0027
当初はただ様子を見るだけのつもりで立ち寄った小さな家に、気付けば数日の滞在をしていた。けれど得るものの多い寄り道だったと、感慨深げに振り返る。
夜が明けて、三人はそれぞれに身支度を済ませ出発のために外で集合した。あのクレーターの調査をするためだけに拵えた建物だったようで、役目を終えた家は誰も住む事のない空き家となる。野盗などの拠点にされかねないため本来ならば取り壊すべきだが、この場所には実は目に見えない結界が張られており、普通の人間ならばここに家がある事すら気付かないのだそうだ。なのでフィデスとしては、そもそも家の扉を叩いた時点でルティウス達が普通ではない事に気付いていたと、後から聞かされた。
「全部終わったら、またこの家に寄ってもいいかな?」
「こんな何もない家なのに?」
「…人と関わりたくないなって時に、この場所は静かで良さそうなんだよな」
「まあ、人間にはいろいろあるもんね」
聞けば扉には鍵すら付いていないとの事。不用心ではあるが、土地そのものに強い結界があるため不要だった。そして結界はフィデスではなく、彼女と対になる神の力で展開しているため、まず間違いなく人間に侵入される心配はない。本当に全てが片付き落ち着いたら、またここに立ち寄ろうと考えていた。
そして三人はベラニスへ向けて出発する。再びレヴィの案内で進み始めた道程は案の定、道らしい道を通らなかった。フィデスが度々「街道を通ろう」と文句を言うが、気にする素振りすら見せずに直進していく。
時折現れる魔物は、そのほとんどをルティウスが剣技を以て撃退した。レヴィも魔法で応戦しようとしたが、その間もなくルティウスが魔物の懐へ飛び込み危なげなく斬り裂いてしまう。どこか無謀な振る舞いに思えて訝しむレヴィだったが、ルティウスは笑って彼に答えた。
「俺、国にいた頃に剣術はずっと習っていたけど、実戦はそれほど多くなかった。せっかく外の世界に出てきたんだから、経験を積みたいんだ」
レヴィに心配を掛ける必要がなくなるまで自分が強くなればいい、それがルティウスの決意。魔物との戦闘は実戦経験として糧になっているようで、数を重ねる毎に剣筋の冴えは確かに磨かれていった。
レヴィの指示により所々で休憩を挟みつつ、長くもない旅路を経て、三人は間もなく中立都市ベラニスへと到着する。
街の門へ辿り着く頃には、既に日が沈みかけていた。もう少し早く着いていればヴェネトスへ向かうための情報集めも出来たが、見かけるのは日中の職務を終え飲み歩く者ばかり。何かを尋ねられそうな人はそのほとんどが家に帰っているのだろう。その上、大河を渡る船の運航は夜になると止まってしまう。ならばと今夜の宿を決めるべく街中を散策する三人だったが、中心部にある広場で、顔を突き合わせ悩む事になっていた。
「……宿がどこも空いていない…」
「ボク、さすがに野宿はちょっと…」
「…………」
レヴィだけは何故か終始無言で意見を出してこない。泊まれる場所が見つからなくても気にならないという事なのだろうか。
「どうしてこんなに満室ばっかりなんだろうね?前に来た時はこんなんじゃなかったよ?」
グラディオス帝国がある東の大陸と、ヴェネトス公国がある西の大陸。その境を流れるカレント大河。ベラニスはそんな大河の上に建造された特殊な街であり、東西の陸を繋ぐ渡し船もある。そのため人の往来がとても多く、比例して宿も多いはずだが、何故か今日に限ってほぼ全ての宿に空室が無かった。
皇子として生まれ、寝床に困った事など今まで一度も無いルティウスは、人生で初めて路頭に迷うという経験をする事になっていた。
「…とりあえず、宿の事を考えつつどこかで食事にしようか…」
「そうだね。ここで考え込んでも宿は空かないもんね」
半ば諦めの境地で三人は飲食店を探して再び街をさ迷う。仮にも皇族であるルティウスは、金に困る事はない。国を出る際も突然ではあったが、懐にそれなりの額を所持していた。足りなくなれば売却の出来る品も幾つか身に着けている。値段の事を一切気にせずに店を選べるという強みを生かして通りを歩いてみるが、これと言って惹かれる店にはなかなか出会えなかった。
動き始める前に何を食べるかだけでも決めておけば良かったと小さな後悔を抱き始めたその時、三人の耳にどこかから人の叫び声が届く。
「…何だ今の、悲鳴?」
声が聞こえた方へ視線を向ける。僅かに人だかりが出来ており、何か問題が起きているのは一目瞭然だった。
「ちょっと行ってみよう」
「待てルティ、面倒事に首を突っ込むな」
さっさと駆け出してしまうルティウスの静止を試みるが、レヴィには止められなかった。気付けば既に、少年の姿は人垣の奥へ潜り込んでいる。
「………全く」
「レヴィがなんだか、苦労人みたい」
「黙れ」
軽口を叩き合ってから、二柱の竜神も少年の後を追う。人の波を掻き分けて辿り着いたその先では、ルティウスが一人の女性の前に立ち腰の剣へ手を掛けていた。
「おいこのガキ!さっさとその女をよこせ!」
「彼女は嫌がっているだろう?」
「うるせえ!痛い目見たくなかったら邪魔すんな!」
まるで女性を守るように立ちはだかるルティウスの目に揺らぎは無い。真っ直ぐに怒声を発する男を睨み付けている。
「何事だろうね?」
「…さあな」
その光景からして、ルティウスがトラブルの仲裁に入ったように思える。こんな事をしていたら目立つだろう…そう諭したいレヴィの気持ちは、実直過ぎる少年にはなかなか届かない。自然と溜め息が零れていた。
「あの子、大丈夫なのか?誰か自警団呼んでこいよ…」
「騒ぎを聞きつけてすぐ飛んでくるだろ」
「アイツって、フラーマから流れてきたとか言うゴロツキだろ?酔って暴れるとか迷惑だな…」
「あっちもこっちも治安が悪くていけねえや」
成り行きを見守る構えのレヴィ達の耳に、周囲の人々の話し声が聞こえてくる。ルティウスに怒鳴り散らす男は南西の国フラーマから来た者との事。顔が赤いため酒に酔っているのはすぐに察した。特に不審な魔力を帯びている訳でもなく、どこかの国で正式な軍役に就いていた風貌でもないただの酔っ払いが、今のルティウスに敵うはずも無い。一目で看破出来るほどに、実力の差は歴然だった。
しかし彼我の強さを正しく認識していない男は、怒りに目を血走らせたまま手に持っている剣を構え、ルティウス目掛けて突進していく。周囲から悲鳴じみた声が響く中、最低限の動きで男の突進を躱し、剣の柄を男の腹部へと叩き込んでいた。
「ぐっ…お……」
短い呻き声を上げながら地面に崩れていく男は、そのまま意識を失った。
当然の結果だ…レヴィとフィデスは揃って頷き、倒れ伏す男を見て呟いた。
「「愚かだな」」
抜剣する事もなく一撃で男を圧倒したルティウスは、すぐ側で地面に座り込む女性へ向き直り、手を差し伸べた。
「大丈夫でしたか?」
「あ、はい……あの、ありがとうございます」
差し出された手を取り礼を告げる女性。華やかな雰囲気を纏うその人物は、ルティウスに手を引かれてゆっくりと立ち上がる。




