0111
「⋯動ける!」
嬉しそうに宣言するルティウスだが、二柱の神はまだ少年を制止する。
「動くな、ルティ」
「まだ全部じゃないから!見失うからじっとしてて!」
「あ、はい」
調子に乗って早速動き出そうとするが、前後から同時に止められたため、再びレヴィへと凭れ掛かって力を抜いた。
そうして沈黙とともに、ただじっと治療が終わるのを待つ。そしてルティウスは少し⋯どころか、かなり退屈していた。頑張ってくれている二人の前で、そんな事は口が裂けても言えないけれど。
「なぁ、ルティウス」
そして遠慮がちに話しかけるリーベルの声が届いて、視線を向ける。
「⋯どうだ?元に戻りそうな感覚はあるか?」
圧倒的な力を持つ竜神が、二人がかりで行う治療。失敗してしまうとは欠片ほどにも思っていないが、甥を心配する気持ちもまた変わる事はない。
けれどルティウスは、意外な答えを口にする。
「それがさ、動けるとは思うんだけど、特に何も感じないんだよね」
「⋯えっ!」
治癒魔法に集中していたはずのフィデスが、驚きの声をあげる。
「⋯え、何で?神経の再生なんて、絶対痛いはずなのに!」
「⋯えっ?」
フィデスと同じような驚き方をするルティウスは、フィデスをじっと見つめてから、改めて己の身体に意識を向ける。回復していく感覚はある。止められなければ立ち上がれそうな気もする。けれど、フィデスが言うような痛みは一切感じていない。
「⋯⋯フィデス、集中しろ」
ルティウスの頭上から放たれるのは、不思議な間を置いた後のレヴィの忠告。
フィデスが再生させなければ、繋げられるものも繋げられない。そうした意図での一言だが、過去に『無痛』を体験しているルティウスと、レヴィの魔法についてそれなりに知っているフィデスは気付く。
「バッカ!なぁんでこんな時に重ねがけしてん⋯」
「黙れ集中しろ!」
「もぉー!」
集中しろと言うレヴィの主張は至極正論だが、フィデスは納得していない。
「⋯素晴らしい魔法制御です。レヴィ様にも、その繊細な制御の真髄を是非ともご教示願いたいところです」
「いや⋯レヴィは絶対、ルティウス以外には何も教えたりしてくれねえって⋯⋯」
文字通りの神技を前にして向上心を刺激されるゼフィラに、リーベルが冷静に答える。
フィデスが驚き声を荒らげるのも無理はない。レヴィが行っている融和の力と痛覚麻痺の同時発動は、もはや紙一重の荒業。制御を誤れば、神経が繋がった端から麻痺を起こし、再起不能に陥りかねない。痛覚だけを塞き止めるなど、レヴィでなければ不可能だったから。
ちらりと、背後のレヴィを振り返る。発言からは余裕さえも感じられたが、予想以上に真剣な表情をしてルティウスを見下ろしている。目が合うと、レヴィは微かに瞳を細めた。
既に死と隣り合わせの苦痛に耐えたルティウスに、これ以上の痛みなど感じさせたくない⋯そんな意地が、レヴィを奮い立たせている。
何も案じる事はない⋯──。
見下ろしてくる視線は、そう言っているように思えた。
長く続いた二柱の神による治療が、ようやく終わりを迎えた時。
「⋯ふぁ~~、完了ぉぉ~~!」
腐り落ちた神経の全てを再生させるという神ならではの力を行使し続けたフィデスが、プレッシャーから解放された途端に地面へと仰向けに寝転んだ。
そして背後からルティウスの身体を直接支えたまま多重魔法を使っていたレヴィも、崩れるようにルティウスの肩へと凭れ掛かる。
治療のための魔力そのものはルティウスからの供給だが、それを制御し続け、集中を切らせてはいけないという重圧に耐え続けた二人は、その顔に珍しく疲労の色を浮かべていた。
「大丈夫か、二人とも⋯」
彼らをここまで疲弊させたのは自分だと分かっているルティウスは、そっと声を掛ける。
すぐ横を向けば、長時間に渡る手合わせの後ですら汗ひとつかかなかったレヴィが、前髪の隙間から覗く額に雫を浮かべ、僅かに呼吸を乱している。
「⋯私は平気だ。それよりも⋯動けそうか?」
どこが平気なんだ⋯そう言いたい気持ちを飲み込んで、ルティウスはそっと動き出す。肩に凭れていたレヴィがその身体を離し、軽くなったところでゆっくりと立ち上がる。疲労した竜達に代わって、リーベルとゼフィラが両側に立ち手を差し伸べている。
「転ぶなよ?」
「どうぞ、お掴まり下さい」
二人の手を借りながら、ルティウスは地面を踏み締める。あれほど力が入らず動かなかった足は、呪いを受ける以前と変わらない状態に戻っていた。
「⋯うん、大丈夫みたい!」
リーベルとゼフィラの手に掴まっていたが、それを離してもふらつく事はない。
「ほんっと、良かったなぁ!」
もう大丈夫、そう安堵したリーベルが、ルティウスの身体を強く抱き締めた。
呪いという脅威に対して何も出来ず、全てを誰かに任せる事しか出来なかった。何も出来ないからこそ、誰よりも強くルティウスを案じた。
「心配かけてごめん、叔父様」
心からの安堵によって涙を浮かべるリーベルへ、感謝の意を込めた謝罪を告げる。大切な甥の、無事の生還と復活に感極まった叔父は、ズズっと鼻を啜る音を立てている。心の片隅で、服を汚されたらどうしようかな⋯と考えていた事は、ルティウスにとって叔父への最大級の秘密事だ。
しかし背後から、背筋が凍るような殺気を感じてしまう。
けれど慌てる事はない。何故ならそれは、目の前でルティウスを抱きしめる男に苛立つ、過保護な竜神のものだから。
「⋯どさくさに紛れて、ルティにくっつくな」
低く唸るような声で発せられた一言に、全員が同じ感想を抱く。
──あんた、いつもじゃん?──
心の中では悪態をつきながらも、フィデスと、そして何よりもレヴィに対する感謝は尽きる事がない。彼の行動が無ければ、こうして笑う事も出来なかったのだから。
本当の意味で命を救われたのだと、ルティウスは思い返す。そして⋯連動して脳裏にに浮かび上がるのは、唇に残り続ける柔らかな感触の朧げな記憶。
「⋯⋯殿下、如何しましたか?お顔が赤いようですが⋯?」
優しく微笑むゼフィラが、ルティウスの顔色の変化を指摘する。体調の悪さを気にしている訳ではない。だが女性ならではの直感が、何故か全力で稼働していた。
「あれぇ、ホントだぁ。ルティ君、どしたの?」
大の字で寝転んでいた竜の少女が、ゼフィラの声を聞いて起き上がりルティウスの顔色を窺う。
そして、他者の機微に聡く悪戯好きな土の竜神の本領もまた、容赦なく発揮されてしまう。
「⋯⋯もしかしてさぁ~、レヴィと、なんかあった?」
「⋯⋯ッ!」
声にならない悲鳴が、ルティウスの喉から零れる。
ヤバい⋯!そう思っても、一度蘇った記憶はどう足掻いても消せない。
「黙れフィデス消すぞ」
普段の何倍も早口でフィデスを窘めるレヴィの声音は、確かにいつもと変わらない。しかし⋯ルティウスの反応が、何よりも雄弁に語る。
本当に、何かがあった⋯と。
「⋯ぅおい、レヴィ⋯てめぇ⋯⋯⋯」
ルティウスを抱きしめて涙と鼻水に塗れかけていたリーベルが、レヴィに勝るとも劣らぬ殺気を放って歩き出す。
「俺の大事な甥っ子によぉ⋯二人きりで、何してくれやがったんだ?あぁ?」
そうして誰かが追求する毎に、ルティウスの記憶が鮮明になっていく。多感な年頃故の想像力も手伝って、羞恥から草葉の陰に逃げ込みたくもなったが、フィデスはそれを許さず行く手を阻むように立ち塞がる。
「ねぇ~、ナァニがあったの~?」
そこにはもう、全力で竜神の権能を発揮していた恩人の顔などない。それ以前に、フィデスには一度前科を⋯ベッドの上で抱き締められていた光景を見られているのだ。
「ち、違うって!何も⋯無いから!」
今更の否定だが、顔を真っ赤にしていては説得力などあるはずもない。
「⋯殿下、宜しければ向こうへ。落ち着いた場所で⋯⋯よければ詳しくお伺い出来ませんか?」
「なっ、く、詳しくって⋯なん⋯⋯」
「私のルティに近付くな、女!」
「だから私のじゃないだろ!もう、こじれるからやめてよ⋯!」
「てめぇのじゃねえんだよ!ルティウスをたらし込みやがって、この野郎⋯!」
「黙れ!」
座り込んでいたはずのレヴィも立ち上がり、殺気を滲ませるリーベルへと向いてくだらない言い合いを始める。
どんどんややこしくなる状況に頭を抱えたい心境のルティウスへ、ニヤニヤと笑うフィデスが、ついにとどめの一言を放つ。
「もしかして、ちゅーでもしちゃった?」
「⋯ッッッ!」
その一言を境に、耐え切れなくなったルティウスは両手で顔を覆いその場に崩れ落ちる。
「⋯えっ、マジで?冗談のつもりだったのに?」
「⋯やはり、詳しくお聞かせください殿下ッ!」
「レヴィてめええええええ!」
誰よりも低く太いはずのリーベルの声は、まるで金切り声のような奇声と化し、朝日の差し込む森中へ響き渡った。
その暴走と、興味と、羞恥をさらに加速させるのは、開き直った過保護な竜神の爆弾発言。
「だとしたら何が悪い!」




