0021
「もうクレーターの魔力域に入ってるんだ、普通の魔物なんて近付けるはずがないよ」
ルティウスの何倍も気を張り、周囲への警戒を続けているフィデスは当たり前のように言う。普通の魔物は近付けない。けれどそれは『普通ではない魔物』ならば待ち構えている可能性があると言う意味にも取れた。
「…居るとしたら、どんな魔物だと思うんだ?」
「ん~…アンデッドとか、死霊の類かなぁ?」
「…………死霊?」
「あそこはね、かつては『モア』という国があった跡地。何も知らないまま、死んだ事にも気付かず一瞬でこの世から消滅した人々の魂は、誰からも慰められる事なくそこに留まり続け、自然の魔力を乱している…そうして本当に誰も近寄れなくなって、人々の記憶と歴史から忘れ去られ、存在そのものが消された…そんな場所なんだ……」
噂でしか聞いた事の無かった荒廃地域の真相は、ルティウスにとって衝撃だった。言葉を失い、立ち止まりそうな程。後続のレヴィに背を押されなければ本当に立ち止まっていたかもしれなかった。
「何でそんな災害が……」
「………………」
平和に暮らしていただろう人々が一瞬にして消滅する規模の災害が、どうして後世に伝えられず無かった事のように扱われているのだろう。皇族として民を守り導く為の教育を受けてきたルティウスは、奪われた命達を悼む想いが膨らむのを自覚する。せめてどこかで、手向ける花でも摘んでくれば良かったと考えるが、既に辺りは花どころか雑草の一つも見つけられない荒れ地になっていた。
「…それ、もっと早く教えて欲しかった」
余りの悔しさに立ち止まってしまう。歴史から消される程の長い年月、誰からも偲ばれる事すら無かった人々を想うと、切なくて苦しかった。
「……どうしてだい?」
「せめて……自己満足かもしれないけど…でも、俺は知ったから!亡くなったモアの人々に、花でも添えたかったんだ」
ルティウスの言葉を聞いたフィデスは驚嘆し、しばらくして微笑んだ。人を揶揄って遊んでいた時とは全く違う、とても優しい笑顔を浮かべている。
「ルティ君は、本当に優しい子だね」
自分より背の低い少女が、精一杯に腕を伸ばしてルティウスの頭を撫でる。その眼差しは、まるでレヴィのように神秘的な輝きを帯びているように見えた。
「キミみたいな子が他にも居たなら、彼らの魂も浮かばれただろうね」
「……まるで、神様みたいな事を言うんだな、フィデスは…」
「そうかい?ボクは思った事を言っただけだよ?」
明るく返すフィデスに、少しだけ心が軽くなるのを感じた。
献花の用意は出来なかったけれど、せめて祈ろう。かの地に生きた人々の魂が安らかに眠れるようにと。そう気持ちを切り替えて再び歩き始め、一刻も経たない内に目的地へと到着した。
辺りには本当に何も無く、目に見える程の濃い魔力がそこかしこに充満している。クレーターの端に立っていても、反対側を視認する事は叶わない。あまりにも広大な窪みは断崖のようで、かつて起こったという災害がどれだけ凄まじいものだったのかが推し量れる。
「魔物…は、居ないみたいだね~?」
どす黒い靄が沈殿するクレーターの底からも、何かが居る気配は感じられない。護衛としての仕事は現状無いに等しく、ならば…と、ルティウスはその場に膝を着き、両手を組んで瞳を閉じる。誰かも知らない、理不尽に奪われ消え去った命達。安らかにとの願いを込めて祈りを捧げた。
けれど直後、事態は一変する。
「……伏せろ」
一人静かに辺りを警戒していたレヴィの一言を皮切りに、周囲は黒い炎の雨に包まれた。咄嗟に展開させていた水の結界によって守られてはいるが、炎が触れる度に爆発が起こり衝撃がルティウス達へ降り注ぐ。
「何だ、一体?」
「……モアの民、およそ百万人分の魂が寄り集まった成れの果て…死霊の王ってところかな……」
「そんなに?」
かつてこの場所で生きていた人々の多さに驚く。広大だとは思っていたが、国の規模もまた、現代ではクラディオス帝国ですら霞むほどの大国だったのだろう。
止む気配を見せない黒炎の雨と爆発のせいか、少しだけ魔力の消費を感じたルティウスは振り返り、背後で結界を維持しているレヴィの様子を確かめる。涼しい顔をしているが、自身の魔力が尽きれば彼もどうなってしまうか分からない。
せめて炎を降らせている者の正体と居場所さえ掴めれば…その思考がレヴィへと届いたのか、左手で結界を維持したまま、今度は右手が動き何かの魔法陣を生成し始めた。
「奴は実体の無い死霊の集合体。あの下に散らばる黒い邪気、それら全てが、この炎を降らせている元凶だ」
睨むように細められたレヴィの目がクレーターの底を向いている。視線の先を追って黒い靄を観察していると、レヴィの手から放たれた魔法陣がクレーターの奥へと飛翔し、瞬時に拡大し始める。大きな青白い魔法陣から光の柱が立ち上るのと同時に、再び魔力の消費を感じた。
「レヴィ……それ、使って大丈夫なやつ?」
「少し魔力は使うが、こうでもしなければ奴を実体化はさせられん」
何かを操るようにレヴィの右手が動いている。ゆっくりと握られていく指先が完全に閉じた時、魔法陣が大きな音を立てて割れていった。
「ど、どうなったんだ……?」
「水という『物質』を捩じ込ませて、無理矢理に実体化を促した。そろそろ姿を現すぞ」
「……なんて強引な」
「剣を構えろ。ルティの魔法剣なら、奴にも通じるだろう」
レヴィの指示通り、ルティウスは抜剣し刃へ魔力を流し込んでいく。死霊系の魔物と戦った経験は無いが、頼もしく博識なレヴィがきっと援護してくれるだろう。そんな確信を持って、いつでも飛び出せるよう構えた。
「フィデスはレヴィの近くに!」
「はぁい、よろしくね~」
こんな状況でも変わらないフィデスに少しだけ和むが、現在は既に交戦中。意識を切り替え、寄り集まっていく『邪気』と呼ばれた黒い靄の塊を注視する。やがて姿を成した『何か』は、巨大な人の骨に漆黒の靄と黒炎を纏った禍々しい見た目をしていた。




