0039
戦いはレヴィの勝利に終わった。どこか満足そうに不敵な笑みを浮かべるレヴィに対し、リーベルは悔しげに舌打ちを鳴らす。
「…あーくそ!あの一瞬の視線は罠だったかぁ」
剣を地面へと置きその場に座り込むリーベルを放って、槍を持ったままのレヴィがルティウスへと向き直る。手を伸ばし、おいでと言わんばかりに微笑みを見せた。
「行っておいで。レヴィが呼んでるよ」
「あ、うん」
誘われるようにその場を駆け出しレヴィの元へと向かう。近付いて改めて気付く。あれほどの立ち回りを見せていながら、レヴィが息一つ切らせていない事に。
「凄いなレヴィ。こんなに強かったんだね?」
「理解したか?」
「うん……何度も頼れって言うのがわかったよ」
こんなにも強くて頼もしい竜神が、こんなにも近くに居てくれている。これほどの恵まれた状況下で彼に助力を求めないのは、あまりにも勿体ない。
レヴィだけではなく、こんなレヴィと対等に渡り合えるほどの者が自分の叔父なのだ。少年の心はまるで子供のように興奮が沸き立ち、きらきらと輝いた瞳を二人へと向けさせる。
「改めて二人にお願いしたい、俺に稽古をつけてほしい!」
それまで、いつ殺し合いが起きてもおかしくないほど殺伐としていたリーベルとレヴィは、武器を交える事で解り合える部分があったのか、雰囲気が軟化していた。ほんの一瞬だけ視線を交差させた後、彼らはルティウスの願いに応えるべく頷いた。
二人もの強力な師の約束を取り付ける事が出来たルティウスは、すぐにでも指導を受けたいと言い出した。しかしそれは二人の師から止められてしまう。傷は癒えていても流れた血は戻らないとテラピアに言われた通り、微かな貧血を起こしていたからだ。身体の丈夫さが取り柄だと自負していたルティウスは落胆するが、昼食後に軽くなら…とレヴィが妥協したため、元気を取り戻していた。
「レヴィさんよ、お前、ルティウスにちょっと甘すぎないか?」
一戦交えた後から、リーベルのレヴィに対する態度は一変していた。竜神への敬意を払うどころか、馴染みの友人にでも接しているかのように気安い。その事に怒りを覚えるどころか、レヴィもまたリーベルへの態度に容赦が無くなっていた。
「担ぎ上げられる事はあっても、甘やかされた覚えのない子供を甘やかして何が悪い」
甘やかしている自覚はあるのか…と、その場にいる全員が同じ思考に至る。当のルティウス本人は溜め息を吐くしかない。開き直るなと言いたい気持ちはあったが、永きを生きる竜神にとってはたった十八年しか生きていない人間など、やはり子供でしかないなのだろう。けれど嫌だとは思わない自分自身がいる事も認識している。レヴィの大きな手に頭を撫でられると、母や兄に褒められた時を思い出せて温かい気持ちになれたから。
そのうち、どこかへ出掛けていたテラピアも帰還し、皆での昼食になった。リーベルに「自警団の仕事はいいのか?」と尋ねるも、部下が優秀だから自分がいなくても問題ないとの事。何故かそのまま、ベラニウス家で昼食を摂る流れになっていた。
「そういえばフィデス、ずっと何か作ってるみたいだけど…それは?」
食事の最中でも、ずっと部屋の隅で何かの作業をしている少女の姿が気になり、ルティウスが声を掛ける。
「えっとね……もうすぐ完成だから、もうちょっと待ってて?」
「あ、うん」
振り返りもせず普段と変わらない声で返すフィデスに、首を傾げる。にこにこと微笑みを浮かべているテラピアは、フィデスが何をしているのかを知っていそうな気もした。聞けば答えてくれそうだが、完成まで待つべきだろうと判断し食事を済ませてしまおうと視線を外す。
食後のゆったりとした時間の中、僅かに空気を張り詰めさせていたのはリーベル。街の一区画を守る自警団としての意識が、レヴィにそれを問う。
「ところでだ…『奴』が街に近付いてるかどうかって、わかるものなのか?」
「海竜か………」
ベラニスが警戒する招かれざる者。西への渡し船もベラニスを脅かす存在のせいで運行が滞っている。何とかしなければと考えるが、どういう存在なのかすらルティウスは知らない。レヴィやフィデスは旧知のようだが、あまり詳しく語ろうとはしていないため訊けずにいる。
「…………」
リーベルの問いに応えるように、レヴィは視線をどこか遠くへと向ける。すぐ側を流れるカレント大河は元々が水神の領域であり、どれほど広くてもレヴィが感知できない訳はない。
「…時折河を上ってきていたようだが、今は海洋へと戻っている」
「そうか…近付いたら教えてもらえんか?万が一の場合は、住民も避難させなきゃならんからなぁ」
「……承知した」
素直に返事をした…と、ルティウスは少しだけ驚き、静かに瞬きを増やした。そんな少年の微かな変化に気付いてしまうのがレヴィであり、何を考えているかも当然のようにバレているのがルティウスには不思議でならない。
「…ルティ、私がこの男に返答するのがそんなにおかしいか?」
「えっ?いや、そんな事は…」
ここで機嫌を損ねるのは非常にまずい…本能的な危険を察知して、どうにか平静を保ちつつ話を変えようと試みた。
「それよりもさ、その…海竜?って、どんな奴なんだ?レヴィもフィデスも知ってるんだろ?」
「「………」」
しかし二人の竜神は、やはりすぐに答えなかった。作業が一段落したのか手を止めているフィデスが、確かめるようにレヴィへと問う。
「ボクから話そうか?」
「…………」
その反応で、やはり何か話しにくい事情があるのだと察する。ベラニスに暮らす人間には話せない、何かが。
「言いたくないなら聞かない。じゃあ質問を変えるよ。やっぱり海竜って、強いのか?」
これならば答えてくれるだろうと思い、ルティウスは再びレヴィの方を向く。既知だろうレヴィが強いと断ずるのなら、ゆっくりなどしていられない。少しでも力を付けるために、無理を言ってでも特訓を始める必要がある。
「……強いには強い。が、奴は単純だ」
おそらくレヴィにとってはそれほどの脅威ではないのかもしれない。しかしそれは『本来の竜神レヴィ』ならばの話である。力の大半を封じられ、魔力をルティウスに依存している今のレヴィが普通に勝てるのか、という疑問は尽きない。
ならばレヴィの援護が出来るくらいまでは強くならなければ…と、ルティウスは考えていた。
そして決意する。多少の我儘を通してでも、今は話を聞き出すべき時だと。
「ね、レヴィ」
「どうした?」
「ちょっと外に…」
座っていたレヴィの腕を引き、二人で中庭へと移動する。何かを察したリーベル達はそれをただ生暖かい微笑みと共に見送るだけで、後を追おうとはしなかった。
そして他の誰にも声が届かない場所まで来ると、ルティウスは改めて問う。海竜とは何者なのかを。
「…もう一度訊くよ?海竜って、レヴィの知ってる奴なんだろ?」
「……ルティ」
「そろそろ俺にもわかるんだからな?叔父様やテラピアの前だから言いにくかったんだって」
「………………」
無理に聞き出す事はしたくないけれど、これは必要な情報なのだ。今後の戦いに際して、海竜とは一体何なのか。
「…………お前には敵わんな」
軽く息を吐きながら、根負けしたように柔らかく笑い、強い意志を宿した蒼い瞳を見下ろす。
「そう、だな……奴は、海竜オストラは……私のかつての同族だ」
「かつての…同族…?」
まるで今は同族ではなく別種であるかのような言い方に、脳内で疑問符が浮かぶ。そして初めて名を口にした事で、本当に旧知なのだと知れる。
「太古の時代、まだ竜が神を冠する前の話だ」
そして語られたのは、まるで御伽噺のようなレヴィの過去。




