0118
ルティウスは再び、手負いの獣か懐かない猫のように、レヴィを警戒している。
あの男がルティウスに何かを耳打ちした⋯その直後からこの状態だ。部屋の鍵を受け取り、近距離転送門で最上階へ向かうゼフィラの後ろに続くリーベルは、フィデスと共に呆れた表情で二人を見ていた。
「せっかくゼフィラちゃんが頑張ってくれてたのに、なぁにレヴィが無駄にさせちゃってんのよ?」
フィデスの指摘は尤もだ。あの森でルティウスが陥った反抗期⋯の次元を超えた拒絶モード。それを優しく包み込み解きほぐしてくれたゼフィラの献身は、レヴィが放ったであろう軽率な一言で無に帰したのだ。
「全くだ。ルティウスにどんなやべえ事を吹き込んだんだよ?」
「⋯別に大した事は言っていない」
「大した事だろうよ、ルティウスを見てみろ⋯」
不自然なまでに皆から少しだけ離れた位置を歩くルティウスの目は、やはり手負いの獣じみている。懐かない猫どころの騒ぎではない。
「ルティ、こっちに来」
「うっさい!」
レヴィが声をかけようとするも、言い終える前に遮られる。最初こそは拒絶されて不安になったが、今となっては少しだけ面白くなっている。我慢しようかと思ったが、込み上げる笑いを抑えようとはしなかった。
「⋯で?レヴィ、ルティ君になに言ったのさ?」
あそこまで警戒心を露わにするほどの危険な一言を囁いたのだと、リーベルもフィデスも察している。
「さぁな⋯」
不敵な笑みを浮かべたままはぐらかすレヴィは、至極楽しそうだった。
廊下を少し進んだところで、目の前には大きいものの、至って普通な両開き扉が姿を現す。もっと仰々しい装飾が施された豪華な造りを想像していたリーベルが、拍子抜けしたように呟く。
「案外⋯普通だな」
けれどその一言に返すのは、これも意外な事にレヴィである。
「この部屋が『そういう用途』ならば、わざわざ目立つ造りにはしないだろう」
竜でありながら、遥か昔より人に興味を持ったレヴィ。そんな過去の片鱗を匂わすかのように、彼は全てを理解した上で言っている。
「ていうかよ、レヴィお前さん⋯なんか、やたらそういう事に詳しくねえか?」
竜であり、神でもあるレヴィ。それにしては俗世について熟知している様子。どうにも違和感を拭えないが⋯触れてはいけない事だと本能で悟る。
リーベルへ向ける視線が、ほんの僅かに鋭さを増した。過去に何があったかを聞く⋯それは竜の逆鱗に触れる事と同義だと、言葉にしなくても分かったから。
鍵を持つゼフィラが扉を開け放つと、視界に広がるのはそれこそ、扉の質素さを覆す豪華な造りの内装。
広い部屋の奥には上質なソファとテーブルセットが設置されており、食事もここで可能だと見ただけで分かる。反対側には大人数人でも寝転がれそうな巨大なベッド。けれど空間は隔たれておらず、大きな一部屋という造りになっていた。
高台からの絶景が覗く一面の窓は端に扉があり、専用の温泉へと続くバルコニーへそのまま出られるようになっている。
そして入口の真横にも扉があり、複数の部屋を備えた特別室なのだと一目で分かった。
「ねぇゼフィラちゃん、こっちの扉は?」
フィデスが興味を持って開けた入口横の扉。その奥には、豪華ではないものの普通に寝泊まりが可能な客室と思しき部屋。
「そちらは確か⋯この部屋を利用する貴族を護衛する従者用ですね」
「へぇ~!従者用でもかなり立派じゃん。ボクここでいいよ!」
元々フィデスは、モア跡地の調査のために故郷を離れ、質素な一軒家で暮らしていた。豪華すぎる部屋よりも、目の前にあるシンプルな部屋の方が慣れている。
「俺もこっちでいいぜ。一応はフォンス家の跡取りだったが、没落してからは庶民だからな。あんなでかいベッドは逆に落ち着かねえぜ」
本来はベラニスでも有数の貴族であったリーベル。姉の崩御と共に実家が廃れてからは、一般庶民の一人として振る舞っている。
自警団時代の宿舎よりも立派な造りの従者用隣室でさえ、自分には勿体ないと思ってしまうほど。
「ではわたくしもこちらで⋯」
「ちょっと待って!」
公女であるゼフィラが従者用の部屋を選ぼうとした瞬間、ルティウスは叫んだ。
このままでは、あの大きなメインベッドを使うのが自分になる⋯そう悟ったルティウスによる、必死の制止。
「なんだよ?そんな大声で⋯」
部屋割りならぬベッド割り、それが粛々と進んでいた矢先の事。突然のルティウスの反応に怪訝な表情を浮かべるリーベルだが、一つだけ失念している。
レヴィが、どこも選ぼうとしていない事を。
「お、俺みたいなちっさいのが、あ、あんなでかいベッドじゃなくても⋯いいと、思うんだけど?」
しどろもどろになりながら必死に主張するルティウスだが、その言葉を制するのは同じく公女であり、サルースからルティウスを託されているゼフィラ。
「何を仰いますか。殿下にこのような部屋を使わせるなど、わたくしがサルース殿下に叱られてしまいます」
ルティウスには何不自由のない快適な旅を⋯それこそが今のゼフィラが抱く信念。
しかしルティウスは諦めない。
「それを言うなら、ゼフィラだって公女じゃないか!君がメインを使いなよ!」
「いいえ。今のわたくしは公女である前に、一人の戦士でございますから」
戦士と言いながら優雅な微笑みを浮かべるゼフィラ。その意思は固く、折れそうにない。
けれどその時、ゼフィラの傍らに立っていたフィデスの姿がルティウスの目に映る。
「そ、そうだ!ゼフィラとフィデスでメイン使ったらいいよ!女性同士だし、そっちの方が良くないか?」
それはルティウスなりの、会心の一撃だと思っていた。これならば誰しもが納得し、自分はメインベッドを避けられ、従者用の部屋にある普通のベッドに一人で寝られると。
「え~?ゼフィラちゃんと一緒は楽しそうだけどさ。それはこっちの部屋でも変わんないからね」
女性陣にメインを使ってもらうという作戦は、呆気ないほど瞬時に瓦解した。




