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竜と神のヴェスティギア  作者: 絢乃
第二十話

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219/223

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「⋯⋯⋯⋯」

 静かに見上げてくる少年は、何も言わずに柔らかな銀色の瞳を瞬かせている。

「⋯⋯ンだよ⋯⋯見世物じゃ、ねぇぞ⋯⋯⋯」

 子供に対して取る態度ではない。既に二十代も半ばのリーベルは、それだけの分別すら失うほどに精神を摩耗しきっていた。

 何も言葉を発さない少年を無視して、リーベルは何度も深い溜め息を吐く。徐に空を見上げれば、もう間もなく朝日が登ろうとしている時刻だった。

「⋯⋯ここは、いい街だね」

 しばらくして、少年はようやく一言を、絞り出すように呟いた。

 だが吐き捨てられた言葉の意味を、リーベルには理解が出来ない。

「ハァ⋯?どぉこが、いい街だってんだ⋯⋯」

 相変わらず粗雑な口調のまま、酒の残る危うい呂律でどうにか返すと、少年は微かな笑みとともに、子供の口から零れてはいけない残酷な現実が囁かれた。

「ここなら、勝手に死んでも⋯誰もが放っておいてくれそうだから⋯──」

 咄嗟に、リーベルは少年へと振り返る。

 何を言っているのか、理解が追いつかなかった。

「⋯おい、お前⋯⋯何を、言って⋯⋯⋯」

 どうにかして声を絞り出すものの、ろくな返事が出来るだけの冷静さは既に打ち砕かれていた。

 穏やかな苦笑を滲ませる少年は、乱れ汚れたオパールの前髪から覗く銀色の瞳を、今一度リーベルへと向ける。

「さいごに⋯⋯おもしろそうなおじさんにも、会えたし⋯」

 小さな唇がゆっくりと動き、自身の最期を語る。

 その瞬間、リーベルの感情は嵐のように激しく揺れ動き、同時にふつふつとした怒りが込み上げ始めていた。

「…ッ!ンの…バッカヤロウがぁ!」

 これほどの怒鳴り声を上げた事など、今までに一度も無い。

 しかし声に込めた怒りは、隣で絶望を受け入れてしまう少年ではなく、自身も含めたこの世の全てに対する、心からの本音でもあった。

 突然の怒声に、びくりと肩を跳ねさせる少年へ視線を向けた時、大きな銀色の瞳を捉えたはずの視界はじわりと歪んでいた。

「……おじさん?」

 少しだけ心配そうに見上げてくる小さな顔は、さらに歪んだ視界のせいでまともに見る事が出来ない。自分が泣いていると気付くのは、少年の静かで落ち着いた声に指摘された時。

「悲しいの…?どこか、痛いの…?」


 死を受け入れるほどの絶望の中に在りながら、それでも他人を案ずる事のできる優しい子供を、こんな場所で朽ちさせるわけにはいかない…。

 世の中の不条理全てへの怒りを隠さず、頬を伝う涙を手の甲で乱暴に拭ってから、リーベルは少年を見下ろし強く言い返した。

「おじさんじゃねえ!俺はまだ二十四だ!」

 ぽかんと銀色の瞳を見開く少年を見下ろして激昂した末に、リーベルが放ったのは呼称の訂正。

「⋯⋯⋯え?」

 少年はどこか間の抜けた声を漏らして、何度も瞳を瞬かせている。

 その表情からは、死を覚悟した子供の悲壮は感じ取れない。ただ純粋な戸惑いと、少しの好奇心が垣間見えていた。

 衝動に任せて怒鳴りつけてしまった事を悔いるように、リーベルはがりがりと頭を掻きながら再びその場に腰を下ろす。視線を逸らし不機嫌な顔を浮かべる男を不思議そうに見つめる少年は、拭い切れていない諦念を滲ませた言葉を吐き続ける。

「⋯やっぱり、おじ⋯⋯お兄さんに、最期に会えてよかった⋯ちょっとだけ、楽しかった⋯⋯」

 またもやおじさんと呼びかけた声へ鋭い視線を向けるが、穏やかすぎる微笑を目の当たりにして反論しようと開いた口を噤んだ。


 何があれば、こんな幼い子供にここまで、何もかも全てを諦めさせられるものなのか。

 僅かに鎮まりかけたはずの怒りが湧き上がるのを自覚し、リーベルは酔いの残る加減の利かない腕で少年の頭を抱き寄せ、ぽつりと小さく問い掛けた。

「坊主、名は?」

 汚れてはいるものの、その身なりはベラニスに暮らす庶民の物とはかけ離れた、隠し切れない高貴さを滲ませている。本来は相当な身分にあっただろう少年への興味は、朽ちようとしていたはずのリーベルに生きる力を灯させようとしていた。

「⋯⋯知って、どうするの?」

 しかし返ってくるのは微かな警戒と、拒絶を含んだ小さな声。

 死を願うほどの絶望を味わったのなら、致し方ない事かと自分に言い聞かせて、しかしリーベルは引き下がる事なく少年へと詰め寄る。

「っせぇな⋯名前も知らなきゃ、呼びにくくて仕方ねえだろうが!」

 リーベルとしては、至極真っ当な正論をぶつけたつもりでいる。しかし少年は怪訝な顔をしてリーベルを見上げ、あまりにも鋭い指摘の一言を容赦なく叩きつけた。

「⋯⋯人に名前を訊くなら、自分が先に名乗るものじゃ⋯?」

 

 その言葉は、リーベルが幼い頃から幾度も、姉からしつこく指摘され続けてきたもの。

 がさつな性格の弟にも貴族の子息として正しい教養をと、繰り返し叱られた懐かしい過去が、突如としてリーベルの脳裏を駆け巡る。



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