0038
「あれ、なんかみんな集まってる…」
風呂で久し振りの完全な一人での時間を過ごし、満足したルティウスが広間に現れたのはそれから少し経っての事。元の着ていた服を奪われて困ったが、すぐ側に新品の着替えが用意されている事に気付けたため、外に出る事が出来た。肌触りが良く着心地も悪くない。手合わせ後且つ風呂上がりの身体には馴染みやすかった。
「おーう、身体の調子はどうだ?」
軽い口調で声を掛けるリーベル。それまでなら真っ先にレヴィが睨み付けていたはずなのに、今は気にも留めない様子でルティウスへと振り返っている。この短時間で何かがあったのだろうか…と考えるが、また話してはくれないだろうなと思考を切り替えた。
「あ、うん。もうすっかり元気だよ」
「そりゃ良かった。本当にすまなかったな、ちょっとやり過ぎたわ」
リーベルの言葉に、ルティウスは微笑んで首を横に振る。
ここに座れと言わんばかりに目の前で引かれたレヴィの隣の椅子。苦笑しつつも自然とレヴィの側へ行き腰を下ろしながら、自身の弱さをきちんと受け止めているのだと伝えた。
「俺がまだまだ弱いだけなんだ」
自信を喪失はしている。けれど甘んじるつもりは無い。弱いなのなら、力を付けて強くなればいいだけ。
「あんなボロボロに負けたのが叔父様との手合わせで良かったよ。本番であんなんじゃ…多分もっと、色々失くしたかもしれないんだから」
記憶にこびり付いて離れない惨劇の光景。大切な人の血を浴びて、叫ぶ事すら出来なかった無力な子供の頃。
【あんな思いは、もう二度とごめんだ!】
誰からも見えないテーブルの下で拳を握り締めて、ルティウスは決意する。必ず強くなる、と。
そんなルティウスの小さな拳に重ねられる、大きな白い手。そっと視線を向けても、隣に居る彼はこちらを見てはいない。それでも、重ねられた手の温もりと共に気持ちは伝わっている。
「叔父様、それにレヴィ。二人に頼みがある……俺に、稽古をつけて欲しい」
頼れる者はここにいる。自分より遥かに強く、数多の経験をしてきている二人に師事出来るなら、今より弱くなる事だけは絶対に無い。
「………………ルティウス」
間もなくリーベルから名を呼ばれた。断られたらどうするかと若干の不安を抱いているルティウスへ、何故か表情を引き攣らせ硬い声で彼は問う。
「お、俺……で、いいのか?」
「…あ、うん……叔父様さえ良ければ、なんだけど……」
「あ~、あ、おう!俺は…良いんだけどよ?その、な……」
「……?」
何故かとても歯切れが悪い返答に、ルティウスは首を傾げる。この時、ルティウスの瞳には頼もしい叔父の姿しか映っていなかった。
「………お前さんの隣にいる、保護者様がな……もーーーんの凄い目で、俺を威嚇してるもんで、な……」
「え…………あっ!レヴィ、こら!」
少しずつ恒例になり始めているレヴィの反応に、ルティウスは慌てて隣に座る竜神を叱る。さっきまでは普通だったのに…と、溜め息を吐きながらレヴィと視線を交わらせていた。
「…貴様にルティの師が務まるのか?」
リーベルに向けて殺気を放っていたと思いきや、今度は煽り始めている。そしてリーベルもまた、レヴィに対して不遜な態度で言葉を返す。
「お前さんこそ、人に教えるなんて出来るんですかね、竜神様よ?」
「……どうやら死にたいらしいな」
「やれるもんならやってみな……」
互いに挑発し合う二人は、もはや一触即発の状況だった。どうしてこんなにも仲が悪いのかと、ルティウスは一気に心労が溜まる思いで二人のやり取りを見守る。
「ほーんと、レヴィとリーベルおじさん、仲良しだね?」
「「はぁ?!」」
「……これが、仲良し…?」
それまで静かに、何かの作業に没頭していたフィデスが口を開いた。あまりにも突拍子のない発言にレヴィとリーベルの声が重なる。ルティウスもまた、仲良しの定義について真剣に悩み始めてしまった。
「ほらね?今も声がぴったりだったよ。二人でルティ君の争奪戦、かな?」
それ以上はやめておけ俺を巻き込むな…そう止めようとするルティウスよりも早く、レヴィはリーベルに向けて言い放った。
「貴様にルティを任せられるものか」
そして返されるのは、予想通りの一言。
「それは俺を負かしてから言いな」
まだ直せておらず、手の中に持っていた聖石が輝いた。当然、レヴィの手には既にあの輝く槍が握られている。
「上等だ…身の程をわからせてやろう」
得物の存在を視認したリーベルもまた、自身の相棒とも呼べる長剣に手を伸ばし、抜剣の構えを取っていた。
「いいぜ?表出な!」
あまりの展開にルティウスは呆れてしまった。あの穏やかな竜神が、こんなにも容易く挑発に乗せられてしまうとは思っていなかった。すぐ側の大きな窓を開け放ち、間髪入れず中庭へ飛び出していく二人を止める事は出来ず、部屋に残るフィデスへと助けを求めた。
「フィデス、頼むよ…二人を止めてくれ…」
「え、何でだい?」
「だって、あんな喧嘩腰で武器持って…二人が怪我でもしたら……」
「本当にそう思うのかい?」
中庭の殺伐とした光景になど目もくれず、ひたすら何かの作業をしているフィデスはルティウスを一瞥し、促すように視線を流すと外で睨み合う二人へと向けた。
「ね、ルティ君?キミは、本当の強者同士の戦いって、見た事あるかい?」
「え……?」
どこかわくわくした雰囲気のフィデスが、ついに手を止めてリーベルとレヴィへ意識を向ける。もう間もなく戦いの火蓋が切って落とされようとしていた。
ルティウスと手合わせした時よりも遥かに速い動きで、不可視の斬撃を繰り出していくリーベルだが、レヴィはそれらを最低限の移動だけで全て避けていく。まるで軌道が見えているかのように無駄のない回避の最中、レヴィもまた槍を振り上げ巨大な風の刃を打ち出している。魔法ではない物理攻撃、それは結界に守られながら体験したあの一撃と同じもの。
自分がしたように相殺するのかと凝視していたが、リーベルは長剣を振り下ろし直接レヴィの斬撃を消滅させている。けれどリーベルの身体にはかすり傷一つ付いてはいない。
「…何だ、あの二人……」
尚も続く技の応酬と武器の打ち合い、その光景はルティウスの瞳を少しずつ煌めかせていく。
「ね?言ったでしょ。あのおじさんもかなり強いとは思ってたけどね、レヴィとあそこまで打ち合えるのは本当に凄いよ」
フィデスは知っている。レヴィは魔法よりも近接戦闘の方が得意だという事を。竜でありながら人の扱う武器というものに魅入られ、人間に紛れてあらゆる武器を試していた時代があった事を。そして己の長身に見合う得物として、槍との相性が良かったという事も。
「ずぅっと昔、まだボク達が神を冠する前の頃にね、レヴィはいろんな武器で遊んでたんだぁ。今は槍に落ち着いたけど、やろうと思えば剣も使えるはずだよ」
「……凄いな…………」
あまりの格の違いに驚くが、それ以上に目の前で繰り広げられている攻防から視線を逸らせない。いつしか攻撃と防御には一定の流れが生まれており、凄まじくも手本のような立ち回りは強者に憧れる少年の関心を釘付けにさせていた。
そしてルティウスも「もしかして…」と気付く。
二人の攻防は、まるでルティウスに『観せる』ために行われているようだと。
ルティウスが為す術なく傷を負う事になったリーベルの攻撃だが、レヴィは傷一つ付けられていない。どう避ければ良いのかを教えてくれているようだ。
そして単純な武器での打ち合いそのものも、両者共に無駄のない動きで繰り返されているのが分かった。帝国の騎士団に混じって練習をしていた頃には知り得なかった、圧倒的なまでの強者の立ち回り。見ているだけでも、学べる事はとても多い。
目を輝かせて凝視しているルティウスの視線に気付いているレヴィが、ちらりと目を向ける。リーベルがその隙を見逃すはずもなく仕掛けるが、レヴィの方が数枚上手だった。
ほんの一瞬の隙を突いたはずの轟速の刺突は容易く受け流され、軌道を逸らされた剣先は地面へと落ちる。わずかに体勢を崩しかけたリーベルの鼻先には、槍の穂先が突き付けられていた。
その最後は、まるでリーベルがルティウスにしたものと同じ。
「ここまでだな」
「………………」




