0207
レヴィを救いたいという強い想いによって変貌を遂げた指輪は、決して安全な物ではないと釘を刺され、ルティウスは不意を突かれたように面食らってしまう。
「⋯大丈夫だと思うけど⋯⋯でも、もしレヴィが必要だって判断したなら、迷わず捨ててくれていいよ」
だが事も無げに返ってきた言葉を聞いて、レヴィは内心で大きな溜め息を吐いていた。
──誰に拾われるかも分からないのに、捨てるはずが無いだろう⋯──
声には出さず心の中だけで呟き、レヴィは再び左手を伸ばすと、普段よりも強い力で深い緋色の髪をぐしゃぐしゃと掻き回した。
「⋯わっ、ちょっと⋯!もうっ⋯いつもより撫で方が雑過ぎないか?」
黄昏の光が遠のき、夜の帳が降りつつある空の下、無言のまま髪の毛を乱されたルティウスは堪らず文句を叩き付ける。
だが返ってくるのは、あまりにも真っ当でぐうの音も出ない一言。
「お前の魔力制御よりは丁寧にしてるつもりだが?」
「なにぃッ!」
真顔で放たれた言葉の刃がルティウスの心を正確に貫き、憤慨する様子をレヴィは楽しげに見つめている。
そして金色の瞳はルティウスから逸れ、ついに傍らで横たわるスペラへと向けられた。
「⋯随分と放置してしまったな」
いつもと変わらない冷静な口調に戻ったレヴィは、座ったまま右手をスペラへと翳す。
「衰弱⋯してるんだよね?」
「ああ。あの魔法陣に囚われていた時間はそこまで長くなさそうだが⋯闇魔法はタチが悪い」
言いながら魔力を解き放つレヴィは、闇を洗い流すようにスペラへと癒しの魔法を掛けていく。
淡い蒼白の光がスペラの身体を包み、レヴィが放つ治癒魔法は小柄な体躯へと染み入るように、ゆっくり浸透していった。
「大丈夫、なんだよな?」
不安げにスペラへ視線を落とすルティウスへ、レヴィは確信を込めて返す。
「あぁ⋯特にこの場所なら、私の魔力も溢れているからな」
その一言を皮切りに、周囲に咲き誇るルナリスフローラが一斉に輝き始めた。
「⋯⋯えっ?」
既に太陽は地平の彼方へと沈み、微かな赤い残光を押し退ける濃紺の空が広がり始める中での、無数の花達の静かなる呼応。薄闇を照らすルナリスフローラの白い光は、レヴィを手伝うかのように小さな輝きを編み合わせて、未だ意識の戻らない一人の女性を優しく包み込んでいく。
「これ⋯⋯花が、彼女を助けようとしてくれてる⋯?」
見ている光景に対し思ったまま問うルティウスの眼前で、それまで目覚める気配すらなかったスペラの指先が震え、確かな回復の兆しを見せ始めていた。
「⋯⋯⋯ん⋯」
ごく小さな声が届き、意識を浮上させた女性はゆっくりと瞼を開いていく。淡いウィステリアの瞳が泳ぎ、傍らに座り込むルティウスとレヴィの姿を捉えると、ようやく彼女は明確な声を発し始めた。
「⋯⋯ここ、は⋯?」
弱々しくも透き通る声が聞こえ、治癒魔法を掛けていたレヴィは安堵と共に右手を下ろし、誰にも気付かれないほど微かに口角を上げていた。
「良かったぁ、気が付いたんだね!」
その姿は、魔物に投影されていた時の禍々しさなど欠片もなく、絹のように真っ直ぐ腰まで伸びた艶やかな黒髪と、宝石のように煌めく夜明けの瞳を湛えた、神秘的な女性そのもの。
「貴方達、は⋯?」
両腕を支えにゆっくりと上体を起き上がらせるスペラの背を、レヴィが咄嗟に手を伸ばして補助する。さり気ない手助けへの感謝を込めてスペラが微笑みを向けると、レヴィもまた満足そうに笑みを返し、そして事の真相を探るべくスペラへと尋ねた。
「それよりも⋯己に何が起きていたか、自覚はあるか?」
名乗るよりも先に問うべきと判断したレヴィの言葉に、ルティウスも少しだけ真剣な表情を浮かべてスペラに向き直る。
「⋯えぇと⋯⋯今夜は劇場もお休みだから、一人で市場でも見に行こうかなと思って、家を出て⋯⋯それからの事は、あまり⋯」
何の変哲もない、民の平穏な暮らし。
唐突に日常を脅かされただけの被害者だと確信したレヴィは、ちらりとルティウスへ目配せした。
「⋯そっか⋯⋯でも、間に合って良かったよ」
レヴィの意図を察したルティウスがすかさず口を開き、改めてスペラの無事を喜び笑みを浮かべる。
「あの⋯何があったかは分からないけど、助けてくれたのよね?ありがとう」
素直な感謝の言葉を受けて、ルティウスは微かに頬を染めて照れ臭そうに笑う。けれど直ぐに表情を戻して、再びスペラへと語り掛けた。
「えっと⋯スペラさん⋯で、いいんだよね?俺はルティウス。それとこっちはレヴィ」
「⋯⋯⋯俺?」
ようやく名乗れる雰囲気と感じたルティウスが自己紹介をするものの、スペラはウィステリアの瞳を大きく見開き、驚いたように固まっている。
「え⋯⋯?」
何かおかしな事でも言っただろうかと、思わず首を傾げるルティウスから視線を逸らすレヴィは、口元を手で押さえ笑いを堪えていた。
視界に映るレヴィの反応から、ルティウスも察する。
幼い頃から、数え切れないほど間違われてきた自身の性別。今もまた、スペラからは『女の子』に間違われているのだと気付くのに、それほどの時間は掛からなかった。
「あー、うん。一応聞くけど、俺を女の子だと⋯?」
「うん、声を聞くと確かに男の子っぽいけど、声は人それぞれだし、女の子だとばかり⋯⋯」
「ふっ⋯⋯──」
ついに我慢出来なかったのか、レヴィは手で押さえているはずの口元から笑い声を漏らしている。
ルティウスとスペラは同時に視線を向け、微かに肩を震わせているレヴィへと振り向いた。
「⋯⋯⋯なぁ、ちょっと笑いすぎじゃないか、レヴィ?」
それから少しの間、むくれるルティウスなどどこ吹く風で笑い続け、呼吸を整える頃にはスペラもまた、楽しげな笑みを浮かべていた。
「ふふっ、少し冷たい印象があったのだけど、こんなに笑う人なのね、レヴィさんって」
「いや⋯⋯普段は、ここまでずっと笑ってるなんて事、無かったんだけどね⋯」
どこか呆れた声音で返しても、スペラの表情は変わらない。




