0019
その日の夜。
安静にすべきと断固として譲らないレヴィが許さなかったため、ほとんどの時間を部屋の中で過ごす事になった。
気を利かせ再び訪れたフィデスから夕飯を受け取り、そのまま今後について打ち合わせをした。目を覚ましてすぐは本調子ではなかったものの、ルティウスの体調は時間の経過と共に回復していった。これなら翌日には出発できると二人の神……特に過保護な水の竜神を説得し、明朝には発つと決定した。
そしてベッドへ横になりあとは眠るだけとなった頃。
「……レヴィ、まだ起きてる?」
「…お前の魔力が動けば私も起きると、前にも言っただろう」
「そういえば、そうだったな」
ここへ初めて来た夜とは違い、すぐ隣のレヴィはルティウスに背を向けている。その事に少しだけ寂しさを感じたルティウスが、そっと身体の位置をずらし近付いていく。
トン…と、背中が軽く触れただけ。ただそれだけで温もりが伝わり、心の中は安心感で満たされる。
「……心配かけて、ごめんな」
「………………」
自分が至らないばかりに、優しい竜神が過保護になるほど心配させたのだとルティウスは自覚している。だからこそ謝っておきたかった。
「でも、俺は大丈夫だから」
「わかっている」
けれど心配は尽きない。この少年は無茶ばかりするから。
「なぁ、ここからベラニスって遠いのか?」
この話はこれで終わりだと言わんばかりに、唐突な問いが投げ掛けられる。こうして切り替えが早いのは、ルティウスの長所でもあるのだろうと思考の片隅で思う。
「モアとベラニス自体がそれほど遠くはない。当時は交易もあったはずだ」
「そっか……」
凄く興味があった。千年もの遥かな昔に栄えたモアという国。そして今とは違うだろう当時のベラニス。聞いてもいいか悩むが、まるで心を読んだかのようにレヴィからその話に触れてきた。
「モアの事が気になるんだろう?」
「あ、やっぱりわかった?」
顔は見えないのに、レヴィが笑っているのがわかった。
「モアは当時の世界の中でも、群を抜く大国だった。城の代わりに大神殿が国の中央にあり、そこを統べるのは王ではなく、聖女と呼ばれる者」
「…神殿?じゃあ、宗教国家...って事?」
「近いものだな」
「聖女かぁ……今じゃ聞かない言葉だな。どっかの国にそれらしい存在がいるって噂は聞いた事あるけど」
「あの国もまた、水の神を信仰していた」
珍しく饒舌な気がして、背中に触れるレヴィの気配を探る。知らない事を教えてくれるのは嬉しい。けれどこの先に、知らなくていいはずの事も含まれてしまいそうで少しだけ身構えてしまう。
「信仰の対象は神であるはずなのに…実際に崇められているのは、神と語る事の出来る聖女そのものだった」
その一言にふと思い出す。かつては人と神の距離が近かったのだとレヴィが言った事を。何よりも『聖女』の話をする彼の声は、普段よりも優しく感じられた。まるでその人の事を知っているように。
「……レヴィ?」
「そして彼女は…………彼女を妬む者達によって…………」
心なしか声が弾んでいるとさえ思えていたのに、最後はまるで絞り出すようだった。その先を直接言葉にする事は無かったが、言われなくとも理解出来てしまった。
「…殺された、のか?」
「………………」
無言の肯定。ただそれだけで、ルティウスの中でいくつかの点と点が繋がった。
モアを消滅させたのは自分だと打ち明けたあの時と、今のレヴィから感じられる雰囲気はとてもよく似ていたから。
きっとレヴィにとって『聖女』とは、何よりも大切な存在だったのだろう。そんな人を奪われて、怒り狂った結果がモアの消滅なのだとしたら……。
背中を触れさせたまま、首元の石を握る。これは彼との繋がりの証。だからきっと伝わるだろう。自分は奪われたりしない、レヴィが望んでくれるなら共に居よう。想いを乗せた少しの魔力を手の中の石へ込めていく。すると背後から少しだけレヴィが動くのを感じた。
静かに夜は更けていく。温かな背中に少しだけ寄りかかったまま、ルティウスは眠りに落ちた。
***
当初はただ様子を見るだけのつもりで立ち寄った小さな家に、気付けば数日の滞在をしていた。けれど得るものの多い寄り道だったと、感慨深げに振り返る。
夜が明けて、三人はそれぞれに身支度を済ませ出発のために外で集合した。あのクレーターの調査をするためだけに拵えた建物だったようで、役目を終えた家は誰も住む事のない空き家となる。野盗などの拠点にされかねないため本来ならば取り壊すべきだが、この場所には実は目に見えない結界が張られており、普通の人間ならばここに家がある事すら気付かないのだそうだ。なのでフィデスとしては、そもそも家の扉を叩いた時点でルティウス達が普通ではない事に気付いていたと、後から聞かされた。
「全部終わったら、またこの家に寄ってもいいかな?」
「こんな何もない家なのに?」
「…人と関わりたくないなって時に、この場所は静かで良さそうなんだよな」
「まあ、人間にはいろいろあるもんね」
聞けば扉には鍵すら付いていないとの事。不用心ではあるが、土地そのものに強い結界があるため要らないのだそうだ。そして結界はフィデスではなく、彼女と対になる神の力で展開しているため、まず間違いなく人間に侵入される心配はない。本当に全てが片付き落ち着いたら、またここに立ち寄ろうと考えていた。
そして三人はベラニスへ向けて出発する。再びレヴィの案内で進み始めた道程は案の定、道らしい道を通らなかった。フィデスが度々「街道を通ろう」と文句を言うが、気にする素振りすら見せずに直進していく。
時折現れる魔物は、そのほとんどをルティウスが剣技を以て撃退した。レヴィも魔法で応戦しようとしたが、その間もなくルティウスが魔物の懐へ飛び込み危なげなく斬り裂いてしまう。どこか無謀な振る舞いに思えて訝しむレヴィだったが、ルティウスは笑って彼に答えた。
「俺、国にいた頃に剣術はずっと習っていたけど、実戦はそれほど多くなかった。せっかく外の世界に出てきたんだから、経験を積みたいんだ」
レヴィに心配を掛ける必要がなくなるまで自分が強くなればいい、それがルティウスの決意。魔物との戦闘は実戦経験として糧になっているようで、数を重ねる毎に剣筋の冴えは確かに磨かれていった。




