0202
しばらく前。
魔石をフィデスへと託し、強引にルティウスを抱きかかえて飛んだレヴィは、一直線にその場所へと向かっていた。
「⋯レヴィ~っ!」
「何だ」
風を切る速度で飛ぶレヴィの腕が、ルティウスを取り落とす事などあるはずがない。そう信じていても、空に慣れていない少年にとっては、その飛行速度はもはや恐怖体験でしかない。
「急がなきゃなのは分かるんだけどっ⋯!」
「⋯だから何だ?」
竜として自由に天を舞ってきたレヴィには、理解の及ばない感覚。首元にしがみついて叫ぶルティウスにちらりと視線を向けて問えば、返ってくるのは思いもよらない告白だった。
「怖いぃ~ッ!」
「⋯⋯⋯⋯」
沈黙し、僅かに速度を緩めるものの、しがみつく細い腕の力は弱まる事がない。
速度に怯えているのか、高度に震えているのか、レヴィには皆目見当もつかない。しかし目的地はすぐそこまで迫っていると知るレヴィは、ルティウスにとって絶望的な決断を下してしまう。
「仕方ないな⋯⋯」
「⋯えっ⋯⋯うっわぁ?」
左腕だけで抱えていたルティウスの身体を、レヴィは空中で器用に横抱きへと変え、両腕でしっかりと支える。
「これならいつもと変わらんだろう」
普段と異なる体勢だから怖がったのだと解釈し、いつも空を飛ぶ時と同じ抱き方を選んだ。
「⋯う、ん⋯⋯これなら、あんまり怖くない、と⋯思う⋯」
相変わらず首元にしがみついたままだが、強張っていた表情は幾分か落ち着きを取り戻しているように見える。
僅かに安堵し、少しだけ口角を上げたレヴィは再び前方へ視線を戻し、四枚の翼を大きく羽搏かせて加速した。
「うぇっ⋯!まだ速くなるの⋯っ?」
身体に掛かる風圧は、いつの間にか展開していた結界で防がれている。だが眼下を流れる景色はそれまでよりも速く過ぎ去っていた。
「もう着く。少し我慢していろ」
その呟きを機に、レヴィは速度を落とさぬまま降下していく。ちらりと前方へ目を向ければ、視界に広がるのは陽光を反射して煌めく大きな湖。
「ここって⋯?」
高度と速度の恐怖も塗り替えるほどの美しい光景が、ルティウスの蒼い瞳を輝かせる。
「⋯⋯フィデスが暴露しただろう。私が造ったあの水溜まり⋯いや、現代ではルナリス湖と呼ばれているんだったな」
簡潔な回答を耳にして、ルティウスはさらに瞳をきらきらと輝かせ、瞬きを繰り返していた。
今となってはもう話に聞く事しか出来ない、レヴィの過去の産物。アムニス山の水源に続きまたもやその場所へレヴィと共に来るなど、考えてもいなかった。
「⋯って事はさ、この湖の周りに、例の花も?」
「そのようだな⋯⋯」
言いながら金色の瞳を落とすレヴィ。彼が見ている先を追うようにルティウスも視線を地上へ向ければ、そこには無数の、薄らと輝きを帯びる白い花が咲き乱れている。
「綺麗だな。これが、ルナリスフローラ⋯?」
けれど幻想的な風景の一画には、淀んだ魔力の滞留が見えている。
「あれだな⋯」
降下しながらその場所を睨み付けるレヴィの声は、低く冷たいものになっていた。
まさに竜の逆鱗に触れる禁忌が、目の前の淀みには潜んでいるのだと、気持ちの悪い魔力を感知しているルティウスにも悟らせる。
ふわりと地面へ降り立ち、白い花の中に佇む白い竜。異常さえ無ければ美しいその出で立ちに見惚れもしただろうが、自分を抱く腕に込められる力の強さが、溢れる怒りの表れであるとルティウスは感じていた。
「なぁ、レヴィ」
「何だ」
抱き上げていたルティウスを地面に下ろし、自らの足で隣に立ち並ぶ少年の問いへ返す声も、普段以上に冷たい。
「これって⋯誰かが、やったんだよな⋯?」
敢えて尋ねるも、レヴィは沈黙している。美しい金の瞳は僅かに輝き、目の前で闇色の輝きを放つ魔法陣を睨みつけていた。
「⋯人がやったものかどうかは、この魔力では読めん。だが、意図的に展開された魔法陣である事は確かだ」
力強く空を駆けた四枚の翼は畳まれ、レヴィの背に携えられたまま。
普段であれば、移動後は魔力へと還しその姿を消していた翼も角も、今だ現出したまま。それはレヴィが、即座に退避を必要とする可能性すらも視野に入れているから。
「⋯⋯闇魔法の死霊術。この娘の命を喰らって、あのセイレーンの屍へ流し込み、操っている」
二人の前で異様な輝きを放つ、漆黒の魔法陣。その中央には、魔力に囚われた長い黒髪の女性がふわりと浮いていた。
「⋯⋯ッ!」
極度の苛立ちを含む吐息と共に、レヴィは右手を翳しその力を振るう。すぐ側の湖から掬い上げられた飛沫が即座に凍り付き、魔法陣を破壊するべく氷爪となって降り注いだ。
しかしそれらは全てが闇の魔力によって弾かれ、周囲へと飛散していた。
「えっ⋯レヴィの魔法が、通らない?」
驚愕の声を漏らすルティウスだが、しかしレヴィは怒りに染まっても冷静さを失ってはいない。
「加減はしていないが、本気でもない。どの程度の密度か、確かめただけだ」
飛散した氷爪は即座に溶け、花を潤す水へと戻る。
だが、冷静であるが故に、レヴィは手段に迷っていた。




