0205
目の前で崩れ落ちていく、大きく頼もしい姿。
白いローブがふわりと舞い、海の蒼を湛えた白銀の髪が、咲き乱れる白い花弁の上に散り静かに広がっていく。
腕の中には救ったスペラを抱きかかえたまま、レヴィの身体が力なくその場に倒れていく。
「……レヴィっ!」
黄昏の中、深い緋色の髪を揺らして手を伸ばすが、小柄なルティウスでは、抱き留める事さえ叶わない。
追い掛けるように膝を着き、白皙の頬に指先で触れる。温かいはずの肌は、恐ろしく冷え切っていた。
「レヴィ⋯何で⋯⋯レヴィっ!」
瞳の奥が熱を持ち、零れ落ちた雫がレヴィの陶器のような肌を滑る。喪う恐怖に苛まれる少年の心は、しかし内側からの強烈な叱咤が繋ぎ止めた。
『泣いてる暇があんなら、聖石を握れ!』
有無を言わさない強さを含む声が脳内に響き、ルティウスははっとして瞬きを繰り返す。濡れた目元を袖で乱暴に拭い、言われるがまま首元のペンダントから下がる蒼い石を握り締めた。
「レヴィ⋯!」
喪失への恐れを噛み殺して、ルティウスは握った聖石へと魔力を込めていく。オストラの制御の下、その奔流は繋がっているレヴィへと直接流れ込み、花の褥に横たわる体躯が、微かな淡い輝きに包まれ始めた。
『⋯ったく、軟弱野郎が⋯⋯こんなガキのお守りがなきゃ保てねえとかよ⋯』
実体などあるはずもないオストラの思念。しかしその声は脳内ではなく頭上から降り注いだように聞こえ、怯えるルティウスを宥めるように悪態をつき続けている。
「俺の⋯せいなんだよ、レヴィがこんな事になったのは⋯」
少年の心に去来するのは、大きな後悔。
軽率な行動で皆を危険に晒した上、自分を救うためにレヴィが癒え切らない傷を負った。
祈るように握り締めた聖石へ魔力を込めながら、しかし指先は小さいけれど確かな異変に触れてしまう。
「⋯⋯⋯え、あれ?」
蒼い輝きを湛えた小さな雫型の石。首元で揺らめく繋がりの証に刻まれた、微かな亀裂を指先でなぞった。
「うそ⋯⋯聖石に、ヒビが⋯⋯」
それこそがレヴィの核の傷にも思えて、押し殺したはずの不安が再び音を立てて膨れ上がっていく。
『⋯ったく。世話の焼ける軟弱とクソガキだな』
ぽつりと呟かれた文句の一言。しかし言葉とは裏腹に、オストラはルティウスへと助言を与えた。
『ルティウス、思い出しやがれ。この俺の知識を以て、初めて物質創造した時の感覚をよ』
オストラに言われて、不安に歪んだ表情のまま懐へと手を入れる。
根源に引きずり込まれ昏睡から目覚めた時、レヴィを安心させるために魔力を練り上げて創った、小さな指輪。
手のひら転がり出た魔力の塊に視線を落として、ルティウスは思案する。
レヴィのように精緻な魔力制御は出来なくとも、核の傷を補えるだけの結晶さえ生み出せれば⋯──。
決意したルティウスは、懐から取り出した小さな指輪を握り締めて魔力を込めていく。
何の変哲もない銀色の指輪は蒼く輝き、握る指の隙間から溢れ出すほどの強い光が視界を染め始めた。
「何、これ⋯?」
次第に暖かな熱を持ち始める指輪は、その姿を変質させていく。飾り気すら無いただの輪は、その姿そのものが、聖石と見紛うばかりの蒼を湛えていった。
「⋯これ、聖石がそのまま⋯指輪になったみたいな⋯」
首元で揺れる雫と並べてみても、違うのは形だけ。驚きと困惑に揺れるルティウスの脳内には、正解を語るオストラの声が響き渡る。
『ま、こんなモン、軟弱や俺にとっちゃ遊び半分てところだがな?初めてにしちゃ上出来だぜ?』
初めて贈られた、素直な賞賛の言葉。意識の奥底で、まるで乱暴に頭を撫でられたような感触を覚えながら、ルティウスは変質させた指輪を握り込み、冷えきっているレヴィの手を取った。
「レヴィ⋯今度は、俺が絶対に助けるから!」
白い大きな手を掴み、手のひらへ指輪を押し付けるとそっと指先を握らせていく。そのまま両手で、祈るようにレヴィの手を包み込んだ。
首元の聖石は、今も小さな亀裂が入ったまま。しかしレヴィの肌に指輪が触れた直後から、傷そのものを守るように柔らかな魔力の膜が覆い始めた。
「⋯レヴィ、起きろよ⋯⋯⋯」
オストラに導かれるまま、ただ一心に魔力を込めた指輪。どんな効果があるかも分からず、ただレヴィの意識が戻るのを待ち続けた。
淡い白光を纏う大きな体躯は、やがて確かな体温を取り戻し始めていく。握り続けている手から伝わる温もりは、まるで核に傷が付く前のように暖かく感じられた。
『⋯もう十分だな。軟弱が目を覚ましたら、その輪っかを無理矢理にでも身に付けさせてやれよ!』
脳内に響く声と、いつの間にか頼もしく感じていた気配は、その一言を残し、静かに遠退いていく。
明らかに指輪の効果を知っているだろうオストラは、それをルティウスに教える事もなく、魂の深淵へと沈んでいった。
直後、両手で握っていたレヴィの白い指先から、微かな震えが手のひらに伝わる。
「⋯ッ!レヴィぃっ!」
戻ってこい⋯!
強い想いを込めて名を呼べば、ぴくりとも動かなかった長い睫毛が震え、ゆっくりと瞼が持ち上げられていく。
焦点の定まらない金色の瞳は戸惑うように揺れ動き、今にも泣きそうな少年の表情を捉えた。
「⋯⋯⋯ルティ?」
耳に馴染んだ低い声に名前を呼ばれ、安堵したルティウスは大きな瞳からぽろぽろと涙を零していく。
「⋯よ、かっ⋯⋯レヴィ⋯っ」
突然の泣き顔を目にして、レヴィは思わず狼狽えた。
「おい、ルティ⋯?どうして、泣いて⋯──」
理由を問おうと口を開きかけたところで、レヴィは左手の中に握らされている魔力の存在に気付いた。
暖かく、そして力強くも優しい、けれどどこか不安定な力の奔流。拳の中で息づく魔力は、まるでルティウスそのもののようにさえ感じられた。
「この小さな輪は⋯?」
スペラの身体を花の上に横たえて、レヴィはゆっくりとその場に起き上がる。
聖石と似た、しかし明らかに異なる指輪を凝視し、真贋を確かめるように竜の【眼】で深淵を探った。




