0222
左腕でファムを抱き、凍り付いまま動かない足元など気にも留めずに睨み返すリーベルは、真っ直ぐに切っ先の軌道を見つめる。
剣士であるリーベルにとって、素人の衝動的な特攻など取るに足らないもの。焦燥も狼狽も垣間見せることなく、最低限の動きで刺突を回避すると、ファムの背に添えていたはずの右手で短剣を握る男の腕を掴み上げた。
「…くそっ!離しやがれ!」
いきり立つ男の腕を掴んだ右手に、渾身の力を込めていく。ただそれだけで男は苦痛に顔を歪め、握っていた短剣は乾いた音を立てて地面へと落下した。
「⋯悪いな。以前の俺があんたにした事は、詫びる。でもよ⋯⋯」
もしも夜明け前の自分がこの男と遭遇していたなら、抵抗などせずに復讐の凶刃をその身へと食い込ませていただろう。
ファムの小さな身体を抱く左腕に微かな力を込めて、しかしリーベルは迷いなく、陰りを捨てた蒼い瞳を向けて言い放った。
「あんたは、一人の父親になった男として、この弱ってるガキの命が失われて、平気でいられんのか?」
尚も呼吸は浅く、弛緩したままリーベルに抱えられるファムの体温は低いまま。一刻を争うだろう事は分かっていても、だからといって自分を強襲した目の前の男を捨て置く事も出来なかった。
「もしもコイツが手遅れになっちまったら⋯あんたは、俺と同じ愚を犯す事になっちまうって、分かってんだろ?」
諭すように語りかければ、男は次第に表情を歪めていき、やがてその場へ崩れるように座り込んでいった。
復讐に取り憑かれていた男の沈黙と共に、リーベルの足止めをした魔道士も、逃げ道を塞ぐように囲んでいた男達も、全員が言葉を失う。
耳に届くのは、怒りの矛先を失い蹲る男の嗚咽と、リーベルの腕の中で繰り返される、浅く短いファムの呼吸の音だけ。
実質の制圧は完了したと判断し、男の腕を掴んでいた右手を離すリーベルは、再び両腕でファムを抱きしめる。そのまま意識を鎮め、全身に闘気を漲らせていった。
格の違いを示すように迸る闘気はその場にいる全員を萎縮させ、しかしリーベルはそれだけに留まらず、闘気を纏わせたまま両足へと力を込めていく。
「⋯許せなんて生温い事は言わねえよ。でもよ、今だけは⋯推し通らせてもらうぞ⋯⋯!」
足元で蹲る男を一瞥し言葉を投げ掛けてから、リーベルは渾身の力で、足を止めていた魔法の氷を蹴り砕いた。
「嘘だろ⋯俺の氷魔法が⋯!」
驚愕する魔道士が焦りの滲む声で呟くが、リーベルは気にした素振りもなく悠然と一歩を踏み出していく。
自分は魔法の才に恵まれなかった。
だがリーベルの周りには、優秀な神官として皇妃に召し上げられるほどの自慢の姉と、自力の努力だけで魔道士として大成した幼馴染がいた。
「俺にはよく分からねえけどよ、もっときちんと魔力を制御してみろや。そうすりゃ、もっと腕の立つ魔道士になれるかもしれねえぜ?」
リーベルなりの精一杯の激励を吐き捨てて、ゆっくりと路地裏から歩き出す。未だ呼吸の浅いファムを救うため、再び駆け出そうとするリーベルを呼び止めたのは、他でもないリーベルを殺そうとまでしていた、絶望に暮れるあの男だった。
「⋯⋯北のはずれへ行けよ」
走り出そうとしていた足をピタリと止め、リーベルはちらりと振り返る。
真意を探るように視線を向ければ、男はどこかバツが悪そうに俯いたまま、けれど先程までとは明らかに違う、濁りのない目を地面へと落としていた。
「北区のはずれに、見習い神官のいる診療所がある⋯俺の妻が無事に産めたのは、そこの医者のおかげだ⋯⋯」
言われてからリーベルは、僅かに逡巡する。
広大な中立都市ベラニスの北区。そこはフォンス家と所縁のある場所も多く存在し、リーベルにとっては最も馴染みの深いエリア。悲しみから逃げるような生活を送っていたからこそ、無意識に避けていたと思い出す。
顔馴染みと鉢合わせる可能性を考慮していたが、くだらない意地のために選択肢のひとつを潰せば、ファムは助からないかもしれない。
「⋯⋯どの面下げて、って感じだな。全く」
自身の愚行を省みて、自嘲気味に口角を釣り上げる。だがすぐにもリーベルは、座り込んだままの男を見下ろして、優しくも普段と変わらない粗暴な口調で呟いた。
「事が片付いた後なら、いつでも受けてやる。殴り足りねえなら、とことん付き合ってやる。だから⋯⋯──」
一言だけを残して、リーベルは気迫だけで立ち塞がる男達を威嚇し路地裏から駆け出していった。
息を飲む音が聞こえた気もするが、リーベルは振り返らなかった。
──ちゃんと、立派な父親でいてやれ。お前じゃなく、子供のために!──




