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竜と神のヴェスティギア  作者: 絢乃
第十話

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 そこはとても静かで、冷えた空気に包まれた場所。

 大陸の中央部に存在する最高峰、アムニス山。その山頂付近に、かつてレヴィは聖域を建造した。魔力による物質創造と厳重な結界構築、そして水竜の本領を発揮し多量の水が湧き出る地へと変えた。

 あの時は、ただアールの頼みを聞いただけだった。それが千年経っても残り、今こうしてこの地に満ちる力を必要とするなど、想像すらしていなかった。

 聖域に広がる光景は、ルティウスと初めて出会った地底の泉に似ている。元より特別な思い入れのある場所と似た風景を造り出したのは、レヴィにとっては無意識だったけれど。

 感傷に浸る猶予は無い。それが分かっているからこそ、レヴィはルティウスを抱えたまま、奥にある水源へと向かう。

 記憶の中にある光景のまま変わらないそこは、千年前と変わらず静かな泉が広がっている。アールによって秘匿され、人間に踏み荒らされる事も無かった泉の畔へ、ルティウスの身体をそっと横たえた。

「⋯っ、ぅ⋯⋯」

 意識は戻っていない。だがルティウスは時折、苦痛に苛まれるように小さな呻き声を発していた。

 まだ、彼の命は抗っている。

 死の淵にありながらも、まだ諦めていない。

 その姿は、レヴィの心に生じた諦念も絶望も、全てを押し流していた。

 

 純度の高い魔力を帯びた泉は、かの地底湖同様に淡い光を放っている。淀みに侵食されたルティウスの魔力を浄化するには、体内に巣食う種子から伸びた根を消し去る必要があった。

 魔力を寄り集めて、その手に氷のグラスを具現化させた。輝く泉の水をグラスで掬ってから、ルティウスの上半身を抱き起こす。そのまま口元へと運ぶが、聖なる水は虚しく顎を伝い、襟元を濡らすばかり。

「⋯⋯ッ」

 角度を変えて、幾度も試した。だが苦しむ少年の口は緩く開かれているものの、雫が体内へ届く事は叶わない。

 一体どうすれば⋯じわじわと焦りが生じるレヴィの腕の中で、ついにその瞬間が訪れる。

「⋯っ、う⋯ぁ⋯⋯ぁぁ!」

「ルティ⋯!」

 胸元を掻き毟るように押さえながら、ルティウスの身体が激しく暴れ始める。動揺するレヴィの腕から零れ落ちるように、泉へ向かって倒れていった。

 あの地底湖のように深くはない。沈む事もなく飛沫を跳ねさせながら倒れたルティウスには、あの花が撒き散らしていたものと同じ、黒い淀みの魔力が纒わり付いている。

 全身に広がる茨の刻印は、苦痛から胸を掻き毟るように服を握り締める指先にまで、忌まわしいその根を伸ばしていた。

 もう、刹那の躊躇さえ許されない。そう確信したレヴィの心は、ただ一つの想いに染まる。

 

 彼の尊厳を犯す真似は、したくなかった。

 けれどもう、他に手段はない。


 苦痛に呻き暴れるルティウスを見下ろして、レヴィはグラスに残っていた泉の水を自身の口に含んだ。

 そのまま浅い水面で藻掻き苦しむ少年の元へと、グラスを投げ捨てながら近付いていく。地面に叩き付けられて砕け散った氷のグラスはたちまち霧散し、魔力へと還っていった。

 細い腕を掴み、容赦のない力で引き寄せる。押さえ込むように両腕で抱き締め動きを封じてから、ルティウスの唇へ己のそれを重ねた。


 もしもルティがこの事を覚えていたら、おそらく顔を真っ赤にして怒るのだろう。なんて事してくれてんだ、と。

 そうして怒りながら、大して強くもない力で、また私の事を殴ればいい。

 馬鹿だの変態だのと、好きなように罵ればいい。

 好きなように、私を怒ればいい。

 だから⋯⋯


──⋯負けるな──



 ガタガタと震える身体をさらに強く抱き締め、僅かな弛緩の隙を突いて口をこじ開けた。ようやく開かれた機を逃す事なく、即座に口腔へ含んでいた水を流し込む。今度こそ零れ落ちる事もなく、雫は細い首を通り抜けてくれた。

 水の通る瞬間に喉が鳴り、嚥下が叶ったと知る。飲み込んでくれた事に安堵しながら、ゆっくりと唇を離した。

 直前まで暴れていた身体は次第に落ち着きを取り戻し、同時に全身を這う黒い茨が肌から剥がれ落ちていく。灰となった花と同じように、崩れ落ちた根は塵となって消えていった。

「⋯ルティ⋯⋯!」

 まだ目を覚ます気配は無い。身体から感じる魔力も弱々しく、本当にギリギリだったのだとレヴィも悟る。

 しかし鼓動は続いてる。まだ荒いが、呼吸もある。ただそれだけの事が、レヴィの心に実感として成功を報せていた。

 ルティウスは負けなかった。どれほどの苦痛に耐え続けたのか、それは神であっても想像に易くない。

「本当に⋯⋯⋯良かった⋯⋯⋯⋯」

 震える声で、安堵の声を漏らす。

 今一度腕の中のルティウスを強く、だが今度は優しく抱きしめて、喪わずに済んだ現実を噛み締めていた。



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