婚約破棄された瞬間に「母上!」と未来の息子が現れました。え、父は研究所の天才ってどういうこと!?
未来の息子シリーズ第2弾!よろしくお願いします。
※パラレル構成なので、過去作を読んでいなくても大丈夫です。
百を超える視線が、一斉に大広間の壇上へと注がれていた。
王族や貴族たちが列席する場の中央、まばゆい光に照らされながら立っているのは、侯爵令嬢アリシア・ローゼンタール。
金色の髪を結い上げ、紫の瞳は毅然と輝く。
裾を広げた礼装は凛とした気品をまとい、その姿はまさに「未来の王妃」にふさわしかった。
――少なくとも、この瞬間までは。
(どうして……こんなことに?
わたくしは正しいと思うことを伝えてきただけ。
国のためになると信じて……それだけだったのに……)
胸の奥に冷たいものが広がった、その時。
「アリシア・ローゼンタール! 本日をもって、お前との婚約を破棄する!」
唐突に響いた王太子アルベルトの声が、大広間を震わせた。
栗色の髪に緑の瞳、容姿だけなら絵に描いたような王子様。
だがその中身は、自惚れと浅慮ばかりが目立つ存在だった。
「その理由は明白だ――お前は嫉妬に駆られ、フローラを手にかけようとした!
余の愛する者を害そうとした罪、決して許されぬ!」
広間がざわめきに包まれる。
「フローラ様を……殺そうとした?」
「そんな……アリシア様がそんなことを?」
「だが、殿下がそう断じるのなら……」
重臣たちの顔色が変わり、観衆の間にも動揺が広がっていく。
アルベルトの隣で、男爵令嬢フローラ・モンテローザが大げさに口元を押さえ、涙声で叫んだ。
ローズピンクの髪を揺らし、金の瞳を潤ませながら。
「私、恐ろしい思いをしましたの!
殿下と並んでいた私を、アリシア様が突き落とそうとなさったのです!
『殿下はわたくしのもの』と、そう言いながら……!」
「そんな……!」
(――言っていない! そんなこと……!
フローラ様を突き落とそうとした? 馬鹿な……!
わたくしはただ、殿下をお諫めしただけなのに!)
けれど、群衆の耳に届いているのはアルベルトとフローラの声ばかり。
「嫉妬に狂った婚約者」という言葉は、人々の心をいとも容易く縛りつけていった。
反論しようにも、この場で信じてくれる者など一人もいない――。
――このままでは、濡れ衣を着せられ、取り返しのつかぬ未来が待っている。
足元が崩れ落ちていくような恐怖が、全身を締めつけていった。
その時――。
「ま、待ってください!」
幼い声が、広間を切り裂いた。
誰もが驚き、振り返る。
人々の間を小さな体が必死にかき分け、壇上の中央へと進み出てくる。
金髪に青い瞳。まだ十にも満たない、幼い少年だった。
「……母上を罪人になど、させてはなりません!」
広間が騒然となる。
「母上……?」
「アリシア様に子供が……?」
「そんな話は聞いたことがない!」
観衆のざわめきが渦を巻くなか、アリシアは息を呑んだ。
(……母上? この子はいま、確かにそう呼んだ……。
いったい、なぜ……?)
少年は一歩前に進み、胸を張る。
小さな体を震わせながらも、その瞳には揺るぎない光が宿っていた。
「ぼくの名は――カイル。未来から来た、母上の子です!」
大広間がさらに騒然となる。
「未来から……?」
「子供だと……?」
誰もが耳を疑い、アリシアは呆然と立ち尽くした。
あり得ない――だが、その金色の髪が自分と同じであることに、奇妙な親近感を覚えた。
「な、なんだこの小僧は!」
アルベルトが顔を真っ赤にして叫ぶ。
「ここは余の場だ! 余計な口を挟むな!」
フローラは顔を引きつらせ、必死に叫んだ。
「皆さま、この子の言葉に惑わされてはいけませんわ!」
しかし少年――カイルは怯まず、小さな拳を握りしめた。
「ぼくには伝えるべきことがあります。父上から託された証拠を、この場で示します!」
小さな手のひらの上に乗っていたのは、古びた懐中時計のような魔道具だった。
蓋を開くと、刻まれた魔法陣が淡く光を帯び、今まさに発動の時を待っているかのように脈動を始めた。
その光景に、大広間の視線が一斉に少年へ注がれる。
カイルは唇をきゅっと結び、怯えを隠そうとしながらも、まっすぐ声を張った。
「……これは、父上が開発した特別な魔道具です。
発動条件は厳格で、誰にでも扱えるわけではありません。一度だけ、過去を切り取って、真実を映します。
操作も、捏造もできません。……だから、これからお見せするものはすべて真実です」
アリシアは息を呑んだ。
――過去をそのまま映す魔道具……そんなもの、本当に存在するの?
彼女の胸の奥に、かすかな期待と恐れが同時に芽生える。
そんなアリシアへ、少年は真っすぐな眼差しを向け、はっきりと頷いた。
「母上を守るために、父上はこの魔道具を託しました。だから……どうか信じてください」
その言葉に、アリシアの喉が詰まる。
母上――。
誰よりも自分を信じ、守ろうとする存在がここにいる。その温かな響きが胸に染みて、言葉が出せない。
そしてカイルは両手で魔道具を掲げ、ゆっくりと発動させた。
白い光が弾け、広間に揺れる映像が浮かび上がる。
――そこには、誰も知るはずのない密室での会話が。
『……証人さえ用意すれば簡単だ。あの女が嫉妬に駆られ、お前を階段から突き落とそうとした――そう言えばよい。』
低く吐き捨てるようなアルベルトの声。その口元には冷笑が浮かんでいた。
『殿下のおっしゃる通りですわ。私が涙ながらに訴えれば、誰も疑いませんもの。
“嫉妬に狂った令嬢”という話ほど、人々の好奇心を煽るものはありませんわ』
『そうだ。あの女はすぐに孤立する。罪人に堕ちれば、余を支えるお前こそが正しき后と讃えられるだろう』
『まあ……殿下ったら。本当に悪い方……でも、だからこそ素敵ですわ。
あの女がどれほど泣き叫ぼうと、もう誰も味方などいませんものね』
映像の中で二人は寄り添い、悪意を隠そうともしない。
それは、まぎれもなくアリシアを陥れるための計画の証拠だった。
広間は凍りついたような沈黙に包まれた。
次の瞬間、その静けさは一気に破られる。
「……やはり罠だったのか!」
「フローラ様が襲われたなど、最初から作り話だったのだ!」
「殿下自ら仕組んだとは……なんと卑劣な!」
非難と憤りの声が波となって広がり、矛先は完全にアルベルトとフローラへと向けられていった。
アリシアは胸に手を当て、必死に呼吸を整えようとした。
(……やっぱりわたくしを罠にはめようとしていたのね。
殿下が……フローラ様が……嫉妬を理由に、わたくしを断罪しようとして……)
信じて支えようとした相手が、自分を陥れるためにここまで計画を巡らせていた。
その事実に胸は痛み、冷たい絶望が押し寄せる。
だが同時に、光に照らされる小さな少年の姿が視界に映った。
必死に自分を守ろうと立ち上がったその存在が、氷のように冷え切った心を少しずつ溶かしていく。
(……でも、ひとりじゃない。わたくしを信じてくれる人が……ここにいる……)
「ち、違う! これは偽物だ!」
アルベルトが顔を真っ赤にして叫んだ。
「映像など信じられるか! 余がそんな卑劣なことをするはずがない!」
だが、その言葉に耳を傾ける者はいなかった。
映像に刻まれた声と表情は、弁解の余地なく真実を示していたからだ。
「殿下が……嫉妬を利用して罠を?」
「国を欺く王太子など、もはや信用できぬ!」
群衆の声は冷たい怒りに満ちていた。
フローラは必死に涙を流し、アルベルトの腕にすがりつく。
「わ、私は殿下に言われただけなのです! 殿下がお認めになったから……!」
「黙れ!」
アルベルトが声を荒げ、フローラを突き放した。
「すべてはお前がやろうと持ちかけたことだろう!」
「そ、そんな……!」
フローラの顔は絶望に引きつり、金の瞳は涙で濁っていった。
二人が互いに責任を押し付け合う姿に、広間の人々はさらに眉をひそめる。
怒りと失望のざわめきが、黒い渦となって二人を飲み込んでいった。
その時、玉座に座る王が、ゆるやかに立ち上がった。
広間を圧するような静けさの中、低く重みのある声が響き渡る。
「――アルベルト・フォン・グリューネヴァルト。
フローラ・モンテローザ。
嫉妬に駆られた令嬢を装い、潔白なる者を陥れようとした……。
その浅ましき企て、決して看過できぬ。
王家の名を穢し、この国の誇りを踏みにじったこと、余は深く恥じ入るばかりだ。
もはやそなたらに、この国を担う資格は残されてはおらぬ」
王は鋭い眼差しで二人を射抜き、衛兵へと声を放った。
「――衛兵よ、二人を連れて行け!」
「ち、父上! これは誤解で……!」
「陛下! どうかお聞きくださいませ!」
必死に訴える二人を、衛兵が容赦なく引き立てていく。
群衆の間からは、冷たい非難と失望のざわめきが広がっていた。
衛兵に引き立てられていくアルベルトとフローラの背が、広間から消えていった。
さきほどまで張りつめていた空気が、ゆるやかに解けていく。
アリシアは胸に手を当て、大きく息をついた。
(……終わったのね。
恐ろしい夢から、ようやく目を覚ませたみたい……)
その視線の先に、小さな少年が立っていた。
汗で濡れた額、震える肩。
それでも蒼い瞳はただ真っ直ぐに、自分を見つめている。
「……母上」
おずおずと彼女を見上げるその青い瞳は、どこか怯えを含みながらも真剣だった。
アリシアははっとして、彼に向き直る。
「ありがとう。あなたが声を上げてくれなければ、わたくしは……」
声が震える。自分が孤独ではなかったことに、胸が熱くなる。
だが、カイルは首を横に振った。
「ぼくは……父上に頼まれて来ただけです。でも……どうしても確認しなくちゃならないことがあって」
小さな拳をぎゅっと握り、息を吸い込む。
「もう……婚約者はいませんよね?」
その一言に、アリシアの心臓が大きく跳ねた。
――婚約者。さっきまで当然のように隣に立っていたはずの人。
だが、もう彼は自らの愚かさゆえに玉座の道を閉ざされた。
アリシアは静かに目を閉じ、そして頷く。
「ええ。もういませんわ」
その答えに、カイルは小さく息を吐き、懐から一つの魔道具を取り出した。
掌ほどの大きさの透明な水晶玉。
「これは……記録用の魔道具です。この王都でも用いられているはずです。
父上はこれに、自分の言葉を残しました。
本当は直接来たかったけど、時間魔法は未完成で……だから、ぼくが代わりに」
アリシアは水晶玉を凝視した。
確かに、記録魔法を刻む道具は存在する。王族や貴族が裁判や儀礼の際に使うこともあった。
けれど――未来から託された記録だと思うと、その重みは全く違う。
「……そんなものに、何を残したというの?」
震える声で問う彼女に、カイルは真剣な眼差しで答えた。
「母上への言葉です。どうしても伝えたいって、父上が……」
水晶が淡い光を放ち、宙に映像が浮かび上がる。
そこに現れたのは――
「……っ!」
アリシアは思わず息を呑んだ。
整った黒髪に、澄んだ青の瞳。柔らかく口元を緩めたその姿は、若き日の面影を残しながらも、年月の積み重ねが与えた落ち着きを纏っていた。
三十代前半頃だろうか――その年齢特有の清新さと知性を兼ね備えた姿。そこに映っていたのは、「魔法研究所の天才」と呼ばれたエリアス・グランチェスターだった。
「エ、エリアス様……?」
その名を口にした瞬間、心臓が跳ね上がる。
彼のことは知っていた。王立魔法研究所で頭角を現し、貴族たちの間でも「若きエース」と噂されていた人物。けれど、アリシアと彼が交わした言葉など、せいぜい舞踏会での挨拶程度にすぎなかった。
「ご機嫌よう、アリシア様」
「ええ、ご機嫌よう」
――それだけの関係。
だからこそ、目の前の光景は理解を超えていた。
あの冷静沈着で距離を置いた彼が、未来で自分を……?
映像の彼が口を開く。
『アリシア。あの時、国外追放を命じられた君を……私は見捨てられなかった。密かに匿い、ただ隣にいてほしかった。それが叶った日々は、私にとって何よりも幸福だった。』
「……っ……!」
アリシアの喉が小さく震える。
冷ややかにしか見えなかった彼が、そこまで自分を思っていた――?
あまりにも想像の及ばない未来の姿に、胸の奥が揺さぶられる。
『カイルが生まれ、私はさらに君を失いたくないと思った。……アリシア、私はずっと君を想っていた。王太子の婚約者である君に、言葉にできなかった想いを。だが今なら言える。君が私のもとに来てくれるなら、必ず幸せにする。孤独にはさせない。全てを捧げて、君を愛し抜く――だから、私のところへ来てほしい!』
真っ直ぐに放たれた愛の言葉に、アリシアの視界が揺らいだ。
「……そ、そんな……わたくしに……?」
挨拶程度の関わりしかなかったはずの彼が、自分を匿い、共に生き、愛を告げている。
驚愕と、戸惑いと、心の奥底から湧き上がる甘い熱。
――この気持ちは、どう受け止めればいいのだろう。
アリシアは胸に手を当て、未来の彼の姿を見つめ続けた。
映像が途切れた瞬間、広間には重たい静寂が落ちた。
宙に揺れていた光が散り、熱を帯びた余韻だけが残る。
アリシアの胸は高鳴っていた。
未来の彼が告げた熱烈な言葉が、まだ耳の奥で鮮やかに残っている。
「……必ず、幸せにする……」
その一言を思い返すだけで、頬が熱に染まっていく。
映像が消え、ざわめきに包まれた広間で、アリシアは気づけば、彼の姿を探していた。
――そして見つけてしまう。
人垣の向こう、硬直したまま立ち尽くす現代のエリアスを。
蒼白にも紅潮にも見えるその顔で、彼は目を見開いていた。
「…………俺……?」
低く、信じられないような声がこぼれる。
拳を強く握りしめる彼の胸は、内側から破裂するかと思うほど激しく脈打っていた。
(な、なんてことだ……! よりによって未来の俺が、あんな……!)
王太子の婚約者であった彼女に、ずっと秘めてきた想い。
誰にも知られぬよう胸の奥深くに沈め、決して表には出さないと誓っていた感情。
それを――未来の自分が、堂々と、しかも彼女の目の前でぶちまけてしまった。
その時、小さな声が広間に響いた。
「……父上」
アリシアの隣に立つカイルが、真っ直ぐにエリアスを呼ぶ。
「こちらへ来てください。母上に……本当の気持ちを伝えてください」
ざわめく人々の視線の中、エリアスは一歩、また一歩と前へ進み出た。
心臓はうるさく鳴り響き、足取りは重いのに、不思議と迷いはなかった。
(……逃げられない。いや、もう逃げるつもりもない……)
やがてアリシアの前に立つと、彼は慎重に言葉を選びながら、口を開いた。
「アリシア様。先ほどの映像の私の言葉……軽率なものではございません。ただ……」
言いよどむ彼に、アリシアが柔らかく笑んだ。
「未来のエリアス様は、敬語なんて使っていませんでしたわ」
「え……」
「ですから、わたくしに敬語はいりません。……未来のあなたの真剣さは、十分に伝わってきましたもの」
エリアスは一瞬、言葉を失った。
(……敬語はいらない、と。そんな風に言われる日が来るなんて思いもしなかった……。けれど、彼女がそう望むのなら――)
アリシアは、どこか恥じらいながらも真っ直ぐに見つめてくる。
「どうぞ、未来のように……アリシア、と呼んでくださいませ」
「……アリシア……」
抑えきれない想いが声ににじむ。
彼女の名前を呼んだだけで、胸の奥に渦巻いていた感情があふれ出してしまいそうだった。
(……もう隠せないな。未来の自分に背中を押される形にはなったが……今なら言える。ずっと胸の内に秘めてきた想いを)
彼が口を開いたとき、その声はわずかに震えていた。
「さっきの未来の俺の言葉……あれは、全部本心だ。今の俺も、同じことを思ってる」
アリシアの胸が跳ねた。
いつも王宮の晩餐や式典では静かに佇み、冷ややかな眼差しで人々を見ていた彼から、こんな言葉を聞く日が来るとは思わなかったのだ。
エリアスは深く息を吸い、言葉を紡ぐ。
「貴方が王太子殿下の婚約者だったから、心にしまい込むしかなかった。
でも……ずっと、目を逸らせなかったんだ。
王宮で見かけるたびに、ほんの一瞬の仕草や、誰かに向ける笑顔が――胸に焼きついて、離れなくて……」
そこで彼は言葉を切り、視線を落とした。
だが、すぐにまた顔を上げる。瞳の奥には、研究者特有の理知ではなく、熱を帯びた感情が宿っていた。
「あんな告白を未来の俺がしてしまった以上、もう黙っているわけにはいかない。
俺は、貴方を愛してる。
その想いだけは、生涯変わることはない。
だから――俺の隣に来てくれ。共に未来を歩んでほしい」
一瞬、広間の空気が張りつめたように止まった。
それほどまでに、彼の言葉は真剣だった。
アリシアは顔を上げたまま固まってしまう。
心臓がやかましいほどに打ち、胸が熱い。
(ずっと真面目で、感情を表に出さない方だと思っていたのに……。こんなに強い想いを抱えていたなんて……!)
頬が赤らむのを自覚して、慌てて視線を逸らした。
――そのとき。
「えっと……あの……」
場の空気を割るように、ちいさな声が響いた。
「……母上」
カイルが小さな声でアリシアを呼ぶ。緊張で肩をすくめながらも、震える手で懐から封筒を取り出した。
「これ……父上から預かってきました。婚約申請書です」
「婚約申請書?」
アリシアが思わず、目を瞬かせる。
「う、うん……えっと……王様に認めてもらえたら、正式に……」
カイルは言葉を探しながら、国王の方へと視線を向ける。
「……婚約申請書、とな?」
大広間の上座、玉座に腰かけた国王は、既に一部始終を見守っていた。
重厚な衣をまとい、深い皺を刻んだ眉を寄せ、少年の差し出した封筒を従者から受け取ると、ゆっくりと封を切った。
中から現れたのは、王の許可を正式に求める、きちんと整えられた文面。
筆跡は整っていて、論理的な言葉が並び立てられていた。
婚約によってもたらされる研究予算の安定や、魔法開発の進展が国に大きな利益をもたらすこと――。
さらに、侯爵家の令嬢であるアリシアの後ろ盾が加われば、その成果は単なる研究室の中にとどまらず、王家と貴族社会を通じて国家全体へと波及すること。
彼女が持つ政務の知識や人脈は、研究を実際の政策へと結びつける架け橋となること。
そうした説得力ある内容が、余すところなく記されていた。
「……ほう」
王は低く唸り、目を細める。
広間は静まり返っていた。
一国の王が、この場で婚約の是非を決するかもしれない――その緊張感に包まれて。
「今しがたの魔道具の発動……あれほどの技術を成した者の息子がここにいるのか」
王はちらとカイルを見た。
少年は小さな背を精一杯に伸ばしている。
「……そのような者に、我が国の未来を託すことも悪くあるまい」
そう告げた王の声に、アリシアは思わず息をのんだ。
承認の響きが、その言葉にはあった。
「よって、この場にて認めよう。アリシア・ローゼンタールとエリアス・グランチェスターとの婚約を正式に許可する」
広間がざわめきに包まれる。
「こ、こんなに早く……」
アリシアが目を丸くすると、カイルが慌てて言い訳のように口を挟んだ。
「だ、だって父上が! 『証拠と申請書を同時に出せば、王様も断りにくいだろう』って……!」
「……おまえ……そんな抜け目のないことを……」
エリアスは額を押さえ、耳まで真っ赤になっていた。
(な、なんで未来の俺はそんな策士なんだ……! よりによって彼女の前で……!)
アリシアはそんな彼を見つめ、ふっと微笑んだ。
「……とても用意周到な方なのですね、未来のあなた」
「……う、うるさい」
小さく視線を逸らしたエリアスの横顔に、ほんのりとした赤が差していた。
「――よ、よかった……」
婚約が国王の口から正式に認められた瞬間、カイルの肩から力が抜けた。
小さな胸が大きく上下し、緊張の糸がぷつんと切れたように、ふにゃりと笑みが浮かぶ。
「母上、これで……もう安心ですね」
くしゃりと笑った顔は、まだあどけない少年そのものだった。
アリシアは胸の奥が温かくなるのを感じながら、彼にそっと微笑みかけた。
「ええ……カイル。本当にありがとう。あなたが来てくれなければ、わたくしはきっと……」
声が震えそうになり、言葉をのみ込む。けれど瞳はしっかりと息子を見つめていた。
「……母上」
その呼び方が、妙に愛おしくて、アリシアの頬は自然と紅潮していく。
そんなやりとりを横で見ていたエリアスは、胸の内で小さく嘆息した。
(……なんてことだ。未来の俺は、こんな少年をひとり過去へ送り込んだのか。無茶をさせたな……でも、そのおかげで俺は、彼女に想いを伝える機会を得られた)
カイルは小さな手を胸の前で組み、少し神妙な顔をした。
「父上が言っていました。『この断罪を回避すれば、国は安定し、魔法研究の予算も大幅に増える』って……だから、どうしても成功させろって」
「…………未来の俺、国の予算の心配までしてたのか」
エリアスは頭を抱え、思わず小声でぼやく。
(いや、間違ってはいない。むしろ正しい。けど……恋の告白と研究予算を同列に扱うのはどうなんだ……!)
「ふふ……」
アリシアは堪えきれず、口元に手を添えて笑みをこぼした。
「未来のあなたは、とても現実的で、そして……優しい方なのね」
耳まで赤くなったエリアスは、何も言い返せずに視線を逸らすしかなかった。
そのとき、カイルがぽつりと呟いた。
「……もう、役目は果たしました。母上を守れたから、もう帰ってもいいですよね」
「……帰る?」
アリシアは思わず身を乗り出す。
「ええ、でも……未来は、大丈夫なのかしら?」
カイルは小さく頷いた。
「はい。父上が言ってました。『これも歴史の一部だから心配ない』って。僕がここに来ることも、修正された未来にちゃんと組み込まれているって」
その言葉にアリシアの胸は少し締めつけられた。
(……この子は、本当ならまだ無邪気に遊んでいる年頃なのに。未来を背負って、わたくしを守るために……)
「カイル」
アリシアはそっと彼の頭を抱き寄せた。
「ありがとう。あなたはわたくしの誇りよ」
「……母上……」
少年の頬が赤くなり、照れ笑いを浮かべる。
横で見ていたエリアスは、胸の奥がじんわりと熱を帯びるのを感じていた。
(……俺の未来の子供が、こんなにも強くて、こんなにも優しいなんて。……負けていられないな)
カイルは二人を見上げ、少し安心したように息を吐いた。
「じゃあ……ぼく、もう帰りますね。……母上、父上、幸せになってください」
その言葉に、アリシアもエリアスも、一瞬返す言葉を失った。
だが次の瞬間、互いの視線がふと重なり――頬を染めながらも、同じように微笑んでいた。
「……ああ。約束する」
「……ええ、必ず」
カイルが光に包まれて消えたあと、広間にはしばし静けさが満ちた。
まるで舞台の幕が下りた後のように、空気が柔らかく揺れる。
アリシアは胸に手を当て、まだ鼓動の余韻に震えていた。
――未来からの子供、未来のエリアスの言葉、そして国王の承認。
目まぐるしく過ぎ去った出来事に、現実感が追いつかない。
そんな彼女の隣で、エリアスは深く息を吐いた。
「……あいつ、最後まで言いたい放題だったな」
苦笑する声音は低く落ち着いているが、耳の先まで赤くなっている。
「ふふ……可愛らしい方でしたわ」
アリシアが小さく笑うと、エリアスはばつが悪そうに視線を逸らした。
「まだ子供なのに、信じられないくらいしっかりしてた。……いや、俺ひとりの血じゃない。貴方と一緒に育てたからこそ、あんな風になったんだろうな」
「……わたくしと、あなたで?」
不意に告げられたその言葉に、アリシアの頬が一気に赤く染まった。
胸の奥が甘く痺れるように高鳴っていく。
(……二人で、育てた子……未来では、確かにそうだったのね)
「……そんなこと、当然のように言わないでくださいませ」
アリシアは視線を逸らし、思わず小さく唇を尖らせる。
その仕草に、エリアスの胸が大きく揺れた。
(……可愛い。未来の俺があんなにも必死になった理由が、今なら分かる……)
思わず小さく笑みをこぼしながら、彼は肩をすくめた。
「どうすればいいかなんて……俺だって分からない。ただ一つだけ、確かなことがある」
アリシアが不思議そうに視線を戻す。
その瞳を真正面から見据え、彼は静かに言葉を落とした。
「……貴方を幸せにしたい。それだけは、揺らがない」
広間に残っていたざわめきも、やがて静まっていった。
断罪の嵐は過ぎ去り、王の承認と未来からの使者によって、新しい物語がここに芽吹いたのだ。
アリシアはふと隣を見た。
さきほどまで真剣に自分を見つめていたエリアスは、照れ隠しのようにすっと横を向く。
その頬にはまだ淡い紅が残り、不器用に逸らした仕草がかえって胸を打つ。
――どくん、と心臓が大きく跳ねた。
抑えきれない鼓動に戸惑いながらも、アリシアの唇には自然な笑みが浮かんでいた。
「……未来のように、わたくしたちも歩めるかしら」
「……ああ。未来どころか、今すぐにでも」
言葉を交わしただけなのに、胸が熱くなる。
互いの視線が重なった瞬間、広間はまるで二人だけの世界に変わってしまったかのようだった。
未来から来た少年が残していった言葉。
――幸せになってください。
その願いに応えるように、二人の心は静かに寄り添っていた。
こうして、侯爵令嬢アリシアの「婚約破棄宣言」の日――
それは同時に、彼女とエリアスにとっての「婚約成立」の日となったのである。
お読みいただきありがとうございました。
もし何か感じていただけたら、ブクマや感想を頂けると励みになります✨
未来息子たちのこれからの物語を、そっと見守っていただけたら嬉しいです☘️




