0037
「この服を直せる者を呼べ」
ルティウスが風呂場へ入っていくのを見届けたレヴィは、その足ですぐにテラピア達が集う広間へと向かった。乱暴に扉を開け放ちテーブルの奥に座る女性の前で立ち止まると、ルティウスから預かった衣服を突き出し命じる。
直せ、と。
「これは……ルティウス殿下の?」
「なぁ、どうしたんだこれ」
当然の質問が、ルティウスの親族より飛んでくる。しかしリーベルが声を発した事により、レヴィはやはり殺気を纏わせてしまう。
「……ルティが風呂に入っている間に預かってきた。何か問題でも?」
レヴィは気付いている。あの脱衣場には、ルティウスの為の別の着替えが用意されていた事に。その間にこれらを持ち出したところで、あの空間から出られなくなるほど困る事も無いだろう。
テーブルの上に置かれた衣服に触れて、テラピアは考える素振りを見せていた。他でもない竜神からの命令とあらば、応えぬ訳にはいかない。布の質や重さを確かめるように持ち上げ、表面を指先で撫で、記憶を辿るように視線を泳がせるテラピアの隣では、すっかり打ち解けていた竜神の少女がせっせと何かを作成している。
「えぇと、少し日数はかかりますが、修復は可能かと思います」
検分を終えたテラピアが笑顔でレヴィへと返答した。知らぬ者が見ればその表情に変化は無い。しかし付き合いの長いフィデスだけは、ちらりと一瞥するだけでレヴィが安堵している事に気付いていた。
「しかしこのお洋服は凄いですね。流石はルティウス殿下の御召物です。繊維の一つ一つにまで祝福や加護の魔法が掛けられているよう…」
「ん?それってもしかして、サリア姉さんの魔法か?」
「そうだと思いますよ。心から、殿下の事を愛していらっしゃったのだと分かります」
二人の何気ない会話を聞いていたレヴィも、改めてテーブルの上に置かれた服へと意識を向ける。かなり弱くなっているようだが、確かに魔法の気配が感じられた。
「あ~…なら、ルティウスには悪い事しちまったな。ついやり過ぎて、こいつを駄目にしちまったもんなぁ」
こんな状態にさせた張本人であるリーベルは、頭を掻きながら困ったように呟く。けれどテラピアの手配で修復される事は約束された。この服が元に戻るまでベラニスに滞在しなければならなくなったが、ルティウスならきっと待ってくれるだろう。そう信じて、レヴィは再びテラピアへと向き直る。
「テラピアと言ったな」
「はっ、はいっ!」
崇拝する神から名を呼ばれ姿勢を正すテラピアに、フィデスがクスクスと小さく笑う。そんなに気を張らなくても大丈夫だよ…と隣から耳打ちするが、レヴィの一睨みで少女はまた自分の作業に戻った。
「ルティに用意した着替えは、浴場にあった物だけか?」
「あ、いえ…あちらにご用意したのは楽に着て頂けるような…言わば普段着ですね。もしも海竜との戦いが早まるようでしたら、こちらもございます」
椅子から立ち上がり、傍の棚に仕舞われていた包みを取り出す。
「どうぞ、ご覧下さい」
テラピアに促され、テーブルの上へと置かれた包みを開けていく。中に収められていたのは、今までルティウスが着ていた濃暗色の物とは違う白い服。各所に蒼や金の装飾が施されており、職人の技と拘りが盛り込まれているのが一目でわかる程。
持ち上げて広げてみれば、そのサイズは何故かルティウスにぴったりだと思える。まるで彼の為に作られたかのように。
まだこの街に着いて一日も経っていない。ルティウスではなくとも、ここまで用意されている事にレヴィも疑問を抱く。まるで今日この日にこの包みを開けられる事が、初めから判っていたかのようだ。
「……答えろ。お前達は、ルティとは初対面だったはずだ。何故、ここまでルティの為の品が用意されている?」
その問いにテラピアとリーベルは顔を見合せた。ただそれだけでレヴィは確信する。この二人は何かを知っているか隠している、と。それがルティウスに仇なすものではないとしても、彼の心を乱す可能性があるならば…と、無意識に殺気を滲ませていく。
「あ~わかったわかった。正直に話しますよ。だからそんなに睨むなって」
竜神に対する態度としてはあまりにも無礼な振る舞いだが、リーベルは気に留めない。なぜならレヴィが抱いている気持ちはリーベルもまた持ち合わせているものだから。
「俺達は…特にテラピアちゃんはな、ルティウスの母親、サリア姉さんにルティウスの事を託された一人なんだよ。ある日突然姉さんから、手紙と共にそこの包みが届けられてよ」
度々聞く事があるルティウスの母。既に死んでいると本人からも聞かされていたが『託された』の意味はおそらくルティウスも知らない事だろう。
「姉さんが亡くなっている事はもちろん知ってる。そりゃ帝国の第二皇妃の崩御だからな。あちこちに情報が飛んだよ…で、姉さんの死から少し経って……」
「この包みが当家に届けられたのです」
話の途中から入ってきたテラピアが続きを引き取り、レヴィへと経緯を伝えていく。
「受け取ったのは私の父、ベラニス領主でした。父も最初は、サリア様を亡き者にした首謀者による策略かと疑いました。中立を貫き続けているこのベラニスを、血腥い皇位争いに巻き込む気かって怒ってもいました。けれど添えられていたこの手紙が、父ではなく私宛てである事に気付き、当時から親交のあったリーベルさんに相談したのです」
そしてテラピアは、少し古ぼけた一通の封筒をテーブルへと置いた。件の手紙であろう。中を改めても良いのか確かめるように視線を向けると、テラピアは無言で頷いた。
「そこに書かれていたのは、驚くべき内容でした。サリア様崩御から八年後、彼女のご子息がこのベラニスへ訪れる事。その際には手厚く歓迎してあげて欲しいとの願い。そして、きっと必要になるからと添えられていたのが、この包みなのです」
手紙へと目を通すレヴィは、テラピアの言葉に偽りが無い事を理解した。彼女の言は、一枚の紙に書かれている内容そのままだったから。
「姉さんは元々がベラニスの出身でな。この街で姉さんを知らない奴はいない。そして姉さん自身、帝国へ嫁ぐ前まではこの街を守る神官長だったんだ…」
そうした立場にあったからこそ、妃として国に召し上げられたのだろう。話を聞きながらレヴィの脳裏で、ルティウスの母親は『彼女』と重なる部分が多い事に気付き始める。本人はただ穏やかに、精一杯に生きていただけにも関わらず、他者の意図によってその生涯を歪ませられてしまった哀れな女性。
「そんなサリア様の願いを我がべラニウス家は無下には出来ず、来るべき日に向けて準備を進めました。えっと……リーベルさんの前でこう言うのはアレですが……」
「気にすんな、テラピアちゃん」
リーベルに気を遣って言い淀むテラピアだが、当の本人は気にした様子は無い。何か言いにくい事実があるのだろうと察するも、それ自体はレヴィには興味の無い話だった。
「サリア様のご実家、フォンス家がサリア様崩御の後に没落し、空き家となっていたお屋敷を当家が買い取りました。それが、現在のこの建物なのです。そしてルティウス殿下をご案内したあの奥のお部屋は、元はサリア様の居室だった場所なのです」
その事実をルティウスは知らない。何故知らせてやらなかったのかと、レヴィの中で苛立ちが募る。
幼くして母を失ったルティウスが、母親の愛情に飢えている事、無自覚に名残を求めている事は分かっていた。話す時の声や表情がそれを物語っていたから。本人は折り合いを付けたように振舞っていても、立場や環境が許さず気丈にならざるを得なかっただけなのだと。
「ルティにそれを伝えなかった理由は何だ?」
「お前さんが居たからだよ」
はっきりと告げられた一言に、レヴィは言葉を失う。けれどリーベルは、優しく微笑んでいた。
「二人のやり取りを見てて、安心したんだよな。姉さんに似てるんなら、きっとルティウスは周りにあまり頼ろうとしないだろ?だけどお前さんには、無意識で寄り掛かってるっつーか…あぁちゃんと頼れる奴が傍に居るんだなって。だったら下手に母親の事を…姉さんの事を持ち出すべきじゃないってな」
それはリーベルなりに可愛い甥を、慕っていた姉の忘れ形見を思うが故の決断。素性は明かしても、本人が知りたいと請わない限りは余計な話をしない。心が成長し切れていない少年を悲しませない為に、過去に囚われさせない為に。
しかしレヴィは違った。知らない事を正しいとは思えなかった。
「事情は理解した。だがルティが知りたいと望むなら、私は全てを伝える」
「あぁ。お前さんがそうするべきと判断したら、止めはしないよ」
海竜との戦いを控えた今、それを伝えておくべきなのかはレヴィにもまだ判らない。けれど一つだけ確かなのは、あの少年の悲しむ顔は見たくないという事だけ。そしてそれは、この場に集う全員の願いとして共通していた。




