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ルティウスは「自分で歩いて向かう」と言って聞かなかった。だが残された時間が長くないと知ったレヴィが、あまりにも遅すぎる歩みを許すはずも無い。削られる命の期限が、目的を達成する前に終わってしまっては意味が無い。淀みを生む呪いの花の元へは、いつものように翼を羽搏かせるレヴィに抱えられて移動する事となった。
「みんな…置いてきちゃった、よね?」
「気にするな。お前を守るだけなら、私だけで十分だ」
その飛翔速度はこれまで以上に速く、レヴィの焦りをルティウスに感じさせていた。
「…また、心配…させて、ごめんな」
どれほど不安にさせたのか、ルティウスは自覚している。目覚めた瞬間に見たレヴィの表情は今にも泣きそうなほど歪んでいて、彼に与えた不安がどれだけ大きかったのかを物語っていたから。
「謝罪は後で聞いてやる。今は、一発で燃やし尽くす事だけ考えていろ」
「うん……」
本来ならば、水神の加護を受けているルティウスと炎属性との相性は良くない。それでもルティウスが火炎魔法を操れるのは、皮肉にも宿敵と認知している第二皇子ラディクスからの、幼少期の教えによるもの。剣に纏わせる事も、ただ炎を放つ事も、意思一つで自在だった。
「ね、レヴィ…」
「何だ」
「俺に、何があっても…レヴィは、俺を…守ってて」
「……ルティ?」
怪訝な表情で見下ろしてくるレヴィに、ルティウスは一つだけ隠している事がある。
内に宿るオストラから、根源の奥で出会った時に与えられた知識。語り掛けてくる事も声を聞く事もないが、頭の中に流し込まれた膨大な知識は、自身を蝕む呪いについても答えを教えてくれていた。
フィデスやゼフィラさえ知らない、最も重要で、レヴィを悲しませると分かる事実。
彼女たちが示した解呪方法は正解ではある。
だが…花を焼いたその熱も、自身へと返ってくる。どれだけの苦しみが待っているのかを考えると憂鬱な気持ちになるが、自分が苦しむ事よりも、そんな姿をレヴィに見せてしまう事の方が辛かった。
だからこそレヴィに釘を刺す。燃え尽きる間際にあの花が弾ける時、その破片は弾丸となって宿主を貫こうとすると、ルティウスは知っているから。
「大丈夫…俺は、負けない、から…」
何に、とは言えない。言ってしまえばきっと、彼は翼の羽搏きを止めてしまうだろうから。
程なくして、二人は忌まわしき呪いを放つ黒い花が見える位置へと戻ってきた。
飛行していた時間は十数分程度。けれど淀んだ魔力の元凶へと近付いたからなのか、侵食は少しずつ早まっている。
「立てるか?」
「⋯っ、余裕!」
精一杯の強がりを見せて、ルティウスはその場に立つ。笑みさえも浮かべて見せれば、溜め息を吐いたレヴィが苦笑していた。
「さっさと始めるぞ」
「わかってる!」
聖石が輝き、レヴィはその手に武器を具現化させる。握られていたのは見慣れたいつもの槍ではなく、ルティウスを完膚無きまでに翻弄してみせた蒼白い剣。
「今度は、剣なんだ⋯」
「守るだけならば、こちらの方が都合が良い」
リーベルさえも感嘆の声を漏らしたレヴィの剣技。その圧倒的なまでの腕はルティウスも知るところ。槍よりもリーチは狭まるが、彼の剣速ならばさらに鉄壁の守りとなるだろう。
黒く濁った池から生える、禍々しい漆黒の花。生物の気配を察知したのか、花でありながら蠢く花弁から、ついにあの閃光が放たれ始めた。
しかし黒い閃光は、レヴィの剣によって全てが弾き落とされる。魔法を届かせるためにじわじわと近寄っていき、その度に飛来する種子は、一つたりともルティウスには届かない。
全身に、軋むような痛みが走る。歩みの支えとするべく抜いた自身の剣。それを握っている自分の手にも、黒い茨の紋様が伸びているのが見えた。
レヴィが守り、時間を稼いでくれている。
その安心の元、ルティウスは握っている剣に向けて魔力を集中させていく。
しかし、事はそう上手くはいかない。
「ッ、あ⋯ぅ!」
魔力を放出しようとした瞬間、それまで以上の激痛が全身を駆け巡った。
「⋯ルティ?」
──呪いの根は、宿主の魔力を養分とし苗床となる──
その言葉通り、既にルティウス自身の魔力そのものが呪いの花の一部と化していた。
「気にすんなッ!⋯あんた、は⋯俺を、守ってろ⋯!」
轟速で飛ぶ種子の黒い閃光は、気を散らせて弾けるものではない。それが分かるからこそ、後ろを振り向くなとレヴィを制する。
自身の魔力はもう使える状態にない。けれどルティウスには、この事態も想定済みだった。
少年には、まだ奥の手がある。きっとレヴィは酷く怒るだろうけど、このまま何もせず諦めるつもりは、ルティウスには無い。
「⋯オストラ、ちょっとだけ⋯手伝ってよ⋯⋯⋯」
レヴィにだけは聞かれないような、ごく小さな声で呟く。彼がこの呟きを聞けば、青筋を浮かべるレベルで怒り狂うだろうから。
地面に突き立てた剣に意識を集中させ、その感覚を思い出すように目指すものを探し始める。頭の中に流し込まれた知識のままに、ルティウスはその力を引き出していく。
世界そのものの力、根源。
かつてオストラと対峙した時を思い出すように、無尽蔵の魔力を全身へと纏わせていった。
「⋯っ、またその力を⋯!」
背後から感じたあまりにも膨大な魔力の波動に、レヴィは一瞬だけ振り返ろうとした。しかしそれを阻むように、閃光は尚も飛来し続けている。
ルティウスの制御下で操られる根源の力。けれど一度はルティウスの生命を奪いかけたもの。再びこの力を使う事を控えようとルティウスも考えていたが、自分の魔力が使えない以上、やむを得なかった。
淀んだ呪いの魔力さえも押し返すような、暖かくも強い根源の魔力。ルティウスが選んで引き出しているのは、当然のように炎の力と、炎をさらに燃え上がらせる風の力。
白金色の輝きを纏うルティウスの剣には、蒼白い炎が絡み付いている。少しでも加減を間違えれば、花はおろか自分も、レヴィさえも焼き尽くしかねない。
だがオストラの制御力に守護されているルティウスは、その力を暴走させる事もなく、必要な最大火力で放とうとしていた。
呪いの性質を理解しているからこそ、一瞬だけ躊躇する。
本当は怖い。
どれだけの苦しみが跳ね返ってくるのか、想像するだけで血の気が引く思いになる。
だけどやらなければ、自分を守るために奮闘してくれているレヴィの想いも、無駄になってしまう。
「いくぞ⋯レヴィ、うまく⋯避けて!」
レヴィの背後から、呪いの花に向けて炎を纏わせた剣を振り下ろす。
身体中が粉々になりそうなほどの激痛に苛まれても尚、ルティウスの剣閃に揺らぎはない。真っ直ぐに振り下ろした剣から放たれる炎の斬撃は、けれどレヴィに当たる事はない。見なくても軌道が読めているかのように、振り返る事もしないまま軽やかに避けていた。
轟速で飛翔する炎は、正確に黒い花へと直撃を果たす。瞬時に燃え広がり、花弁も、茎も、葉も、全てを焼き始めていた。
レヴィは、決して振り返らない。
ルティウスが成し遂げたと安堵し、だが最後に何かがあるかもしれないという予感に従って、確実に花が燃え落ちるまで前を向き続けている。
だがその背後では、ルティウスが静かに膝を着き、決死の思いで声を封じ込めている。
内臓の全てを焼かれる痛み。直接炎に燃やされているわけではないのに、肌も何もかもが焼けていくような苦痛と最後の戦いを繰り広げていた。
呼吸すらもままならない。崩れ落ちる身体は、けれど渾身の力で制御し、倒れる音さえも立てさせなかった。
前方で燃え上がる炎。目が眩むほどの明るい火炎は、地面に彼の影を落とす。長く伸びた守護者の影に隠れて苦痛に耐えるルティウスは、けれど笑っていた。
目の前で、レヴィは今一度剣を振るった。それは予想していた通りの、呪いの花から打ち出される最後の弾丸。見事に弾き落とした彼は、ちゃんと無傷でやり遂げてくれた。
「⋯⋯あり、がと⋯⋯レ⋯⋯──」
炎が勢いを弱め、花だった物が崩れて灰になるのと同時に、ルティウスの意識は途切れていた。




