0113
静かな森の中で、少年は全てに背を向けている。
それは拒絶ではなく、単なる拗ねた子供の反応に他ならない。
「⋯ルティ」
「うっさい!話し掛けんな!」
命を救い、全身の神経の損傷という大きなダメージの回復に尽力したレヴィが声を掛けても、手負いの獣か懐かない猫のように警戒心を露わにする。
「⋯悪かったとおも」
「うっさい!」
謝罪の言葉すら遮られる。
しばらくはそっとしておくしかない⋯溜め息を吐きながら、けれど苦笑を浮かべてルティウスの背中を見守る。
そして当のルティウス本人は、未だに顔を真っ赤にして、休息している森の片隅に膝を抱えて座り込んでいる。
レヴィの開き直りによる爆弾投下から、既にかなりの時間が経過している。ようやく自力で立ち上がれたのは朝日が登ったばかりの頃。けれどもう太陽は頂点に差しかかろうとしていた。
「ルティウス、いい加減出発しねえか?」
「⋯⋯⋯⋯」
リーベルがこうして声を掛けるのはもう何度目か。それももう誰にも分からない。全てを無視してまで引きこもるように背を向けているのは、ただどんな顔をして振り返れば良いのかが分からないから。
「⋯⋯恥ずかしすぎるだろ、ちくしょう」
事を成した張本人である彼はどうして平然としていられるのか…。帝国の皇子という稀有な環境に在り続けたが故に、年相応の思春期すらも知らずに育った少年には、レヴィの心が全く理解出来なかった。
「⋯殿下、少しだけお傍に寄る事を、お許し願えますか?」
穏やかで控えめなゼフィラ声が、ルティウスへと届く。しばらくの間を置いてから振り返りはせずに、だが微かに首を縦に振る。
人間と価値観のズレがある竜神達とも、すぐに茶化そうとするオッサンとも違う、優しい淑女の声。自分と似た公女という立場の彼女ならば⋯という、不思議な安心感がルティウスを頷かせていた。
「ありがとうございます」
いつもならこの時点でレヴィが殺気を放っていただろう。だが己ではもう手に負えないと判断していたのか、珍しく離れた場所から静観している。
静かに歩み寄り、ルティウスの隣に腰を下ろす。その動作はとても優雅で、戦いに向いた軽装でありながらも公女としての正式な教育を受けて育った事を雄弁に語っている。
「殿下のお悩みは、わたくしも少しだけですが、分かります」
「⋯⋯そうなの?」
「はい。姉からいつも⋯サルース殿下との、その⋯惚気話を聞かされておりましたので」
「⋯それはそれで、大変そうだね」
彼女も苦労してるんだな⋯と、他人事のように思う。そしてやはり、もやもやとした気持ちが心に沸き起こる。
ゼフィラの言葉も、結局は当事者の悩みではない。俺の気持ちは分からないよ!と叫びたくなったが、言葉は胸の奥にしまい込んだ。
「ですが姉は、こうも言っていました⋯⋯そうした惚気も、聞かされる側の呆れも羞恥も、生きているからこそ、と」
サルース第一皇子の婚約者である、ヴェネトス公国第二公女セレーナ。先見の明を持ち知将とも謳われるサルースの伴侶となる道を選んだセレーナだからこそ、ただ無意味に惚気けている訳ではないのだろう。
「姉妹とはいえ、話さなくてもいいような事まで聞かされたわたくしの気持ちは、少しだけ⋯今の殿下が悩まれているお気持ちと、似ているように感じました」
詳しく聞かなくとも、あの紳士のようで明朗快活な⋯そしてズレた感性を持つ長兄の事だ。人目も憚らずセレーナ公女と愛を語り、周囲を困惑させていたのだろうと想像がつく。
「⋯なんか、兄様のせいで⋯ごめんね?」
「いいえ、謝罪なされる必要はございません」
ゼフィラは穏やかに微笑んでいる。その笑顔は、少しだけルティウスの心を落ち着かせた。
「殿下は、まだそうした⋯その、異性とのご経験は⋯?」
「⋯な、ないよ」
「わたくしもです⋯」
「「⋯⋯⋯⋯」」
困惑しそうな問いの後に流れる、謎の沈黙。少しだけ気まずい空気だが、不快には感じない。だが女性とほとんど関わった事の無いルティウスにとっては、その気まずさの正体すらも曖昧だ。
「⋯殿下に、お願いしたい事がございます」
「えっ⋯え?な、何?」
唐突な話の切り替わりに、ルティウスは動揺する。少しだけ真剣な表情を浮かべるゼフィラの瞳は真っ直ぐにルティウスを見つめ、それを告げた。
「全てが落ち着きましたら⋯⋯わたくしと⋯⋯」
そうしてゼフィラが言い終えるよりも早く、既に慣れた殺気が背後から感じられた。
呆れたように振り返ると、案の定の光景。
「⋯⋯ルティに、何を言うつもりだ」
「おいレヴィ!邪魔してやるんじゃねえよ!」
「そうだよ!今イイトコだったじゃん!空気読みなよ!」
ルティウスが拗ねている数時間で退屈していたのか、もはや野次馬と化しているリーベルとフィデスが、謎の理由でレヴィを制止しようとしている。
そして⋯数時間ぶりにレヴィの顔を見て羞恥心が再燃してしまいそうになるも、途切れたゼフィラの言葉の続きが気になって心がザワつく事は無かった。
「ごめんな、なんか外野が⋯⋯」
「いいえ⋯」
「で、さっき俺に、何を言おうと⋯?」
殺気と雑音で遮られたゼフィラの言葉。せめてちゃんと最後まで聞き届けよう⋯純粋で真面目なルティウスだからこそ、女性が抱く好意という名の想いには全く気付かない。
あれだけ邪魔をされて、途切れた言葉の続きを紡げるはずもない。
そうした女心は、ルティウスにはまだ分からない。
「またの機会に致しますね」
ルティウスは、純粋すぎるが故に、鈍感だった。
「ッあーもう!情けねえな全く!」
後方では、何故か憤慨する叔父の声。
「ちょっとレヴィ!ちゃんと!ルティ君に、そういうコトも教育してあげなよ?」
「断る。必要ない」
竜神達は、また不穏な言い合いをしている。フィデスが言う教育が何を指しているのか、当然のようにルティウスは気付いていないけれど。
「さぁ、殿下⋯そろそろ出発しませんか?」
「あ、うん。そうだね⋯」
いつの間にか、引きこもりに近かったルティウスの精神状態は緩和されている。ゼフィラが差し伸べた手を取って立ち上がり、徐に空を見上げる。太陽はもう真上にあり、時間の経過を知ってルティウスは驚いた。
「えっ!もうこんな時間?」
「はい。ですので、今日中に宿のある場所まで向かうなら、そろそろ出発した方が良いかと思います」
「なんか⋯本当にごめんな、俺のせいで⋯⋯」
「いいえ?殿下とお話出来る良い機会になりましたので」
今回は、邪魔が入ってしまった。
けれどゼフィラは諦めていない。
彼女がルティウスに寄せる想いは本物であり、だからこそ大切に、最良の機会を窺い続けている。
そんなゼフィラの恋心にルティウスが気付くのは⋯──。




