0011
気付けば外は日が傾いており、夕飯の準備が終わるまで休めるようにと、先に泊まる部屋へ案内された。
そして通された部屋の中を見てルティウスは絶句する。少し広めではあるが、それでも部屋にベッドは一つしか置かれていなかった。
「……なぁ、まだ遊ばれてるのか?」
「いや、本当にここしか無いんだよ」
「そ、そうか……」
「じゃ、ゆっくりしててね~」
言い捨てて逃げるように去っていくフィデスをどこか恨めしそうに見送り、再び視線を部屋の中へ向ける。どうにか二人で寝られない事もないだろう大きさのベッドが嫌に目に付いてしまう。
どんなに大人だと自負していても、ルティウスはまだ十八歳。何かと多感な年齢である。
「……道中、魔物への警戒で気を張らせていただろう。少し横になって休んでおくといい」
特に何かを気にした様子もないレヴィがさっさと部屋へ入り、ベッドの縁に腰を下ろす。視線はルティウスへ向けたまま、手がベッドをトントンと叩いている。まるでこちらへ来いと誘うかのように。
「……まぁ、そうなんだけどさぁ…」
本日何度目かわからない溜息を吐いてから、扉を閉めて部屋の奥へと進む。腰の剣を外し傍らの壁に立てかけ、レヴィが座る隣へ向かう。既に膝枕もされていて、やむを得ない状況ではあったが抱きしめられた事もある。同じベッドに座るくらい何でもない事…そう考えているはずなのに、何故か言い知れぬ緊張がルティウスの全身へ広がっていた。
「……どうしてそんな所に突っ立っている?」
「い、いや……」
距離感のおかしい竜神は、戸惑うルティウスの腕を掴み強い力で引き寄せる。突然の事にバランスを崩して倒れ込むルティウスだが、難無く受け止められそのままベッドの上へと転がされた。
「ちょっ、いきなり何を……」
「いいから目を閉じろ」
無理矢理ベッドへ寝かされた状態のルティウスが文句を言おうとするも、レヴィの手がそれを遮る。頭を撫でながら目元を覆い、僅かに差し込む夕暮れの強い陽光から守るように宛てがわれた。
「いや、別に眠たくはないんだが」
「それでもだ。目を閉じていればいずれ眠りに落ちる」
「まだ靴も脱いでないのに……」
「気にするな、脱がせておく」
「だからまたそういう意味深な……」
何をどう言っても返され、諦めの境地に至る。長い時を生きる神に言葉で勝てる確率は極めて低いだろう。
身体から力を抜き、言われるがままに瞼を閉じる。すると不思議な事に、それまで感じていなかった疲労と眠気が全身を包もうとしている感覚に陥る。
「……れ、ヴィ…………」
「……ん?」
「あんた、も……ちゃんと、やすめよ……?」
「あぁ、わかっている」
目元を覆うだけだった大きな手が、ゆっくりと頭を撫でていく。優しい手の動きと連動するかのように、ルティウスの意識は沈んでいく。低く穏やかな声は子守唄のようで、訪れる眠気へ抗う意志を消し去ってしまう。直後、ルティウスは静かで規則正しい寝息を立て始めた。
「……手のかかる子だ」
ルティウスがかなりの無理をしていた事は、レヴィには一目瞭然だった。枯渇寸前まで消耗した魔力が全快するのも待たずに出発し、道中ではまたもや無意識に感知の魔法を発動させていた。その上魔物が出現すれば真っ先に飛び出し、得意の魔法剣を駆使して戦い続けた。
気掛かりはあるものの、こうして身体を休められる場所へ立ち寄れたのは幸運だろう。宣言通りルティウスの靴を脱がせて床へ置き、高価な素材で作られているのが一目でわかるコートも脱がせて、傍にある椅子の背凭れへ掛けた。最低限、眠るに相応しい状態にはしてやれただろう。
足元に畳まれていた毛布を広げて小柄な身体に掛けると、さらに寝顔が穏やかなものへ変わった気がした。
そんな安らかな寝顔を見下ろしながら思案するレヴィは、自らが身に付けていたペンダントの一つを外し、眠っているルティウスの首元へと器用に着けていく。
細い紐の先には、青い雫の形をした小さな石が取り付けられていた。
「これで……お前の負担を少しは減らせるといいが……」
起きた時にこの石の説明をして、どんな反応を見せるのか楽しみに思いながら、レヴィもまたルティウスの隣で身体を横たえる。
かつて短い時間を共に過ごした女性と似た雰囲気、そして似た魔力を持つ、若くて健気なこの少年。守るためならば、今度こそどんな事でもしよう…そう心に決めていた。
***
身体に感じる心地良い重みと温もりに、意識が浮上する。薄らと目を開ければ視界は暗く、夜になっているのだと朧げながらに理解した。どれだけ眠ったのかは分からないが、随分と身体が楽になった気がする。
余りにも強引に寝かしつけられて困惑したが、それだけレヴィに心配を掛けていたのかもしれない…と、反省をする。しかしそんな気持ちは、現在の状況を把握した瞬間に砕け散った。
「ッ……!!」
思わず叫びそうになるほど、至近距離にレヴィの顔があった。急激に覚醒した意識は、必死に状況を確かめるべく五感を働かせる。
鼻が触れそうなほどに近い整った顔。微かに開かれている唇の隙間からは静かな寝息も聞こえてくる。今まで以上に密着し過ぎた距離に動揺しながらも、どうにかこの状況を脱しようと考えるが、レヴィの腕は逃がさないとばかりにルティウスの身体を抱き締めていた。
膝枕に続いて、今度は腕枕だった。首の下から回された腕では頭を寄せられ、腰の上に乗っている腕はしっかり背中へと回されている。起こさないよう慎重に脱出を試みるが、身動きをした直後に強く抱き締められて、逃げられるはずの僅かな余地を完全に奪われてしまった。
そして間の悪い事に、部屋の外からは二人を呼ぶ声が響いてきた。
「二人とも~、ご飯の準備ができたよ~」
「……やっば…………くそっ、レヴィ…何でこんな……」
少ししか話していないが、フィデスの性格ならば躊躇わずに扉を開けられそうな気がする。こんな光景を見られては、再び大きな誤解を生みかねない。
「レヴィ…離せって……!」
「ルティく~ん、レヴィ~、ごは……」
予想通りの展開となり、双方の動きがピタリと止まる。おそらく「ご飯」と言おうとしただろう言葉は途切れ、ベッドの上で抱き合う男二人の姿は少女に目撃される事となった。
「…フィデス、助けて…………」
「……はっ!」
思わず泣きそうな声で助けを求めてしまうルティウスだが、その要請が正確に届く事は無かった。
「ごめん邪魔しちゃったね~!ボクは先に食べてるから、終わったらおいで~」
言うだけ言って、フィデスは扉を閉めてそのまま立ち去った。これは間違いなく、完全に誤解された。そんな関係ではないと伝えるために後を追いたくても、ルティウスの小柄な身体は眠るレヴィによって拘束されているに等しかった。
「……ッ~~、レヴィ!起きろ!」
「…………ん……」
小さく返事をしたように思えるが、まだ寝ぼけている。覚醒の代わりに再度強く抱き締められ、余計に逃げられなくなっていた。
「神様の癖に寝汚いって、どういう事だよ……」
「…………失礼だな」
唐突に聞こえたはっきりとした返事に、身体がビクリと跳ねる。胸元に埋められていた頭を何とか動かし顔を見上げると、美しい金の瞳がルティウスを睨んでいる。
まさか寝起きの機嫌が悪いタイプなのか……?そう考えるも、睨んだ理由は別だった。
「フィデスに邪魔をされたな……」
「邪魔って、俺達は泊めてもらってる側で……」
「知らん」
レヴィらしくない冷めた返事に困惑するルティウスは、気付けばベッドの上で仰向けにされていた。視界の正面には、ルティウスを見下ろすレヴィの瞳がある。両腕は上から押さえつけるように手首を捕まれ、足を動かそうとしても腹の上に跨られ一切の抵抗が出来ない。今度こそ完全に捕らわれた格好となっていた。
「……れ、レヴィ……?」
「…………」
「…何、して……」
初めて経験する状況に、内心で恐怖が湧き起こり始める。あの優しいレヴィとは違う射抜くような視線に見つめられ、芽生えた恐怖がじわじわと大きくなっていった。
「…………ふっ」
しかし突如レヴィは吹き出し、すぐさま笑い始めた。
一体どういう事なのかわからず、泣きそうな表情を浮かべて呆然とするルティウスから降りたレヴィが、腕を伸ばして怯え切った身体をゆっくりと起こさせた。
「な、何なんだよ……」
「悪かったな、少しだけ遊ばせてもらった」
「……っ、ばかやろう!」
向かい合う形で座るレヴィの胸元へ、握った拳を思い切りぶつけながら倒れ込む。あんな恐怖は、戦闘ですら味わった事がない。握っていてもまだ震えの止まらない手で何度もレヴィを叩くが、そっとその手は捉えられてしまう。
「……こんなに怯えさせるとは思わなかった。すまない」
謝罪の言葉を口にするレヴィに、涙を堪えていた目をゆっくりと開く。その時、自身の首からぶら下がる小さな煌めきに気付いた。
「……え、何だこれ?」
暗くて分かりにくいが、おそらくレヴィの角と同じ色をした石。微かに魔力を感じたため、それが魔石の類である事はすぐに理解した。
「俺、こんなもの持ってたっけ…?」
「怖がらせた詫びの品と思ってくれていい」
ぱっとレヴィを見上げると、そこには見慣れたいつもの微笑みがあった。
「これ、魔石?」
「近い物だが、聖石という」
「効果は?」
「私とお前の魔力を繋ぐ」
「魔力を…繋ぐ?」
曰く、互いの魔力を共有し合う事が可能だと教えてくれた。つまり身体に触れていなくてもルティウスがこの石を持っている限り、レヴィは己の意思で魔法を操れる事になる。
「逆にルティも、私を介して水脈への干渉が可能になる」
「…これ、かなり貴重な物なんじゃ…?」
「大した物ではない。力を取り戻せれば、この程度はいくらでも創造できる」
本当に神様だなと、改めて実感する。そしていつの間にか、心に芽生えていた恐怖は消え去っていた。
衣服の乱れを直しながら付け足された説明によれば、フィデスへの対策との事だった。こちら側の素性をあまり打ち明けられないため、また今後も出会うだろう人々から怪しまれないようにするため、この石が必要だろうとの判断からルティウスに贈った物だ。
「……でも俺の魔力を使うんだろ?また枯渇したりは……」
「禁術レベルでもなければ、あんな事にはならない」
「そっか。じゃあ大丈夫かな?」
この流れはまた頭を撫でられるかと思っていたが、レヴィはただ満足そうに笑うだけだった。
魔物が現れてもルティウスに任せきりで戦えない己に歯痒さを感じていたが、もう守られる必要はない。本体のように大それた事は出来ず人間が扱う程度の魔法しか使えないが、今はそれで十分だった。




