0147
それは正しく、悪夢でしかなかった。
血を吐き、呼吸は浅く、触れるだけで壊れそうなほどに傷付いた身体。
ほんの少し目を離しただけで、少年は再び死の淵に立たされた。
伸ばした手は届かず、目の前でその身を飲み込まれ、救おうと足掻き無様にも崩れ落ちた瞬間に、ボロボロなまま彼は戻ってきた。
消えかけた命を繋ぎ止める事は叶った。けれど少年を癒した力さえも、今の自分だけでは自在に使う事も出来ない。
封印さえ無ければ…。
かつての自らの行いが原因だと分かっていても、素直に受容する事は出来ない。
災厄カリエスとの戦いは、水の竜神の心に消えない傷となって刻み込まれている。
同時に、一刻も早く同胞達に会い、この戒めを解かせなければという想いを抱いた。
もう二度と、失う恐怖は味わいたくない…──。
***
「…お、気が付いたか?」
目を開けた瞬間に聞こえてきたのは、リーベルの声だった。
曖昧な記憶の最後に覚えているのは、薄暗い洞窟の底。手の届く距離で穏やかな呼吸を取り戻した、ルティウスの姿。
だが視界に映り込んでいるのは、見覚えのないどこかの天井と覗き込んでくるリーベルの表情だけ。
「…ルティッ!」
直後、激しくも鈍い衝突音が静かに鳴り響く。
「……いってぇ……急に起き上がってくんな!」
赤くなった額を押さえて、リーベルが文句の台詞を吐いた。
「………うるさい、そんな至近距離にいる方が悪い!」
同じく額を押さえるレヴィもまた、ぶつけた痛みに顔を歪ませながら逆ギレにも近い主張をする。
そうして睨み合う二人を止めるのは、リーベルのすぐ隣で椅子に座っていたフィデス。
「しーっ!ルティ君が起きちゃうでしょ!」
極限まで抑えられた声で叱咤するフィデスの一言を機に、リーベルとレヴィも黙り込む。
緋色の瞳が向いているのは、レヴィが寝かせられていたベッドの奥。視線の先を追うように振り返れば、隣のベッドで静かな寝息を立てているルティウスの姿があった。
「…ッ!⋯⋯ル…──」
「だから静かにって!」
今にもルティウスの元へ飛び付きそうになるレヴィだが、ベッドの上に乗り背後から上半身を抱き押さえ、小さな手で口を塞ぐフィデスによって止められた。
「っていうかさ!レヴィだってまだ寝てなきゃダメなんだからね」
普段通りの口調だが、しかしフィデスの声は真剣なもの。力ずくで引き剝がそうと考えたが、レヴィは全身から力を抜き静かに瞳を細めた。
「あんな状態で、ルティ君を助けるために力を使ったんだ。今、レヴィの『核』がボロボロなの、自分で分かってるんでしょ?」
すぐ隣から見上げるように顔を覗き込み、レヴィへと安静を促す。
ルティウスの怪我も毒も、全てが回復した。けれどその代償はレヴィが全て背負っている。神としての【眼】で倒れていたレヴィを視たからこそ、フィデスには分かっていた。
カリエスの毒を受けたレヴィは、存在そのものにダメージを負っていた。竜の本体ならばただ魔力を吸われるだけだったが、今は本体から切り離された分身体。実質的な死は無くとも、あれ以上に衰弱すれば消滅してしまってもおかしくはなかった。
「⋯⋯そんな事は、どうでもいい」
フィデスの指摘は、レヴィ自身がよく分かっている。けれど自身の存在の消滅よりも、ルティウスを失う方が許容出来なかった。
「⋯⋯ああしなければ、ルティは死んでいた」
全てを自覚した上で、レヴィは水脈の力を引き寄せ竜神としての権能を解き放った。それで核が傷付いたとしても、後悔はない。
「救うには⋯⋯他に方法は無かった⋯⋯⋯」
「⋯本当に、お前さんは頑固というか意地っ張りというか⋯⋯⋯」
生きているという事実を確かめるようにルティウスを見つめていたレヴィの背後で、溜め息と共にベッドの端へ座るリーベルが告げた。
「⋯俺もフィデスちゃんもな、ルティウスを死なせなかったお前さんには感謝してんだよ。その上で、今は休めって言ってんだ」
決死の覚悟で臨んだルティウスの治癒。それをやり遂げたレヴィを労うように、リーベルは優しくレヴィの肩を叩く。
「ま、今はルティウスと一緒にゆっくりしてろ。このラテーレ村の宿は、数日押さえてあるからな」
「⋯⋯ラテーレ村?」
聞き覚えのない地名を聞いて、レヴィは怪訝な表情を浮かべて振り返った。
「おうよ!あのまんま洞窟に居たんじゃ、物音を聞きつけたアムニシアの衛兵が来てあれこれ面倒臭い事になるからな。さっさと峠を超えて移動してきたんだ」
「⋯⋯は?」
軽い口調で言うリーベルに、レヴィは心底意味がわからないといった反応を見せた。
室内の様子に見覚えはない。窓から覗く景色も、アムニシアのような山麓の街とは異なり長閑な風景が見えている。だが峠を越えたと言われても、理解は追い付かない。
「どうやって移動してきた?」
「んなもん、足で移動したに決まってんだろ」
話を聞いてから、レヴィは密かに現在位置を探った。核への影響が無い程度に水脈を辿り、どれだけの距離を移動したのかを把握するために。
「⋯人の足で、この距離を?」
そして掴んだ位置を知り、疑念の目をリーベルへと向ける。
ニヤニヤと笑うリーベルはレヴィの肩へと凭れかかるように肘を置き、簡潔に経緯を教えた。
「なぁに、ちょっと一日半くらいの強行軍だっただけだぜ?ルティウスはゼフィラちゃんが背負ってくれたんだけどな、お前さんは見た目よりは随分軽かったから、まぁどうにかなったぜ?」
「⋯⋯まさかお前が、私を?」
即座にレヴィは理解した。自分が、リーベルに背負われて運ばれてきたのだと。
「前に、腕の傷治してもらったよな。その借りを返したと思ってくれていいぜ?」
「⋯⋯⋯くそっ」
屈辱だった。
誰かを抱えて運ぶ事はあっても、自分がそうされるなど考えた事すらない。ましてリーベルに背負われたとあっては、いつ何時その事実をダシに揶揄われるか分かったものではない。
額を押さえ項垂れるレヴィだが、リーベルもフィデスも穏やかに笑っている。
「ボクとウェンティちゃんはね、道案内と護衛してたんだよ!まぁ護衛といっても、なんにも出てこなかったんだけどね!」
レヴィの傍らでベッドに寝転んだフィデスが、楽しそうに移動の道程について語る。
「最初はモメたんだよ?オジサンがルティ君を運ぶって言い出して、じゃあレヴィは?ってなった時にね、ウェンティちゃんがめちゃくちゃ拒否したりとかさぁ~⋯──」




