0018
ルティウスが意識を失ってから、既に二日が経過した。あまりにも突然の昏倒に慌てたのはレヴィだけではなくフィデスも同様で、神の如き奇跡を起こしたばかりにも関わらず真っ青な顔色をした少年の姿に、二柱の竜神は最悪の事態すらも覚悟をした。
レヴィはすぐにルティウスを抱えて飛翔しフィデスの家へと戻った。歩けばそれなりに時間の掛かる距離でも、飛んでしまえば所要時間は半分にも満たない。そうして帰り着きベッドへ寝かせたが、ルティウスは一向に目覚めなかった。
極端な減少はあったものの魔力が枯渇したわけではない。命に関わる負傷をした訳でもない。ルティウスの身体に触れて何度か魔力の状態を確かめもしたが、かの地に赴いた事で内部から乱れたような痕跡も感じられなかった。
「ルティ君、まだ起きないね」
「…………」
頻繁に見舞いに訪れるフィデスはその度にレヴィへ話しかける。しかし何かを言い返す気すら起こらない。昏睡状態のルティウスがいつまでも目を覚まさない事で、常に平静だったはずの神の心は『かつて』のように乱れ荒んでいた。
何度かフィデスにも診せはしたが、はっきりとした原因の判明には至らなかった。再生の力に特化した土の竜神を以てしても究明出来ないとすれば、現状で打てる手立ては無いに等しい。こんな時に何も出来ない己の無力を嘆いた。神の名を冠していても、一人の少年すら救えないのかと。
「私は、どうしたらいい…?ルティ……」
あの時のように、また失ってしまうのかと恐れた。眠り続ける少年の、自分よりも小さな手を両手で握り締めて、目覚めてくれとただただ強く願う。
そうして三日目を迎えた頃、ルティウスは何事も無かったかのように目を覚ました。
「…………レヴィ?」
「ッ……ルティ!」
唐突に聞こえてきた、無事を知らせる少年の声。神でありながら目覚めを祈るように握っていたルティウスの手も、話し声が聞こえた直後に微かに動く。そしてゆっくりとレヴィの両手を緩く握り返した。
「どうしたんだ?そんな…悲しそうな顔して…」
普段よりも力のない声がレヴィへと語り掛ける。安堵から深く息を吐き、強くルティウスの手を握り締めた。事情を話したくても感情が溢れて、言葉は出てこない。
「やっと起きたんだねルティ君!キミ、三日も目を覚まさなかったんだよ?」
扉の方から聞こえてきた声に視線を向けると、そこには事態を察したフィデスが嬉しそうに立っていた。しかし語られた日数に驚愕してしまう。
「…え?三日…?」
未だ言葉を詰まらせているレヴィの代わりに、フィデスが簡潔な説明をしていた。ルティウスは驚いた顔をして、暖かく大きな手を握り返す。相当な心配をかけてしまったのだと理解し、少し気怠さの残る身体を起き上がらせようと試みる。が、急に動いたせいか僅かにふらついてしまう。しかし咄嗟に伸ばされたレヴィの腕に支えられ、そのまま身を預けた。
「まだ横になっていた方がいい」
「いや……大丈夫だよ」
平気だと告げるルティウスが寄り掛かれるようベッドの端へ座り、そっと身体を寄せる。まだ本調子ではないのが明らかだと自覚出来てしまい、珍しく拒まずにそのままレヴィの身体へ凭れ掛かった。
「…俺が三日も寝てたって、本当なのか?」
「本当だ」
即座に返ってくる答えにしばし考え込んでからゆっくりと、あの場で自分の身に何が起きていたのかを二人に伝えた。
「あそこにいた時、急に…力が抜けていく感じがしたんだ。何だか、魔力を根こそぎ吸い取られていくみたいな………」
「あ~、なるほど……急に再生した大地が、ルティ君の魔力を欲したんだろうね」
一体どういう事なのだろう。話を聞いても理解し難い現象に首を傾げるが、部屋の中にある椅子へ腰を下ろしたフィデスによって事象を説明される。
「信じられない事だけど、ルティ君はあの地の途絶えていた水脈と地脈を一気に引き寄せたんだよ。だけど伸びた根はそのまま、ルティ君自身に接続されてしまったんじゃないかな」
ただの憶測に過ぎないかもしれないが、フィデスの言は一理あるとレヴィは気付く。本来ならば途絶えた水脈の復活には神の力を要する。加護を得て水の神と繋がりを持つルティウスが水脈と繋がってしまったのは有り得る話だ。そしてあの場を離脱せずにいれば、ルティウスの魔力は命ごと全て吸い取られていた可能性もあったのだと。
わからないのは、地脈もまたルティウスへ接続していたという事。水と土には密接な関係があるとは言え、そこにフィデスがいた上で何故ルティウスだったのか…。
「…フィデス、何故地脈はお前ではなくルティを選んだ?」
一属性だけでも命の危険がある。それが二属性の根と繋がるなど、本来ならばあってはならない事。神ならいくら繋がっても死ぬ事はない。けれど人間であるルティウスは死の危険がある。そうした根源との接続による死が蔓延したがために、水の領域では水脈へ干渉する魔法は全てが禁術となった過去がある。
神として数多の事象を見届けてきたレヴィだからこそ知っている真相。いつかルティウスにも聞かせるべきと考えるが、その時は今ではなかった。
「それはボクにもわからないけど…多分、ボクの封印のせいかな?」
普段の明るさが感じられない声で話すフィデス。その一言を機に、レヴィの雰囲気が一変した事にルティウスは気付く。
「ルティ、すぐにここを出るぞ」
あまりにも唐突に発せられた強引な一言。レヴィの瞳は鋭くフィデスを睨み付けている。
「いや…ちょっと待って、レヴィ」
立ち上がろうとするレヴィの服を掴み、引き留める。
今ここでフィデスと別れるのは得策ではないとルティウスは判断していた。何故ならフィデスが、レヴィの封印に関わっているかもしれない『土の竜神』だからだ。
「フィデス、答えてくれ。レヴィを封印した神達の中に、君は含まれているのか?」
もしも肯定されたなら、レヴィが反対しようともフィデスを連れていくつもりでいた。彼女自身に別の目的や使命があるのなら無理強いは出来ないが、せめて途中まででも同行を願い出る気でいる。
「……ルティ君の言う通りだよ。ボクも関わってる」
彼女の口から出た答えは、肯定。
そして封印した側であるフィデス自身もまた、何らかの封印をされた側にある。何ともややこしい状況に頭を搔いた。
「え~っと?レヴィの封印は、どうしたら解けるものか知ってるか?」
素直に答えを聞けるとは思っていない。それでもヒントくらい得られればくらいのつもりで尋ねた。だがフィデスは予想に反して全てを話してくれた。
「レヴィ以外の竜神達が、それぞれ【封印の楔】を持ってるんだよね。それを自分達で壊す事、かな」
「フィデスは今、それを持っているのか?」
ルティウスの問いに、少女は首を横に振った。
「ここには無いよ。外には持ち出せないものなんだ。今もテラムの山奥にきっとある」
こうして図らずも、レヴィの封印解除への道筋は見えた。結局は各国を巡り神達に会わなければいけない。それは変わらなくとも、目的だけは明確になった。ルティウスにとっては重要で、朗報とも呼べる情報である。
「レヴィ、ごめん。俺はあんたの為にも、ここでフィデスと別れるわけにはいかない」
「……ルティ」
きっとレヴィはフィデスを苦手としているのだろう。言葉の端々や態度からその事には気付いていた。
どうして地脈と繋がったのかという疑問は結局の所、現状では全てが憶測の範囲を出られていない。フィデスはまだ何かを知っているようだが、今ここで無理に聞いても仕方ないという気持ちがルティウスにあった。
未だ納得のいかない表情を浮かべているレヴィを宥め、もう一度きちんと、ルティウスはフィデスへと向き直る。
「なぁフィデス、俺達と一緒に行かないか?君がテラムへ戻るまででもいいからさ」
「……いいのかい?」
調査のためにこの地へ赴いたものの、旧モア跡地の状態を良く知っていたフィデスは、もう二度とテラムへ戻れないかもしれないと覚悟していた。けれどルティウスのおかげで事は解決し、この地に留まる必要も無くなった。テラムへ帰るついでに、彼の旅路を見守るのも悪くはない。
世界の均衡を保つべく存在する竜神にとって、ルティウスは既に恩のある人間でもあったのだ。
「……ならばボクは誓うよ。土の竜フィデスとして、ルティ君の力になろう!」
可愛らしくも威厳のある台詞には、今は封印されていてほとんど何も出来ないけど…と付け足された。力を使えないという点については、今も首元で光る石のような、力を繋げられる何かがあればきっと解決するだろう。どこか過保護なレヴィは許してくれないかもしれないけれど…そんな事を考えながら、ルティウスは隣にいるレヴィの肩へと凭れ掛かり、たまには……と甘えてみる。
「レヴィも、いいよな?フィデスと一緒に行こう?」
「………………お前がそう望むのなら」
あまりにも長い間を置いてから、盛大な溜息とともにぽつりと呟かれた返答。
「…本当に、あのレヴィをここまで手懐けてるなんて、ルティ君てやっぱ凄いなぁ」
「別に手懐けてるわけじゃない。レヴィが優しいだけだよ」
直後、凭れ掛かっている肩がビクリと震えた。ちらりと視線を上げると、口元を手で押さえ反対側を向いている。
「……レヴィ、どうしたんだ?」
「………………何でもない」
どこか様子がおかしい。何でもない風には見えず顔を覗き込もうとするが、さらに顔を逸らされた。一体どうしたのかと首を傾げていると、反対側から笑い声が聞こえてくる。振り返るとフィデスが大笑いしていた。
「いやぁ本当に、ルティ君はすごいな!ふふっ……さて、もう大丈夫みたいだし、ボクも自分の部屋に戻るね」
そうして笑うだけ笑った後、フィデスは去って行った。扉が閉まるのを見届けてから、再びレヴィへ視線を向ける。手で覆われている隙間から見える肌は、少しだけ紅潮しているように思えた。
当のレヴィ本人は、隠した口元が緩んでしまっている。優しいと言われたのは初めてで歓喜と動揺が入り交じり、強く心を保たなければとてつもなくだらしない顔を見せてしまいそうだった。
「……もしかして、なんか照れてる?」
当然ながらルティウスには自覚が無い。
窓の外は間もなく日没の頃。夕陽の赤い光が部屋の中に差し込み、静かに二人を照らしていた。




