竜神』の始まりである。
「…つまり、オストラを封じた竜達が、各地にいる竜神達…って事か?」
「そうだ」
「……本当に、神話で聞いた事のある話だから…なんだか実感沸かないけど…………」
恐る恐る見上げた先には、そんな神話に出てきた本人であるとは感じられない、過保護で優しい竜神の微笑みがある。
しかしこれだけは確かめなければいけない。
「その、海竜オストラってさ……封印は解けてないのか?」
レヴィの語る話が真実なら、どうして今になってベラニスへ近付いてきているのか。封印されているのだとしたら、街を脅かすだけの力など戻ってはいないはず…ルティウスはそう考えた。
「……おそらく、私の気配だろうな」
「レヴィの?」
「お前が外している間にフィデスから聞き出した。私が封じられていた千年の間、奴は一切動かなかったと。それが今、こうしてこの地を狙うように河へと近付いた。あの時、私に邪魔された事をまだ根に持っているのだろう。今の私と同じように、分身体をここへ送り込もうとしているのか…」
「じゃあ、海竜も本来の力で…ってわけじゃないんだよな?」
「………………」
ここで肯定してくれていれば、少しは気が楽だった。けれどレヴィは肯定しなかった。その理由もレヴィは知っているように思える。
しかし気付いてしまう。竜の封印と聞いて、レヴィも、それにフィデスも同じ状況だと。海竜の封印が竜神によるもので、その封印を施した側の力が封じられているのなら…。
「今、海竜の封印は綻びかけている……?」
「…残念ながら、その通りだ。おそらくは、力ずくで弱った封印をこじ開けて来たのだろう」
それは人からすれば絶望の報せにも等しかった。ベラニスはただの始まりに過ぎず、海竜の齎す被害が世界中へ及ぶ可能性もあるのだと知り、背筋が凍る思いだった。
「だが、安心するといい」
「……え?」
レヴィの指先が、ルティウスの額へと宛てがわれる。どこに安心出来る要素があるのかと叫びたくなるが、レヴィは穏やかに笑っていた。
「今の私には、ルティがいる」
「え、でも……俺なんて、大した力も無いのに…」
「ならば試そう」
「…えっ?」
直後、額に触れられている指先から魔力が抜けていくのを感じた。そういえば聖石は、紐を直そうと思っていたのに出来ていない。懐にしまい込んだままだ…なんて考えている間に、眼前のレヴィの手にはあの槍が握られていた。
「ルティ、以前使っていた防御魔法、あれを己に掛けろ」
「…防御魔法?」
言われて思い出したのは、レヴィと初めて出会ったあの泉の洞窟で、封印の守り手と戦った時の事。確かにあの時は、念の為にと防御魔法を展開していた。そしてその魔法にレヴィが反応したのだと。
言われるがまま、あの時と同じ防御魔法を全身に纏わせる。これでいいのか?とレヴィを見上げるが、彼は既に槍を振り被り、攻撃の構えを取っていた。
「えっ、え…?」
「オストラが扱うものとほぼ同じ攻撃を放つ。聖石を手に持って、そのままじっとしていろ」
「…ちょっ、待って?」
慌てて懐から石を取り出し手の中に握りしめる。光り輝く石は、レヴィが魔力を使っている証。
「案ずるな。どうせお前には通じないものだ」
天へ向けて掲げられた槍の周囲に、濁った水の塊が幾つも生成された。それらは次第に刃物を思わせる鋭利な形へと変化していく。レヴィの槍のように硬化していくそれは、 槍が振り下ろされると同時に轟速でルティウスへと飛来した。
「ッ!」
突然の状況に思わず目を閉じてしまう。しかし訪れるはずの衝撃も痛みも何も無い。ただ周りから、何かが地面に『突き刺さる』音だけは断続的に聞こえてきた。
「目を開けてみろ」
言われてゆっくり開眼するルティウスの視界には、防御魔法に弾かれて地面へと落ちていた無数の蒼い刃。
「…え、何で?俺なんかの防御魔法で…?」
「やはりな…」
攻撃を防げた事に対する安堵と、攻撃を全て弾かれたにも関わらず嬉しそうなレヴィへの疑問が、ルティウスの思考を埋め尽くす。
「ルティが使ったその魔法は、かつて私が人に与えたものだからな」
「…そうなの?」
首肯するレヴィは、やはり微笑んでいる。
「執念深いオストラが、いつかまた現れた時のために、な」
自分が何気なく使っていた魔法に、それほどの意味があるとは思ってもいなかった。初めて発動出来たのもこの魔法で、物理攻撃をほぼ無効化に近い形で防げる優秀な防御魔法…その程度にしか認識していなかったから。
けれど幼い頃から使えた魔法でもあり、その発動には少なからず自信があった。
「確かに、物理攻撃へ対するものとしては優れているだろう。けれど対オストラであれば、さらに鉄壁の守りとなる」
そしてレヴィはルティウスの頭を撫でながら、力強くそれを言った。
「お前が、全てを守れ」
ルティウスはいつも誰かに守られていた。けれど今度は、ルティウスが守る側なのだと告げる。決して奪わせない、失わせない、それだけの力を持っているのだと自信を抱かせるために。
笑顔を浮かべるルティウスは、拳を握りレヴィへと向ける。彼からの期待に応えてみせると、気持ちを伝えるために。
「守るのが俺なら、レヴィは仕留める側かな?」
「やってみせよう」
レヴィもまた同じように拳を握り、突き出されたルティウスのそれへと軽く押し当てた。




