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「やっぱりさ、最上級なお部屋に備え付けの着替えって、着心地も抜群だね♪」
従者用の隣室に引っ込んだはずの三人は、棚に用意されていた部屋着に着替えてメインルームへと出てきた。
「いや、なんつーか⋯素材が良すぎて俺は落ち着かねえけどな」
いつ何時戦闘となるか分からない自警団としての日々を送ってきたリーベルは、普段とは全く異なる薄着に落ち着かない様子。
「しかしいいのか?俺みたいなオッサンと同室とかよ⋯?」
従者用とはいえ、そこは最上階に位置する特別室。ただベッドが並んでいるだけではなく、間仕切りによって空間は区切られている。けれど年頃の公女が男と同室など許されるのか⋯という引け目もリーベルにはあった。
「お気になさらず」
だがゼフィラ本人は何一つ気にしていないようだ。
「どんな状況を経ようとも、わたくしの心は変わりませんから」
彼女が抱く恋心は、何があっても揺らがない。成就を願う訳でもなく、ただ想い人の幸福と安寧を祈り、その輪の中に自身も存在出来ていればそれで満足という、健気で儚いもの。
それを表すかのようにゼフィラが視線を向けた先では、大きなベッドの端で寄り添うように寝ている二人の姿。
「⋯殿下もレヴィ様も、相当お疲れだったようですね」
その一言を聞いて、真っ先に駆け寄ったのはフィデス。そこに広がる光景を信じられないものを見るような目で凝視してから、驚いたように呟く。
「うわぁ~、ホントだ。レヴィが寝てる~」
「おい、フィデスちゃん!静かにしてやれ!」
極力声を落として窘めると、フィデスはハッとしたように自身の口元を押さえる。それからゆっくりと、だが嬉しそうに語った。
「ボクさ、レヴィとは本当に長い付き合いだけどさ、こんなに安心したレヴィの寝顔なんて、初めて見るよ」
「そんなに珍しいのか?」
「もちろん!普段のレヴィを見てたら分かるでしょ?」
常にルティウスの心身を案じ、自分を盾にする事も厭わない。一見すれば隙だらけの少年を守るため、常に神経を研ぎ澄ませている気高き竜の神。
けれどフィデスだからこそ知っている過去のレヴィは、そうして守ろうとする存在を守り切れずに、その心を壊れさせてしまった。
「ルティ君は、本当にすごいな、あのレヴィを安心させてあげられるなんてさ」
古き友には、既にルティウスという存在は不可欠なものだと、フィデスも心から認めている。それを再認識させたのは、眼下で寄り添い合う友の穏やかな寝顔。
「ま、しばらくはこのまま、そっとしといてやろうぜ」
「そだね」
「異論はございません」
そして三人は、眠る二人を起こさないようそっと離れる。
とはいえそれもまた、ルティウスの傍で眠るという至福の時を邪魔されれば、文字通り怒れる竜と化したレヴィに消されかねないという、危険を回避するためでもあったが。
それからしばらく経った頃。
微睡みから覚めつつあったレヴィは、耳障りな喧騒に表情を顰める。
すぐ側には大切なルティウスの温もりがあり、あのまま眠ったのだと寝ぼけた頭で状況を察する。
しかし聞こえてくる騒がしい声は、そんな安息を容易く破壊してしまう。
「やかましい⋯」
低く発せられた声に、喧騒の主達はピタリと動きを止めた。
ベッドからある程度離れてはいても、その場所は空間が仕切られているわけでもなく開けていて、騒げばすぐにレヴィの耳へと届いてしまう。
そんな簡単な事さえも失念するほどに、三人は盛り上がっていた。
「おーう、レヴィ!起きたかぁ?」
起こしてしまったという意識はなく、ただ起きてきたと認識しているリーベルは、解禁とばかりに声を大きくした。
ふと目を向ければ、広い部屋の反対側に設置されているテーブルの上に食事と、大量の酒瓶がひしめく宴会の様相を呈している。
声を大きくしたリーベルが、既に酒に酔っている事は明白だった。
「レヴィ、おっはよー!ってもう夜だけどね!こっち来てのもーよ!」
おそらくリーベルに勧められたのだろう。フィデスもまた酔っているようだ。
その見た目は少女の姿をしていても、フィデスは紛れもなく数千の時を生きる老獪な竜。そんな彼女が酔っているという事は、かなりの量を既に飲んでいるという証。
「⋯何をしている、お前達」
苛立ちを隠す事なく低い声で問うレヴィ。普段ならこの声音に怯み、静寂を取り戻していただろう。けれど酒に酔った者達に、その知性が残っているとは思えない。
ふと真横を見下ろせば、まだ眠っているルティウスの寝顔がある。ようやく得られたこの子の安息を妨げる者への怒りは、しかし発揮される事はなく近寄ってきたゼフィラによって霧散させられる。
「レヴィ様も、いかがですか?ふふふふ⋯これ、美味しいですよ?」
「離れろ⋯ルティが起きる」
レヴィにとって、ルティウスの休息を妨げる事は断固として許されない。けれど近付いてきたゼフィラは妖しげに笑い、レヴィとルティウスを交互に見つめている。
「⋯ちっ!」
ベッドを揺らさないようにルティウスから離れ、ゼフィラの腕を掴んでテーブルの方へと向かう。あれ以上近付けさせては、酔ったこの女がルティウスに何をしでかすか分からない。
乱暴にゼフィラを引き連れてテーブルの前へと到達したレヴィへ、リーベルとフィデスが酒の入ったグラスを差し出す。
「おら、お前さんも飲め飲め!」
「レヴィもさぁ~、実は案外お酒が好きって、ボク知ってるんだからね~?」
強引な二人からの、酒の勧め。突っ撥ねても良かったが、それで騒ぎ出せばルティウスが起きるかもしれない。逡巡の末、レヴィは差し出されたグラスを奪い取り、それを一息に飲み干した。
「⋯これで満足か?」
勢い良くテーブルにグラスを置いたレヴィは、問いながらリーベルを睨む。だが重大な失敗を犯した事にレヴィは気付いていない。
「やっぱりなぁ⋯お前さん、かなりイケるな?」
ニヤリと笑うリーベルの手には、開けて間も無いだろう酒の瓶。中身はまだたっぷりと残っている。
「おい、これ以上飲めと言うのか」
「その通り!」
高らかな宣言と共に、リーベルは空いたはずのグラスへと酒を注いでいく。
ルティウスの元へ戻り、今度は甘やかしながら惰眠を貪りたいと頭の片隅で思っていたが、それは許されない。
レヴィは気付いていなかったのだ。リーベルが、対等に飲めるだけの相手を見つけると、無制限に付き合わせる『悪癖』があったのだと。
「⋯⋯ファムが言っていたのはこういう事か⋯」
──きちんと止めてやってください!──
ベラニスを発つ際に、リーベルの養子として育ったファムからの忠言。彼もまた、この養父の悪癖を知っているだろう存在の一人。この事態を想定していたのだろう⋯と、今更ながらに気が付く。
頭を抱えたくなるが、依然としてニヤニヤ笑うリーベルは酒瓶を手に構えている。飲むまで逃がさない⋯獰猛な獣の如き酔っ払いの据わった目が、レヴィをじっと見上げている。
「⋯こいつを酔い潰せば終わる話か」
小さく呟きながら、レヴィは腹を括る。
酒如きに負けるようでは神の名折れ。
それ以前にレヴィは、人間の尺度では測りきれないほどのザルである事を、本人はおろかリーベルも、フィデスでさえも知らないのだ。
空いていた椅子に座り、レヴィは再び注がれた酒を、またもや一息で空にする。
挑発するかのように視線を向ければ、リーベルは至極楽しそうに笑った。
「いいねぇ!そんじゃ俺も飲みますかね!」
今度はリーベルがグラスの酒を一気に飲み干す。それを見届けたレヴィの手には、テーブルに積み上げられていたボトルの一本。未開封だったそれを開けると、空になったリーベルのグラスへなみなみと注いでいく。
「⋯私に勝てると思うなよ」
「上等だぜ」
そうして始まるのは手合わせ以来の、男達の戦い。
どちらが先に酔い潰れるかという、それぞれの誇りを懸けた決して譲れない争いが始まった。




