0026
世界の均衡を保つべく存在する竜神にとって、ルティウスは既に恩のある人間でもあった。
「……ならばボクは誓うよ。土の竜フィデスとして、ルティ君の力になろう!」
可愛らしくも威厳のある台詞には、今は封印されていてほとんど何も出来ないけど…と付け足された。力を使えないという点については、今も首元で光る石のような、力を繋げられる何かがあればきっと解決するだろう。どこか過保護なレヴィは許してくれないかもしれないけれど…そんな事を考えながら、ルティウスは隣にいるレヴィの肩へと凭れ掛かり、たまには……と甘えてみる。
「レヴィも、いいよな?フィデスと一緒に行こう?」
「………………お前がそう望むのなら」
あまりにも長い間を置いてから、盛大な溜息とともにぽつりと呟かれた返答。
「…本当に、あのレヴィをここまで手懐けてるなんて、ルティ君てやっぱ凄いなぁ」
「別に手懐けてる訳じゃない。レヴィが優しいだけだよ」
直後、凭れ掛かっている肩がビクリと震えた。ちらりと視線を上げると、口元を手で押さえ反対側を向いている。
「……レヴィ、どうしたんだ?」
「………………何でもない」
どこか様子がおかしい。何でもない風には見えず顔を覗き込もうとするが、さらに顔を逸らされた。一体どうしたのかと首を傾げていると、反対側から笑い声が聞こえてくる。振り返るとフィデスが大笑いしていた。
「いやぁ本当に、ルティ君はすごいな!ふふっ……さて、もう大丈夫みたいだし、ボクも自分の部屋に戻るね」
そうして笑うだけ笑った後、フィデスは去って行った。扉が閉まるのを見届けてから、再びレヴィへ視線を向ける。手で覆われている隙間から見える肌は、少しだけ紅潮しているように思えた。
当のレヴィ本人は、隠した口元が緩んでしまっている。優しいと言われたのは初めてで歓喜と動揺が入り交じり、強く心を保たなければとてつもなくだらしない顔を見せてしまいそうだった。
「……もしかして、なんか照れてる?」
当然ながらルティウスには自覚が無い。
窓の外は間もなく日没の頃。夕陽の赤い光が部屋の中に差し込み、静かに二人を照らしていた。
***
その日の夜。
安静にすべきと断固として譲らないレヴィが許さなかったため、ほとんどの時間を部屋の中で過ごす事になった。
気を利かせ再び訪れたフィデスから夕飯を受け取り、そのまま今後についての相談をした。目を覚ましてすぐは本調子ではなかったものの、ルティウスの体調は時間の経過と共に回復していった。これなら翌日には出発できると二人の神…特に過保護な水の竜神を説得し、明朝には発つと決定した。
そしてベッドへ横になりあとは眠るだけとなった頃。
「……レヴィ、まだ起きてる?」
「…お前の魔力が動けば私も起きると、前にも言っただろう」
「そういえば、そうだったな」
ここへ初めて来た夜とは違い、すぐ隣のレヴィはルティウスに背を向けている。その事に少しだけ寂しさを感じたルティウスが、そっと身体の位置をずらし近付いていく。
トン…と、背中が軽く触れただけ。ただそれだけで温もりが伝わり、心の中は安心感で満たされる。
「……心配かけて、ごめんな」
「………………」
自分が至らないばかりに、優しい竜神が過保護になるほど心配させたのだとルティウスは自覚している。だからこそ謝っておきたかった。
「でも、俺は大丈夫だから」
「わかっている」
けれど心配は尽きない。この少年は無茶ばかりするから。
「なぁ、ここからベラニスって遠いのか?」
この話はこれで終わりだと言わんばかりに、唐突な問いが投げ掛けられる。こうして切り替えが早いのは、ルティウスの長所でもあるのだろうと思考の片隅で思う。
「モアとベラニス自体がそれほど遠くはない。当時は交易もあったはずだ」
「そっか……」
凄く興味があった。千年もの遥かな昔に栄えたモアという国。そして今とは違うだろう当時のベラニス。聞いてもいいか悩むが、まるで心を読んだかのようにレヴィからその話に触れてきた。
「モアの事が気になるんだろう?」
「あ、やっぱりわかった?」
顔は見えないのにレヴィが笑っていると分かるのは、寄り掛かっている背中から微かな揺れを感じたから。
「モアは当時の世界の中でも、群を抜く大国だった。城の代わりに大神殿が国の中央にあり、そこを統べるのは王ではなく、聖女と呼ばれる者」
「…神殿?じゃあ、宗教国家...って事?」
「近いものだな」
「聖女かぁ…今じゃ聞かない言葉だな。どっかの国にそれらしい存在がいるって噂は聞いた事あるけど」
「あの国もまた、水の神を信仰していた」
珍しく饒舌な気がして、背中に触れるレヴィの気配を探る。知らない事を教えてくれるのは嬉しい。けれどこの先に、知らなくていいはずの事も含まれてしまいそうで少しだけ身構えてしまう。
「信仰の対象は神であるはずなのに…実際に崇められているのは、神と語る事の出来る聖女そのものだった」
その一言にふと思い出す。かつては人と神の距離が近かったのだとレヴィが言った事を。何よりも『聖女』の話をする彼の声は、普段よりも優しく感じられた。まるでその人の事を知っているように。
「……レヴィ?」
「そして彼女は…………彼女を妬む者達によって…………」
心なしか声が弾んでいるとさえ思えていたのに、最後はまるで絞り出すようだった。その先を直接言葉にする事は無かったが、言われなくとも理解出来てしまった。
「…殺された、のか?」
「………………」
無言の肯定。ただそれだけで、ルティウスの中でいくつかの点と点が繋がった。
モアを消滅させたのは自分だと打ち明けたあの時と、今のレヴィから感じられる雰囲気はとてもよく似ていたから。
きっとレヴィにとって『聖女』とは、何よりも大切な存在だったのだろう。そんな人を奪われて、怒り狂った結果がモアの消滅なのだとしたら…。
背中を触れさせたまま、首元の石を握る。これは彼との繋がりの証。だからきっと伝わるだろう。自分は奪われたりしない、レヴィが望んでくれるなら共に居よう。想いを乗せた少しの魔力を手の中の石へ込めていく。すると背後から少しだけレヴィが動くのを感じた。
静かに夜は更けていく。温かな背中に少しだけ寄りかかったまま、ルティウスは眠りに落ちた。




