欠けた夏
八月が終わり季節は九月。
夏休みは終わり、児童や学生はまた学校に通う生活が始まった。
学校に行きたくない。
夏休みが恋しい。
そう思う子供たちは少なくない。
平凡な家庭に暮らす、この男の子も、そんな夏休みが恋しい一人だった。
その男の子は、今日も学校が終わると、家に帰ってランドセルを投げ出した。
「あーあ、今日も学校は退屈だったな。
毎日、虫取りやプールに出かけていた夏休みが嘘みたいだ。
早く次の休みにならないかな。」
その男の子が通う学校には秋休みは無い。
次の長期休暇は遠く先の事だ。
「はーーーー。」
その男の子にできるのは、溜め息をつくことくらい。
すると、親に持たせて貰っている携帯電話にメッセージが。
見ると学校の友達からだ。
「今日の夜に近所の神社でお祭りがあるんだけど、
みんなで遊びに行かないか?」
退屈していたその男の子は、すぐに返信した。
「行く行く!すぐそこだから、クラスのみんなも集まろう!」
その男の子は飛び起きて両親のいる居間へ向かった。
「パパ、ママ、学校の友達と神社のお祭りに行ってくる!」
今、その男の子は、両親の許可を得て家の近所の神社にいた。
話に聞いた通り、お祭りが行われていて、人で賑わっている。
出店がずらりと並び、夜の神社をほの明るく照らしている。
「おまたせ~。」
最後の一人がやってきて、その男の子の学校のクラスメイトがほぼ揃った。
みんな親から小遣いを貰ってきて、期待に胸を膨らませている。
「さあ、お祭りに出かけよう!」
その男の子とクラスメイトたちは、ガヤガヤと祭りの喧騒に混じっていった。
その男の子とクラスメイトたちは、お祭り会場を廻っていた。
親から金を貰っているので懐は温かいとはいえ、無駄遣いはできない。
みんな普段は見かけない出店の値段におっかなびっくり、
遊戯や買い物を楽しんでいった。
ソース煎餅、りんご飴、綿飴、金魚掬い、射的。
お祭りの出店のお菓子は普段とは違うちょっと特別な味がした。
「あっちのお店はどう?」
「こっちの焼きそばも美味しそうだよ。」
その男の子とクラスメイトたちは、お祭りを楽しんでいた。
しかし、楽しければ楽しいほど、寂しさも感じさせる。
神社の夏祭りと言えば、夏の最後を知らせる行事。
つまりこれでもう夏は終わりだということを意味する。
今日のお祭りが終われば、明日からは日常が戻って来る。
夏休みの楽しさも、お祭りの賑やかさも、そこにはない。
そう考えたのはその男の子だけではないようで、
クラスメイトたちもどこか空元気といった様子。
だから、その男の子は言った。
「みんな、出店だけがお祭りの楽しさじゃないよ。
神社の中で、みんなで遊ぼう!」
「遊ぼうって何して?」
「何でもいいさ。みんなで遊べば、きっと楽しい。
それはずっと変わらない思い出になる。
そうだな、例えば鬼ごっこなんてどうだ?」
「鬼ごっこか・・・」
「いいね!やろうよ。」
クラスメイトたちは、終わりゆく夏を惜しむように、はしゃぎ始めた。
鬼ごっことは、一人の鬼が他の子を捕まえていく遊びの事。
子が全て捕まるか、一定時間ごとに鬼を交代するルールもあるが、
今回は、最初に捕まった子が鬼を交代するルールにすることにした。
その方が、捕まって待ちぼうけする子が出ないからだ。
鬼はわかりやすいように、お面を被ることとした。
お面屋で、みんなのお金を出し合って、鬼が被る面を買う。
「ところで、鬼が被るお面って何にする?」
「鬼のお面でいいんじゃない?」
ところが、そのお面屋には、鬼の面は無かった。
あるのは、雅な動物の顔の面ばかり。
すると、その男の子は言った。
「この神社の神様って何だっけ?」
クラスメイトたちは顔を見合わせる。誰も答えられない。
すると、お面屋の年老いた男が答えた。
「この神社の神様はね、お稲荷様。つまり狐だよ。」
「そうなんだ。なんで狐が神様なんだろうね。」
「お稲荷様を祀る神社は、ここだけじゃなくて、たくさんあるんだよ。」
「へー。じゃあ、鬼はこの狐のお面を被る事にしよう。
おじいさん、この狐のお面を一つください。」
「あいよ、ありがとうね。」
そうして買った狐の面は、ずいぶんと作り込まれた、由緒ありそうな面だった。
「それっ!最初の鬼は僕だ!みんな逃げないと捕まえるぞ!」
その男の子は言い出しっぺとして、最初の鬼を引き受けることになった。
クラスメイトたちは、わーっと散り散りになって祭りの喧騒の中に消えていく。
その男の子は、目をつぶって百を数えてから目を開けた。
顔に被った狐の面の穴から外を見渡す。
見た所、近くにはクラスメイトたちはいないようだ。
人混みの中に鬼ごっこの子を目指して紛れ込んでいく。
すると、視線の隅っこに見知った顔を見たような気がした。
「見つけたぞ!待てー!」
「捕まってたまるか!」
追いかけっこが始まる。
しかし狐の面の視界は思ったより狭く、子に逃げられてしまった。
そうして、その男の子は、何度も子を見つけては逃しを繰り返していた。
鬼は変わらないまま。でもちっとも不快ではなかった。
それは、一緒に遊ぶクラスメイトたちが楽しそうにしているのもある。
だが、それだけではない。
自分が誰も捕まえられずに鬼を続けていれば、鬼ごっこは終わらないから。
こうして祭りで鬼ごっこの鬼を続けていれば、
そうしている間は夏が終わらないような気がするから。
もちろんそんなことはないのはわかっている。
でもその男の子には、夏休み、夏への未練がそれだけ強かった。
そうしていると、何だか周囲が変わったような気がした。
歩いている人たちの雰囲気がどこか違うようだ。
周囲に薄く霧が漂っている。煙だろうか。
その時だった。
「鬼、捕まえた!」
そう言って、その男の子の肩を掴む手があった。
今、その男の子は、鬼ごっこの鬼をしている。
だから誰にも捕まるはずはない。捕まえる側だ。
それなのに、捕まえたと呼ぶ声がする。
振り返るとそこには、面を被った子供がいた。
年格好はその男の子やクラスメイトたちと同じくらい。
違うのは、蛇の面を被っていることだ。
蛇の面を被った子供は言う。
「鬼、捕まえた。今度は君が鬼だよ。」
「でも、僕はもう鬼だよ?」
「そうじゃないよ。
鬼ごっこの鬼じゃなくて、本当の鬼になるんだ。」
「どういうこと?」
「君、夏が恋しいんだろう?」
「どうしてそれを・・・。」
「見てたからわかるよ。
人間は、移りゆく季節から逃れることはできない。
でも鬼は、自分が好きな季節だけを生きていけるんだ。
どうだい?君もこの蛇の面を被って蛇の鬼になりなよ。
そうすれば、夏だけを生きていける。」
この子は何を言っているのだろう。
その男の子には、
蛇の面を被った子が言っている意味がわからなかった。
それを察したのか、蛇の面を被った子が、
急かすようにもう一つの蛇の面を差し出した。
これを受け取ったらどうなるのだろう。
少なくとも面はしっかりとした作りで、安物のおもちゃとは違う。
何かが込められているのを感じる。
この子の言っていることは本当なのだろうか。
夏だけを生きられれば、そんなに楽しいことは無いかもしれない。
蛇の面を受け取ろうと手を伸ばしかけた、その時。
後ろから肩を掴まれた。
「鬼、捕まえた!」
その男の子が蛇の面を受け取ろうとした時。
肩を掴んで止める者が現れた。
振り返るとそれはやはり同じような子供で、熊の面を被っていた。
「鬼、捕まえたよ。今度は君が鬼だ。」
そう言ってその子は、自分が被っているのと同じ、熊の面を差し出した。
その熊の面もまた厳かで、おもちゃではないとわかるものだった。
熊の面を被った子は言う。
「熊は秋にたらふく食べ物を食べて、冬は冬眠するんだ。
そんな暮らしをしてみたいと思わないかい?」
言われてその男の子は想像した。
秋は食べ物が美味しい季節。
その秋に美味しい物をたくさん食べて眠るのはさぞ気持ちがいいだろう。
厳しい冬は眠っていれば過ぎ去ってしまうのだから。
熊の面を被った子供は言う。
「秋も捨てたもんじゃないだろう?
どうだい?君も熊の面を被って鬼にならないか?」
するとまたしても、迷うその男の子の肩を叩く者がいた。
「鬼、捕まえた!」
蛇の面、熊の面を被った子供の次に現れたのは、鳥の面を被った子だった。
鳥の面を被った子は、鳥が囀るように楽しそうに言った。
「夏や秋もいいけれど、春だっていい季節だよ。
冬が明けて、温かな空気の中で空を飛び、花を啄む。
そんな素敵な生活が待ってるよ。
さあ、君もこの鳥の面を被りなよ!」
颯爽と鳥の面が取り出された。
その男の子は思う。
春の高い空を自由に飛び回る。
そんな生活もいいかもしれない。
鳥の面を受け取りかけた時、またもやそれを止める者が現れた。
「待て!その面を受け取っちゃいけない!」
蛇の面、熊の面、鳥の面。
いずれかを受け取ろうとしたその子を止める者。
それは、その男の子と同じ、狐の面を被った子だった。
その狐の面もまた、おもちゃではない風格漂うものだった。
狐の面を被った子は言う。
「いいかい、よく聞くんだ。
その子たちの言うことは確かに正しい。
夏も秋も春も、それは楽しい季節だ。
でも、それだけじゃだめなんだ。
ここでの季節は四季があるから、厳しい冬があるから、
だからそのありがたさがわかるんだ。
君たちは元来、四季を生きる生き物だ。
四季の一つでも欠けてしまえば、君は四季の理から外れた存在になる。
君の両親やクラスメイトたちとは違う存在になる。
それでも、君は季節を一つに選ぶのか?」
改めて問われて、その男の子は考えた。
両親やクラスメイトたちと一緒にいるのは楽しい。
でも、いずれは離れ離れになるに決まっている。
悲しいことに、常に一緒にいられる人間はいないのだから。
卒業など、人と人が別れる出来事は尽きない。
それだったら。
せめて季節くらい、選べないものか。
この終わりゆく夏を、終わらせずに続けることはできないか。
そうしてその男の子が選んだのは、蛇の面だった。
その男の子が蛇の面を受け取って、
蛇の面を被った子は嬉しそうに肩を揺らせてみせた。
「へへっ、これで君も僕と同じ蛇の鬼だ。」
「ちぇっ。」
「こっちを選べば仲間が増えたのに。」
選ばれなかった熊の面と鳥の面の子たちは去っていこうとする。
しかし、狐の面の子だけはその場から動こうとはしなかった。
その男の子に必死に伝えようと口を開く。
「君が夏だけの世界を選んだのなら仕方がない。
だけど、これだけは覚えておくんだ。
もしも後悔することがあれば、蛇の面を割れ。
そして、この神社にある狐の面を被るんだ。
そうすれば・・・それだけは忘れちゃいけないよ!」
終わりの方はよく聞き取れなかった。
狐の面の子が止める間もなく、その男の子が蛇の面を被っていたから。
広い、そしてとても静かだ。祭りの最中とは思えない。
蛇の面を被った途端、その男の子の周囲の環境は一変した。
お祭りは出店だけを残して、人はほとんど消えてしまった。
わずかに残っているのは、蛇の面を被っている人たちだけ。
「あの、すいません。」
しかしその人たちは、その男の子が声をかけても、何の反応もしない。
ただ無言で、ゆっくりと、夏祭りの会場を廻り続けているだけ。
日が昇っても、夜になっても、蛇の面を被った人々は、
祭りを廻るだけの存在になっていた。
そしてその男の子も、そうする他に無かった。
その男の子が祭りを廻るようになって、どれくらいが経っただろう。
他にやることもなく、話し相手もいない。できるのは、祭りを廻るだけ。
出店は無人で、やることは特に無い。暑さだけが今が夏だと教えてくれる。
これが自分が望んだ、夏だけの世界。
こんなはずじゃなかった。
蛇の面が見せる夏は、本当の夏じゃない。
欠けた夏だ。
こんな夏はもう終わりにしなければ。
そこでその男の子は考えた。
確か、蛇の面を被る時、誰かが何かを言っていたはずだ。
「何だったっけ・・・そうだ!
蛇の面を割って、狐の面を被れと言っていた!」
その子はすがる思いで蛇の面を外すと、それを地面に叩きつけ、
足で踏んで割った。蛇の面はきれいに真っ二つに割れた。
すると。
今までチラホラといた蛇の面を被った人々が、一切いなくなった。
どうやらこれで蛇の面が作る夏だけの理を破壊できたようだ。
だが元の世界に戻るにはまだ足りない。
「次は、この神社にある狐の面を被れば・・・あった!」
無人のお面屋の出店に、狐の面が残されていた。
それはどこかで見たことがあるような面だった。
その男の子は狐の面を被った。
すると、周囲の風景が一挙に流転した。
秋、冬、春。季節が瞬く間に過ぎ去っていく。
そうして再び季節は夏。夏の終わりの季節。
あれからその男の子は夏祭り中に急に姿を消した。
両親が警察に届け出て、学校の関係者も加わって、
懸命の捜索活動が続けられた。
しかしその男の子はどうしても見つからなかった。
それからおよそ一年が経つ。
もう諦めるべきなのか、両親は悩んでいた。
「最後に、もう一度あの夏祭りに行ってみよう。」
「あの子がいなくなった、最後の場所ですものね。」
両親は近所の神社の夏祭りに向かった。
そして見つけた。
狐の面を被った、その男の子を。
背格好は一年前のまま。
まるでその男の子だけが時間に取り残されたように、そこに立っていた。
お面を被っていようとも、両親ならその中身が誰かはすぐにわかる。
涙を流して両親は男の子を抱き留めた。
「今までどこに行っていたんだ!」
「もう一人でどこかにいっては駄目よ!」
泣きじゃくる両親を見て、その男の子は、自分が何をしたかわかった。
季節が一つではいけないように、人は一人でいてはいけないのだ。
季節に四季があるように、人も集まって一つを成す。
その男の子が夏を恋しがったのは、
人を避けて一人になりたいという意味ではなかったはずだ。
みんなと一緒にいるからこそ、夏は楽しかったのだ。
それらを上手く口で説明することができない。
だからその男の子は一言、こう言った。
「ごめんなさい。そして、ただいま。夏。」
終わり。
季節がすっかり秋めいてきて、夏への名残を込めてこの話を書きました。
もしも季節を一つ選べるとしたら、それはそれで生活できるでしょう。
実際に地球上には四季がない場所もたくさんあるのですから。
でも既にある四季から季節を抜き取ってしまうことは難しいと思います。
何故なら、四季それぞれの楽しみを知ってしまっているからです。
四季の厳しさは楽しさの裏返し。それぞれの季節にしかないものがあります。
季節を欠くよりも、四季の過ごし方を覚えて生きていく方がいい。
私はそう思います。
お読み頂きありがとうございました。