0021
「……とりあえずそちらも落ち着いたみたいだし、テラピアちゃんを助けてくれた礼に、ご馳走させてくれ」
本当は今夜は非番なのだと嘆くリーベルさんの計らいで、俺達は近くにある飲食店へと案内される事になった。食事が出来る店を探している途中だったので、俺達としては丁度よかった。
込み入った話も出来るようにと個室へ通され、みんなはそれぞれ席に着く。当然のように俺の隣にはレヴィが座り、向かえにフィデスとテラピアさん、そしてリーベルさんという位置だ。
注文した料理や飲み物が揃い、軽い雑談を交わしながら食べていく。リーベルさんは現在三十四歳で、元々がここベラニスの出身である事。そして今のベラニスが東西南北で区分けされ、それぞれに自警団が存在している事などを教えてくれた。何度か来た事のあるフィデスも知らなかったようだが、区分けについてはここ十数年での再編によるものだとリーベルさんは語る。
そうした『誰もが知っているだろう話』が一段落した頃には食事も終え、酒の入ったグラスを片手にリーベルさんがテラピアさんへ目配せし、何かを頼んでいた。
「テラピアちゃん、いつものアレ、よろしくな」
「わかりました!」
返事の直後、彼女から魔力の放出が始まる。こんな場所で魔法?と思うが危険な感じはない。一体何の魔法なのかと首を傾げていると、隣からぽつりと答えが届けられる。
「風の魔法…遮音結界か」
「お?兄さんよくわかったな?」
「………………」
「怖いなぁ、睨まないでくれよ」
リーベルさんが話す度に殺気をチラつかせるレヴィに溜め息が零れる。しかしせっかく個室なのに、こんな結界まで必要なのだろうか?
「さて……まずはどこから話すかな…」
「リーベルさん、サリア様の事を聞かせてあげた方が良いんじゃないです?」
「そうだな……」
十歳の時に亡くなった母について、俺は知らない事があまりにも多い。そして弟であると言ったリーベルさん自身の事についても、興味は尽きなかった。そうした話をするために、わざわざ個室を選んだ上に遮音結界まで使ってくれたのだろう。
「まず結論からな。俺はお前の母親、サリアの弟だ。お前からすれば、俺は叔父って事になるな。最後に会ったのは産まれてすぐの頃だから、まぁ覚えてなくて当然だ」
「叔父、さん…?」
「叔父さん…う~ん感慨深い……」
話しながらグラスの中身を一気に煽る。既に何杯目かはわからない。俺も酒を勧められはしたけれど、あまり得意ではないので丁重に断り続けている。
「ま、俺はすぐにわかったけどな。ルティウス、お前は本当に、姉さんによく似てる」
子供の頃から確かに言われてきた。母と瓜二つなほど似ていると。そのせいで女性に間違われる事も多く苦労はあったが、今回ばかりはこの顔のおかげで気付いてもらえたのだと、前向きに捉えられた。
「帝国に嫁いでからは、皇位だ何だのしがらみのせいでほとんど会えてないけどな。葬儀に顔を出す事も許されなくてよ……すまなかったな、辛い時に一緒に居てやれなくて…」
あの時は確かに辛かった。自分のせいで母が死に、頼れる者も居なかった頃。運良くアミクスという友人と出会えたおかげで立ち直れはしたが、あの時にもしも叔父が傍に居てくれたのなら、母は死なずに済んだのかもしれない。
「姉さんは優秀な神官だったからな。きっと神託やら何やらで、自分がどんな最期を遂げるかも知っていた。そして俺や実家を巻き込まないために、誰にも……息子のお前にも、家族の事は話さなかったんだろうよ」
その気持ちは少しだけ理解出来る。存在が露見する事で云われの無い咎が向いてしまう恐れがあると知っていたら、俺が同じ立場でもきっと秘匿としただろう。
「ルティウス、本当に…無事でいてくれて良かったよ」
何度か言っている「無事で」の台詞に何故か引っ掛かりを覚えた。そう遠くないとはいえ、グラディオスとベラニスは距離がある。国の状態は伝わりにくい気もするが、彼には自警団の長という立場が味方している。俺が脱出した後の帝国について何か知っているだろうかと尋ねようとして、先に叔父から事実が告げられた。
「何でベラニスにルティウスがいるのかは察してる。いいか?今の帝国には、絶対に近付いちゃいけねえぞ…なんせ第二皇子の天下だからな」
「ラディクス兄様……」
あれから数日しか経っていない。それほど大きく事が動いたとは思えないが、話しぶりから良い状況ではないのだろうと内心で覚悟はしている。
「そう、そのラディクス第二皇子が軍を率いて帝国を制圧した。第一皇子は不在で難を逃れたが、皇帝は応戦し敗北…生きてはいるものの、城の尖塔に監禁されているってもっぱらの噂だ」
そして所在不明の第三皇子は現状、行方不明だが反旗を翻す可能性の高い存在としていずこかに潜伏中、見つけ次第生死不問で捕縛せよとの扱いになっていると話してくれた。それが俺の無事を喜んだ理由なのだと…。
帝国内では指名手配が出されており、近付けばどうなるかはわからない。ベラニスへ訪れたのは正解だった。
「アミクスは…魔道士団のヴェリター侯爵家は?どうなったか知ってる?」
「…あ~、魔道士団なぁ。確か…元から第二皇子側だって話を聞いているが⋯」
「⋯え⋯⋯⋯?」
その一言に血の気が引く思いだった。全身から力が抜け、意識がぐらつくような目眩を覚えた。第二皇子に付いたのなら危険は無いかもしれないが、アミクスが俺を裏切ったという現実を直視するには、まだ覚悟が足りていなかったのかもしれない。
「…ルティ?」
俺の状態に気付いたレヴィがそっと声を掛けてくる。動揺している事はきっと筒抜けなのだろう。隠し事はできないものだなと笑い返してみるけれど、レヴィは真剣な表情で俺を見ている。
「で、帝国がそんな状態だから逃げてくる人も多くてな。今のベラニスは帝国から西へ逃げたい民と、南西のフラーマから逃げてきた民の一部が集中してるってわけだ」
それが、ベラニスの宿が空いていない理由なのだろう。けれど通過点に過ぎないベラニスに、それほどまで多くの人が集中するのはどこか不自然にも思えた。フラーマの民はどこへ向かおうとしてベラニスへ来たのか。そして帝国の民は何故まだベラニスに留まっているのか。
テラピアさんに絡んでいた暴漢もまた、フラーマから逃げ延びた民の一人。かの国の治安が悪化しているという話は、帝国にいる時から聞いた事があった。民が国外逃亡を選ばなければいけないほどの情勢に心苦しくなる。一刻も早く協力者を得て、まずは自国を正さなければと思うが、そこへ至る難易度の高さを知りさらに気持ちは沈んでいく。
「あの、大丈夫ですか?何だか顔色が優れないようですけども…」
「え?あ…本当だ!ルティウス、大丈夫か?」
自覚は無かったけれど、二人もまた俺を心配している。そんなにも酷い顔をしているのだろうか。
「今夜は一先ず休め。宿はどこだ?送っていくぞ」
「あ、あのね~?ボク達、まだ宿が決まってないんだよね~…」
俺の代わりにフィデスが答えてくれた。ほぼ全ての宿が満室である事は叔父も知っているのか、納得しつつも困ったように頭を掻いている。
「えっと…でしたら助けて頂いたお礼に、私の方で滞在場所を提供しましょうか?」
その場にいる全員が、彼女へと視線を向ける事になった。泊まる場所が決まっていない俺達としては願っても無い話だが、そこまで世話になっても良いのだろうか。しかし叔父は彼女の提案に賛同する素振りを見せている。
「そうだな、テラピアちゃんの所なら好都合だろうな」
「はい!お任せ下さい!」
困惑する俺達を気にせず、既に決定事項として扱われているようだ。
「それじゃ、積もる話もあるが今夜はお開きにしとこう。明日、具合が良くなっていたらまた話そう」
叔父は言いながら立ち上がり、食事の支払いがあるからと先に個室を出ていく。残された俺達はテラピアさんと共にゆっくりと後を追う。少しだけふらつくような気がしたけれど、案の定隣に立つレヴィの腕が支えてくれた。
そしてフィデスがこそっと「皇子様だったんだね?」と耳打ちしてきた。そういえば俺の素性は話せていなかったな……なんて考える。彼女の正体を知った時に伝えるべきだったと反省しつつも「基本的に秘密で」と一言だけ補足しておいた。
そして店を出た所で、俺達は叔父と別れる。彼は自警団の宿舎で寝泊まりをしており、北門の手前にあるから何かあれば訪ねてこいと、場所まで教えてくれた。
「さて、では参りましょうか」
「あ、あの…テラピアさん?」
「はい?」
「ちなみに、どちらへ?」
「私の実家になります」
それだけ言って彼女は歩き出してしまう。仮にも女性の実家など本当に行ってもいいのか悩んでしまう。フィデスの存在があるとはいえ、こちらには男が二人もいるのだ。彼女の両親や家族が訝しまないだろうかと心配になってくる。
「それと、私の事は『テラピア』とお呼び下さい。サリア様のご子息からさん付けなど畏れ多いです」
やはり彼女は…テラピアは母の事を知っている。一体どういう関係なのか気にしつつも彼女の後について行き、街の外れへと向かった。
閑静な住宅街の一画に佇む、一際大きな屋敷。門の前には番をしている兵も立っており、彼らが守る門そのものも美しい細工が施されていて家の格を窺わせている。
「お疲れ様です」
「これは、テラピア様!お帰りなさいませ!」
「ただいま帰りました。早速で申し訳ないのですが、彼らは私のお客様です。今後も出入りがあるかと思いますので、ご紹介しておきますね」
「畏まりました。ようこそお客様。当家へのご滞在が良きものとなりますように」
テラピアは門番へ俺達を紹介してくれる。彼らは姿勢を正し俺達へ敬礼をする。それを見た俺も、長年の癖なのか慇懃に返してしまった。
右手を胸に当て、左手は腰の剣を押さえ、ゆっくりと頭を下げての一礼。皇子として叩き込まれる作法はどんな場所でも役に立つ…マナーの教育係から言われてきた事を思い出し、教わったままを実践するように身体を動かした。
「夜分の訪問にも関わらずの応対に感謝致します」
一礼を終えて顔を上げると、何故かその場にいる者全員が固まっていた。テラピアだけは、少しだけ微笑んでいたけれど。
姿勢を戻してレヴィを見上げ、フィデスを見下ろして、何かおかしかったかと二人に視線で問う。フィデスはにこにこと笑い、レヴィは溜め息を吐いていた。
「…………え?」




