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竜と神のヴェスティギア  作者: 絢乃
第十二話

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0129

 平らになった岩壁と地面、そして天井。進むにつれて濃くなる異臭に警戒を強めるルティウスが、更なる異変を感じたのはすぐの事。微かな振動が足元から伝わり、ついに歩みを止めてしまう。

 これ以上進むのは危険だと、本能が叫んでいるような気がする。その証拠に悪寒と冷や汗が止まらず、気を抜けば剣を握る手も震えてしまいそうだった。

 それまでよりも強く剣の柄を握り締めて、周囲の気配を探る。不意打ちを受けないよう壁面に背を預け、意識を集中させて探知を試みるも、恐怖心のせいで上手く拾う事が出来ない。

「何が、居るんだ⋯?」

 必死に心を落ち着かせて、もう一度周囲へと視線を巡らせる。薄暗い洞窟内でルティウスの視界に入るのは、剣に纏わせた炎が照らす範囲だけ。

 限られた視界の中、けれどルティウスは最悪の考えに至る。

 もしもこの洞窟そのものが、ここに巣食う『何か』の通り道でしかなかったとしたら⋯。

 自分が歩いてきたこの道すらも『何か』が通った痕跡に過ぎないとしたら。

 そしてルティウスの危惧は、的中する。

 不意打ちを受けないようにと背を預けていた岩壁が、唐突に崩壊した。直後に訪れるのは、気が遠くなりそうなほどに強烈な異臭と、全身を砕かれる衝撃。

「ッ⋯⋯!」

 瞬時に身を反転させて剣で受け止めたが、ルティウスの小さな身体は反対側の岩壁に叩き付けられた。

「⋯⋯ッ、⋯!」

 声を出す事も出来なかった。背中を強く打ち、瞬間的に呼吸も困難となる。

 地面に崩れ落ちるルティウスは、意地だけで剣を手放しはしなかった。しかし既に纏わせていた炎は掻き消えている。明かりを失った暗闇の中で、苦痛に呻く蒼い瞳が捉えたのは、あまりにも巨大な、この洞窟の主と思しき異形。

「⋯な、んだ⋯こいつ⋯⋯」

 光の失われた洞窟内で、崩落した岩壁の隙間から二つの紅い輝きが見えた。それが『何か』の目だと判断出来たが、濁った殺意の滲む双眸は、ルティウスを確実に捉えていた。


 来る!


 そう感じた瞬間に、ルティウスは渾身の力で立ち上がると即座に地面を蹴り、その場から飛び退く。だが明かりを失ったせいで方向を誤り、その身体はまた壁面へと衝突してしまった。

 逃げ場を失い動揺するが、再び壁に背を預けてルティウスは剣を構える。

 身体の奥からズキズキとした痛みを感じ内臓を傷めたのだと分かっても、倒れていてはその瞬間に死ぬという現実的な恐怖がルティウスを奮い立たせていた。

 だがその存在は執拗にルティウスを追い掛ける。すぐそばに迫る紅い双眸は、獲物を狙う獣のように細められている。

「⋯うっ!」

 痛みと恐怖に耐えるルティウスは、咄嗟に自身の口元を強く押さえる。吐き気すら込み上げるほどの悪臭が、辺りに充満しているのだと気付いた。

 眼前で睨み合う存在が、それまで感じていた異臭の発生源だと悟る。鼻腔を貫くような臭いに表情を顰めながら、徐々に暗闇へ慣れ始めた蒼い瞳はようやくその姿の全容を捉えた。

「⋯⋯へ、蛇?」

 竜のような鱗が犇めく体表は闇に溶けるほど黒く、至る所から粘液が漏れ出し、それが滴り落ちた地面は泡立つように溶解している。

 黒く濁った舌を覗かせる口からも、ドロドロとした唾液らしき何かが垂れていた。

 触れたらまずい⋯直感で判断し、そして剣を鞘に納めるか躊躇する。岩の地面を溶かすほどの腐食性を持つ目の前の脅威に、剣は通じない可能性を考えていた。

 けれどその躊躇が、さらなる窮地を呼び込んでしまう。

 敵は目の前にいる。

 だからこそ壁に背を向けていた。

 しかし闇に溶けて隠れていた尾が、洞窟の壁や床をも溶かしながらルティウスへと襲い掛かる。

「えっ⋯⋯」

 音と振動で気付いたものの、反応するよりも速く、ルティウスの身体に衝撃が伝わった。

 狭い洞窟の幅にも等しい太さの尾か、はたまた長い胴が、岩壁を崩しながら既に傷だらけの身体へと直撃する。為す術なく吹き飛ばされ、地面に転がり落ちる瞬間、ついにルティウスは剣を手放していた。

 体表に触れはしたが、着ている服の強力な魔法付与によって腐食はどうにか防がれている。布が溶ける事はなかったものの、露出している手や肌は火傷のように爛れ、僅かな面積ながらも皮膚を侵食していく。

 どうにかして起き上がろうと試みるが、力は入らない。内臓へのダメージは深刻であり、その証拠に軽く咳き込むと血の塊を吐いていた。そして力が入らないもう一つの要因⋯それは衝撃によって骨が砕かれていた事。

 物理耐性への付与も施されていたが、体内に伝わる衝撃までは防げていなかった。

 浅い呼吸をどうにか繰り返すものの、息をする度に焼けるような痛みを放つ。肺までも傷めているのは確実に思え、いよいよ死を感じ始めていた。

 だが瀕死の状態に陥って尚、ルティウスはまだ起き上がろうとする。震える腕で上体を支え、激痛に苛まれる身体を奮い立たせようとした。

 しかし漆黒の蛇は、そんなルティウスの決死の行動さえも嘲笑うかのように、黒く長い舌を細い首へと巻き付けていく。

 体表から漏れ出す粘液以上の危険を感じた唾液に塗れたその舌は、肌を焼きながらルティウスの身体を吊し上げる。

「⋯⋯っ⋯う⋯ぁ」

 絞められたせいで呼吸が遮られ、苦しみに喘ぐ。肌に触れる唾液には毒が含まれ、重傷の肉体にさらなるダメージを与えてしまう。

 そしてルティウスは霞む意識の中で、その事実に気付いた。

 レヴィが強力な魔法を使った時とは比較にならないほど、急激に魔力が減少していく。

 自分を殺そうとしている蛇の毒、それは魔力を吸収する特性を持っているのだと、気付いてしまった。

 そして絶望がルティウスの心に広がる。

 魔法の風で道を探し求めたが、その魔力さえもこの蛇は吸い取っていたに違いない、と。

 自分から、この圧倒的な脅威の巣穴へと迷い込んだのだと、死を前にして何故か冷静になった頭が理解してしまう。自分は、ただ誘い込まれた餌に過ぎないのだと。

 どれほど膨大な魔力量を有していても、回復するよりも速く吸われていればやがて枯れる。そしてそれは自身の命の終わりをも意味する。


 死ぬのが怖いとは思っていなかった。

 根源に引きずり込まれた時も、死の実感は無かったから。

 レヴィを庇った時も、きっとレヴィが助けてくれるという期待もあったから。

 だけど今は⋯独りだ。

 誰にも気付かれないまま、独りで死ぬのか⋯。

 身体の痛みさえも、どこか遠く感じられる。

 二度と目覚めない悲しみと寂しさを抱きながら、既に視界の霞んでいた目を閉じ、ルティウスの意識は途絶えた。

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