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竜と神のヴェスティギア  作者: 絢乃
第十九話 Concentus

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 艷めく黒髪をさらりと耳にかけ、感情豊かに微笑む美しさは、これまで出会ったどの女性とも違っていた。

 夜明けを思わせるウィステリアの瞳をじっと眺めていたルティウスは、心の奥底に今まで経験したことの無い想いが生まれるのを感じ、右手で無意識にコートの胸元を手繰り寄せる。

「それにしても⋯ここ、ルナリス湖よね?」

 ルティウスの抱いた内心の機微には気付かないまま、スペラは辺りをゆっくりと見回す。

 白い輝きを帯びたルナリスフローラが咲き誇る、静かな夜の湖畔。水場の近くでありながら、何故かあまり寒さを感じないこの場所は、スペラもよく知る光景が広がっている。

「えっとね⋯多分、君は攫われたんだ。それで、この場所に連れてこられて、魔法陣に囚われていて⋯」

 レヴィのように全てを見通せた訳ではなくとも、推測出来るだけの材料は揃っていた。被害者でしかないスペラの胸中を慮るあまり言葉を濁しつつ話すルティウスだが、しかし当のスペラ本人は辛さなど感じさせない穏やかな表情のまま、耳に残る心地良い声でルティウスへと返す。

「ハッキリ言ってくれてもいいわよ?こういう事ね、実は初めてじゃないんだぁ⋯」

 ぽつりと告げられた一言に、レヴィですら笑いを止めてスペラへ視線を向けた。

「初めてじゃ…ない?」

 驚愕の告白に目を見開くルティウスへ、スペラは気にした様子もなく静かに首肯する。

「うん。小さい頃からね、時々あったのよ。ちょっとした誘拐未遂?みたいな事…」

 完全に笑みを消し、真剣な表情を浮かべるレヴィが密かに金色の【眼】を輝かせ、スペラの全てを見通すように視線を流す。

 普通の人間と何ら変わりはない一人の少女。しかしその奥底に眠る魔力の核…魂と呼ばれる場所に特異な色が隠れ潜んでいる事を、レヴィだけが静かに看破していた。

「そんな⋯危険すぎるよ!誰か⋯⋯守ってくれる人は⋯?」

 家族は⋯と言いかけて、ルティウスは寸でのところで口を噤む。

 しかしルティウスが何を訴えたかったのかなど、劇場という舞台の上に立ち、数多の観客を見てきたスペラにとっては、声に出しているのと変わらないほど分かりやすかった。

「あっ、大丈夫。お父さんもお母さんも、普段はちゃんと護衛を雇ってくれてるのよ?でも今日に限って、その人がお休みでね⋯」

 幾重にも重なった不運による被害だと、スペラは明るく答える。

 けれどレヴィは何者かの意図を感じ、疑念を拭えぬまま表情を顰めてスペラをじっと見つめていた。


 真相を詳らかにするべくさらに問おうとしたその時、レヴィは慣れた魔力が近付いている事に気付く。

 やかましくも心強さを覚える、古き友の目立つ気配。

 メルカトスに向けて北上していた街道からは、それなりの距離があるルナリス湖。しかし移動に使用していた馬車のまま向かってくるのなら、それほど時間は掛からない。

「⋯あれ、馬車の音?」

 歌姫と呼ばれるスペラもまた、卓越した聴力から近付きつつある音に気付き、ゆっくりと振り返った。

「⋯我々の連れだ。案ずる事はない」

 スペラと同じ方角に視線を向けるレヴィが呟けば、遅れて気付いたルティウスも弾かれたように視線を上げる。

「向こうも、片付いたのかな?」

 戦闘の渦中から飛び出し、レヴィと共にスペラの救出を優先とした。置いてきてしまった事に一抹の不安を抱いていたが、無事に追いかけて来ていると知り安堵の笑みを浮かべていた。

「少々、仕掛けを残してきたからな。奴らだけでも、対処は出来ただろうさ」

「⋯⋯仕掛け?」

 一体何をしたのかと、不思議そうに首を傾げるルティウスをちらりと見て、レヴィは自信に満ち溢れた微笑を滲ませる。

「フィデスにでも聞くといい。どうせ、聞かなくとも嬉々として話すだろうがな」

 言いながらレヴィは、悠然とその場に立ち上がる。そのまま右手を伸ばし、導くようにスペラへ差し出した。

「魔法陣の影響はほぼ全て浄化したが⋯動けるか?」

「あ、うん⋯大丈夫みたい」

 差し伸べられた手を取り、スペラもまた立ち上がった。ふらつく事も無くしっかりと大地を踏み締める姿には、後遺症の懸念なども感じられない。

 追随するようにルティウスもその場に立ち、そしてスペラの隣で⋯やはり、ウィステリアの瞳を瞬かせる表情を僅かに見上げてしまう事となった。

「⋯⋯なぁ、レヴィ」

「何だ」

「⋯俺、やっぱりもう、身長伸びないのかな⋯?」

 男はともかく、女性と並んでも常に見上げなければならない自身の背の低さに、いよいよ絶望を抱きそうになる。

 藁にも縋る思いで切実にレヴィへ問うが、返ってくるのは優しくもどこか楽しげな笑みと、頭を撫でてくる大きな白い手だけ。

「おい、何かはぐらかしてるだろ!」

「そんな事はないさ」

 伸ばされた左手が、わしゃわしゃと深い緋色の髪を撫でる。少しだけ弾んだ声で言われれば、否定されていても説得力など皆無だった。

「ふふっ、ルティウス君、やっぱり可愛いわね」

「かわっ⋯!」

 もはや何度目か分からない、女性からの『可愛い』発言。

 どれほど可憐な容姿をしていても、心は立派な男として在りたい年頃のルティウスにとって、それは褒め言葉でも何でもなく、慣れてはいても屈辱であった。

「⋯レヴィや叔父様くらい、大きかったらな⋯⋯」

 叶いそうもない願いをぽつりと呟き、悔しさからそのまましゃがんでしまいそうになるが、崩れ落ちずに済んだのはいよいよ視界に映り込む二頭の馬と、彼らが牽引する荷馬車の姿が迫っていたから。


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