0107
「んん~⋯っ!」
「⋯おい?」
いい加減レヴィの膝枕から脱出したくなって、渾身の力を込めて起き上がろうとする。意図に気付いたレヴィが腕を伸ばし、小さな背中を支えていた。
「だから無理に動くなと⋯」
困ったように、少しだけ不機嫌そうに言うレヴィの目は、少しだけ真剣だった。
「お前が倒れた後、ここへ来るために転移魔法を使ったからな」
レヴィが案じているのは呪いの影響と、転移魔法の発動に伴うルティウスの魔力の消耗。
かつては枯渇に追い込んでしまったほどの膨大な魔力量を、あの衰弱した身体から吸い上げた事になる。
「⋯あ~、アレかぁ」
転移魔法と聞いてルティウスも納得する。初めて魔力の枯渇を経験したあの時に感じた極度の倦怠⋯現在感じている身体の重さと確かに酷似している。
「⋯でも、あの時より動かないよ?」
「それこそ呪いの影響だろう」
伸ばされた腕に支えられたまま、何度か手足の感覚を確かめる。動かせない訳ではなさそうだが、違和感があまりにも大きく普段よりも強い力を込めなければ立つ事さえも難しそうだ。
「そんなに、酷かったのか⋯?」
朧げな記憶の中で、レヴィが取り乱す声を聞いた気もする。この穏やかな竜神が、それほどまでに心を痛め、精神を疲弊させた⋯それが自分のせいだと、はっきり覚えていなくても察してしまう。
「ごめんな、また俺⋯」
「気にしなくていい」
ルティウスの言葉を遮り、背中を支える腕がルティウスの身体を抱き寄せる。
「お前が無事なら、それでいい⋯」
「⋯レヴィ」
胸元に顔を埋められ、その体温に触れる。伝わってくる鼓動は、ルティウスに安心を与えていた。
そしてレヴィもまた、胸元に感じるルティウスの吐息に、心からの安堵を覚えている。
不安など、与える必要は無い。
本当は、転移魔法を使う際にレヴィ自身も呪いの余波を受けていたなど、気付かせてはいけない。
侵食された魔力を吸い上げて、ルティウスと同じだけの痛みを味わった事など、この子は知らなくていい。
心地良い温もりに包まれ、再びの微睡みに沈みかけた時、ルティウスはふと思い出す。
内臓を焼かれるかのような苦痛を感じていた時に、唇に何かが触れた事。聞くのは怖かったが、知らなければならない…本能に近いところの何かが、ルティウスに告げている。
「ね、レヴィ」
「何だ」
「…俺にさ、何か…した?」
「……………」
至近距離にあるレヴィの顔を見上げてみるが、彼は視線をどこか遠くへ向けたまま沈黙している。
「おい、何かしたんだろ…」
「…………していない」
「何だよその間は!っていうかこっち見ろよ!」
直後、ルティウスは動かないはずの全身に本気の、渾身の力を込めて勢いだけでその場に立ち上がった。
離れないと…こいつは危険だ。身体が、本能が、そう叫んでいるような気がする。
「待てルティ、急に動くなと…」
立ち上がれたと思ったのも束の間。ガクガクと震える両足は、すぐに崩れ落ちてしまう。
咄嗟にレヴィが抱き留めたものの、ルティウスは尚も蒼い瞳に警戒の色を浮かべている。
「離せぇ⋯!触るなぁ!」
「何をそんなに警戒している?」
「あんたが何したか分かんないからだろぉ!」
子供のように喚き散らして、抱き留めたレヴィの腕の中で藻掻こうとする純情な少年。
分からなくて警戒するというのなら、伝えるしかないのだろう。レヴィにとっては、ただルティウスの命を救いたいがためにした事。やましい事は何も無い。
「呪いの根を浄化するために、そこの水を飲ませただけだ」
視線で指し示されたのは、すぐ側で淡い光を放つ魔力を帯びた泉。レヴィが自分を救ってくれたのだと理解はしていても、飲ませた『方法』を問わねばならない。
もしもまだ氷のグラスが残っていたのなら、言い訳の証拠として使えただろう。しかし既に、グラスは砕けて魔力へと還り、その痕跡すらも残ってはいない。
「⋯どうやって?」
「⋯⋯⋯⋯⋯」
「なんっで、黙るんだよそこで!」
けれどルティウスの視界に、それが映り込む。
抱き留められた事で近付いた距離。ごく近くに見えるのは、レヴィの白くて薄い唇。
どうして意識してしまったのかは分からない。けれど見てしまった瞬間に、柔らかな感触が何故か思い出されてしまった。
「⋯おい、あんた⋯⋯まさか?」
「⋯⋯悪かったと思っている」
核心を言葉にした訳ではない。けれどルティウスも多感な年頃。気付かないはずもなかった。
「⋯⋯ッ!バカぁ⋯!初めて⋯なのに!もぉぉーー!」
静寂に包まれた水の聖域に、水の神の加護を受けた少年の、純情を奪われた哀れな絶叫が響き渡った。




