0112
同時刻。
グラディオス帝国。
皇族が住まう堅牢な城の最上層、皇帝が座するべきその椅子には、自らを王と吹聴する若き皇子、ラディクスが座っていた。
そして眼前に力無く倒れ伏すは、彼の実父でもあるはずの帝国皇帝、カシウス・レクス・グラディオス。
その光景を見届けるは、皇帝に忠誠を誓ったはずの、国防の要たる重臣。
騎士団長カストス・アートル。魔道士団長ビクティ・ヴェリター。
そして、ルティウスを帝国の反乱から救い、レヴィと出会うきっかけを作り出した張本人である、アミクス・ヴェリター。
「⋯ラディクス殿下、陛下を手に掛けるのは⋯僕には⋯⋯」
城の地下祭壇からルティウスを送り出した直後、アミクスは第二皇子によって囚われた。ルティウスを逃がした自分は、きっと殺されるだろう⋯そう覚悟していたが、ラディクスは手を出さなかった。
『私の元で覇道を進まないかい?』
それが罠や計略の類だと分かっていて、けれどアミクスは首を縦に振った。それは別れ際に、ルティウスと交わした約束のため。
──必ず……必ず生き残れよ?友達として、お前が仕える皇子として、死ぬ事は絶対に許さない!──
ルティウスとの約束、それだけを支えにこれまで過ごしてきた。
けれどアミクスは今、危地に立たされている。
「ふぅん⋯⋯そう。私の目の前で、その男をまだ陛下と呼ぶのかい?」
この玉座の間にこれだけの少人数しかいないのは、この場に集まるべき臣下の大半が既に処刑されていたから。
アミクスもまた、何人もを手に掛けた。心を凍らせ、徹底的に情を捨て、生きてルティウスに会う⋯ただそのためだけに、ラディクスが下す非情な命令を遂行してきた。
けれど、アミクスはついに躊躇する。
眼下に倒れている皇帝は、あのルティウスの実父。皇帝という地位を抜きにしても、手を出せる訳がない。
──彼を殺せば⋯僕は、ルティの⋯親友の父親を殺す事に⋯──
母親の死後、たった一人で泣いていた幼いルティウスの姿を知るアミクスに、出来るわけがない。
「僕には⋯出来ません⋯」
「ふぅん、そう⋯」
まるで興味を無くしたように、ラディクスは視線を逸らす。そしてそばに控える騎士団長へと、その歪んだ眼差しを向ける。
「君がやりな」
「⋯⋯はっ」
応答する騎士団長の声は、空虚だった。そこに本人の意思など無く、ただラディクスの命令を忠実に遂行するだけの人形。
それは反対側に立つ魔道士団長⋯アミクスの父も同じ。
彼らは既に、その魂を喰われてしまっている。
アミクスがまだ『そう』なっていないのは、単なるラディクスの暇潰しに過ぎない。
「アートル卿、おやめ下さい!」
届くはずが無い事は分かっていて、それでもアミクスは叫んだ。
このまま止めに入れば、ラディクスに消される。それはルティウスとの約束を破る事になる。
そうして葛藤するアミクスの眼前で、騎士団長が剣を抜く。鋭く研がれた剣は、窓から差し込む朝日を反射して煌めいていた。
カシウス皇帝を若かりし頃から支え、即位に最も貢献したとされる騎士団長。その手が気絶し倒れる皇帝の髪を掴み上げ、僅かな躊躇いの気配もなく、皇帝のために研がれた剣を、その喉へと⋯──。
「ッ⋯!」
思わず目を逸らしてしまう。
見届けるべきなのかもしれない⋯けれど、見れなかった。
辺りには大量の血が飛び散り、皇帝だったその人は、既に生きた人間では無くなっている。
「さて⋯⋯⋯」
びくりと、身体が跳ねる。
暴虐の王の暇潰しを完遂出来なかったアミクスは、恐怖で震えている。助けなど望めるはずもない城の最上層で、ラディクスの退屈そうな視線を一身に浴びていた。
「私の命令が聞けないなら⋯聞きたくなるようにしてやらないとな」
「⋯な、何を⋯僕にこれ以上⋯⋯何をさせよう、と⋯」
「少しだけ、その理性を、もらうよ」
「⋯えっ!」
直後、ラディクスが左手を翳すと、そこから黒い魔力が溢れ出す。
瞬時にアミクスの身体へと纏わりつくそれは、アミクスから最も大事なものを奪う。
「くそっ、何だ⋯これ⋯!」
魔道士でもあるアミクスでさえ、振り解けない濃い魔力。
それは⋯アミクスの魂へと干渉していく。
「忘れてしまいなよ、君が大事にしてる、約束なんてさ⋯」
残酷な一言は、命令だった。
そしてラディクスの言葉通り、アミクスの頭の中から、記憶がガラスのように割れていく。
ルティウスとの出会いも、笑いあった事も、魔道士団の詰所で共に学んだ日々も、別れ際の約束も、全てが⋯。
「いや、だ⋯⋯僕か、ら⋯ルティを⋯⋯奪わない、で⋯」
抗おうとしても、記憶は零れ落ちていく。
涙を流したのは一瞬の事。
直後、アミクスはその顔に、笑みを浮かべていた。




