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闇魔法を塗り替えるほどの禁術、光魔法をその手に溜めながら呟くジェロアの怒りが溢れる寸前、怒れる者達を制するのは後方に控えていたフィデス。
「みんな、少し落ち着いて⋯⋯」
無謀な特攻を仕掛けかねないゼフィラを止めるため、咄嗟に隆起させた壁を崩し、御者台に立つフィデスが金色に輝く瞳で声の発生源を視る。
「⋯闇魔法の死霊術⋯⋯ゼフィラちゃん、あと一歩進んでいたら、キミも囚われてたよ?」
レヴィの残した魔石と、ルティウスの魔力の断片があったからこそ、これ以上の悲劇を未然に防げた。
御者台に立つフィデスの頭には、黄金色に輝く二対四本の角が生え、小さなその背には一対の双翼までもが現れている。
小さくも神々しい、土の竜神としての姿を現してまで対峙するフィデスは、声の主の隠蔽された力を探るべく金色の【眼】で凝視する。魔力の深淵を辿ってみれば、この場にいる全員が総力でぶつかっても返り討ちに遭いかねない。生半可な力で対抗できるような容易い相手ではないと、即座に見抜いていた。
「止めないで下さい、フィデス様⋯!奴は⋯奴は殿下の母君を⋯ッ!」
「落ち着きなさい」
宥められたゼフィラ本人も、その傍らで聞いていたリーベルとジェロアまでもが息を飲むほどの、圧倒的な神威が込められた声は、まるでフィデスではない別人のものにさえ思えた。
「冷静になれば分かるでしょ、そこに第二皇子ラディクスは居ない。闇魔法で取り込んだセイレーンを介して、声を届けているだけ⋯」
言いながら金色の瞳は、セイレーンの亡骸へと向けられる。
仕掛けを見破られたラディクスは、しかし愉快そうに笑うだけだった。
『あーあ、残念。せっかく、可愛い遊び相手のために、もう一つくらい人形を用意してあげたかったんだけどな⋯』
その一言は、ようやく怒りを飲み込みかけていた三人の心に、再び憤怒の炎を灯させるだけの、あまりにも苛烈な火種を植え付けていた。
「⋯⋯⋯てめぇ⋯」
最も強靭な理性で感情を押し留めていたリーベルでさえ、聞き捨てならない一言に怒りが込み上げる。
しかしそんなリーベルを、物理的に制止させたのはフィデスの力。
「黙ってて、オジサン」
小さな手を翳すと同時に、リーベルの身体はセイレーンを貫いた物と同じ岩の蔓によって、その場に拘束されていた。
「うっわ⋯マジかよ、俺もぉ?」
その拘束はリーベルだけに留まらず、ジェロアと、ゼフィラの身体をも、その場に縫い付けている。
容赦なく羽根を貫いたセイレーンとの違いは、その蔓が肉体を傷付けることはなく、優しく包み込むように動きを制している点。
「おい、フィデスちゃんっ!」
身動きを封じられても尚、リーベルは拘束から逃れようとその場でもがき続けている。
諦めの悪さは血筋かな⋯と、この場にいないルティウスを想い微かに笑みを浮かべてから、フィデスは預けられた魔石を守るように左手で抱きしめ、右手をセイレーンに向けて翳した。
「あの子にも、あの子の大切なものにも、手出しはさせないよ」
千年以上の長きに渡って使う事を避けていた破壊のための力を、フィデスは守るために解き放つ。
闇魔法に操られたセイレーンの骸と、切り刻まれて尚立ち上がったグルマンベアの死骸達が動き出さないよう、小さな手から放つのは大地に縛り付ける重力の圧。
『…おやおや、これはしてやられたね。まさか土の神までもが、あの子に付いているなんてね』
飄々とした口調で、だが凛とした声は、わざとらしく驚きを表す言葉を告げた。
苛立ちそうになる心を落ち着けて、フィデスは至極冷静に土の竜神たる権能を発揮する。
「⋯その魔力、向こうから吸い上げてるんでしょ?でもね、そっちにはボクなんかよりもずっと強い竜が行ってるんだ。もうすぐ、キミはセイレーンを操る事も出来なくなるよ」
的確に力の流れを読み解き、発動した闇魔法の根源をフィデスは探り当てていた。ルティウスを伴って離脱した同胞の気配が向かう先は、ラディクスが仕掛けただろう魔法陣の魔力が繋がっている方角と同じ。
『⋯へぇ、あの水の竜か⋯⋯本当に、手懐けているんだね』
地面に崩れ落ち、魔物達の骸を砕く重力に押し潰されて尚、ラディクスの声は変わらずに響き渡る。
たかが帝国の第二皇子が、何故レヴィの存在を知っているのか⋯。
不気味なラディクスの一言を怪訝に思いながらも、フィデスはさらに地脈へと干渉し、大地に刻まれた闇の魔法陣を崩すべく地を割っていく。
「言葉を介する媒体を失えば、キミはもう何も出来なくなるよね⋯。そろそろ、沈んでもらうよ?」
前方に掲げていた小さな手を、ゆっくりと握っていく。魔物だけを的確に押し潰す重力の下では、広がる亀裂が既に魔法陣を打ち砕いていた。魔力の流れを読み、複数仕掛けられていた全ての罠を破壊し尽くしたところで、さらに状況は好転する。
魔法陣へと繋がっていた魔力の流れが、唐突に切断されていた。




