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レヴィが倒れ、ウェンティが捕まり、災厄に対抗出来うるはずの戦力は既に失われていた。
カリエスの唾液という毒をその身に受けたレヴィは、そもそもが『竜の本体から切り離された分身体』であり、今の自身そのものが魔力の塊に等しい。魔力を吸い上げる毒は、今のレヴィを死に追いやるだけの致死性を有していた。
「⋯⋯ッ、まだ⋯だ⋯」
それでも立ち上がろうとするが、次第に身体は動かなくなっていく。
蛇の尾に絡め取られ、小さな身体を絞められるウェンティもまた、ついにその口から血を吐き出す。砕かれた骨が内臓を傷付け、人の理から外れていても尚『人間』という種である事に変わりはないウェンティに、死を齎そうとしていた。
姉を救いたいと泣き叫ぶゼフィラを抱き締めるように押さえるリーベルは、苦渋の決断を下すしかないと考え始めていた。
飲み込まれたルティウスは確かに生きているのだろう。けれど救い出せるだけの力を持つ二人が、既に戦える状態では無い。このまま粘り続けたところで、全滅は必至。
長く世界を旅して回ったリーベルだからこそ、非情な決断が必要な場合もあるという事を理解している。
カリエスの意識は、レヴィただ一人へと向けられている。今なら、ゼフィラとフィデスを抱えてここから撤退する事も出来るのかもしれない⋯と、何度も考えていた。
「⋯ッ、レヴィぃ!」
フィデスの悲鳴が響き渡り、咄嗟に視線を向けた先では、正に最悪の瞬間が訪れていた。
カリエスの黒く長い舌が、倒れるレヴィの身体へと巻き付く。そのままゆらりと持ち上げ、白いローブ越しにその身を絞め上げると、どろりとした唾液に塗れた舌先を首元へと這わせていく。
「ぅ、ぐ⋯⋯ァ⋯」
苦悶の声を発するレヴィの肌には、ルティウスの首に刻まれたものと同じ焼け爛れた痕が広がっていく。
倒れても尚、決して離さなかったルティウスの剣。次第に力が抜けていき、するりと手のひらから零れ落ちた剣は地面へと突き刺さった。
恐怖と動揺から動けず、その場に崩れたフィデスの目の前で、古き友の神気が吸い上げられていく残酷な光景が全て視えていた。
もう、どうにもならない。
三人を見捨てて逃げるしかない⋯そう決断しようとするリーベルの眼前で、それは起きた。
「⋯⋯⋯は?」
その瞬間、辺りは凍り付いた。
レヴィを今にも喰らおうとしている漆黒の蛇も、その胴が沈む地面も、何度も逃げられた壁面も、悪意を降り注がせた天井すらも。
何もかも全てが、氷に覆われていた。
直後、レヴィを捕らえていた蛇の腹が異様な動きを見せる。内部で何かが暴れているように蠢き、そして爆発するように弾けた。
捕らわれていたレヴィの身体はそのまま投げ出され、地面へと倒れる。
「レヴィっ!」
慌てて駆け寄ったフィデスが自身への影響も忘れてレヴィを抱き起こすと、そこにも異変が起きていた。
「⋯⋯え?凍って、る?」
毒の唾液に蝕まれた肌は、確かに焼け爛れている。けれどその箇所は綺麗に凍り付き、侵食が広がる事も無い。
恐る恐る手を翳し、指先で凍り付いた首へと触れる。確かに凍っているのに、何故か冷たくはなかった。
ぱっと顔を上げて、カリエスの腹が爆発した場所へ視線を向ける。
そこにあったのは、その背に光り輝く四翼を携え空中に佇むルティウスの姿だった。
「⋯⋯ルティ、くん⋯っ!」
大きな緋色の瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。
生きていた。
その上、レヴィを救った。
溢れ続ける涙で歪む視界のまま、フィデスはその姿を見上げる。
「⋯⋯⋯ル、ティ⋯?」
弱々しい声が、フィデスの腕に支えられるレヴィから零れる。
薄く開かれた金の瞳もまた、空中に浮かぶルティウスの姿を見ていた。
そして、目の前にいるルティウスから感じる懐かしい魔力の色に、レヴィは少しだけ笑みを浮かべていた。
「⋯⋯遅い、ぞ」
色を見れば分かる。そこにいるのがルティウスではないと。けれど『奴』はルティウスを守るために在る。圧倒的な力を持ち、レヴィにも劣らぬ精密な魔法制御を可能とするのが、弟竜であるオストラなのだと確信を持っていた。
『⋯さぁて、暴れてやるとすっか』
ルティウスの声で、しかし発せられたのはルティウスとは似ても似つかない粗暴な言葉遣い。
肉体の主導権を託されたオストラは、その後のルティウスの体面などを考えるような思慮は持たない。本能のままに暴れ、邪魔するもの全てを蹂躙し、かつては世界を脅かしたほどの存在。
だが今、世界を脅かそうとした力は、ルティウスを取り巻く全てを守り救うために振るわれる。
ルティウスが右手を翳すと、そこに現れるのは長い槍。身長よりも遥かに長いそれを具現化させて握った瞬間、その身体は消えるような速度で飛翔し、ある一転へと向かう。
槍が貫いたのは、ウェンティを絞め上げていた蛇の胴体。耳を劈くほどの奇声を発しながら暴れるカリエスは、そのままウェンティを取り落としてのたうち回っている。
『⋯あー、うるせぇな。黙れよ、蛇が!』
左手を翳し、暴れ回るカリエスへ向けて冷気を集めていく。空気中の冷えた水分が固まり、雪となって降り積もっていった。すぐにも音を遮断する雪壁となり、カリエスの奇声はその内側に閉じ込められ聞こえなくなる。
満足気ににやりと笑ってから、再び高速で飛翔した先はレヴィとフィデスの前。




