First Battle
「あ、あれは…。」
湖の奥から聞こえた足跡の正体は次第に分かってきた。森林に生えた樹木を切り倒すようにその巨漢といより巨人が現れた。顔は醜く、口からは酸を含んだ涎が垂れ流しされている。肌はゴブリンのような深緑で、腰には藁を無造作に巻いている。きっと彼らには羞恥心というものがないから、意識して下半身を隠しているわけではないだろう。きっと、人間の真似をしているのだ。パウロの説明でもあったように魔獣の知能は低い。だから見よう見真似で模倣することができても、それの意味は決して理解していない。そう、目の前にいるのはオークである。
「なんでオークが…!」
エリスが驚嘆の声を上げる。怪眠期にオークは本来活動しないはずだからである。
ただし、今はそんなことを言っている場合ではない。とにかく”逃げなくてはいけない”。
今の俺たちでは決して勝つことなんてできないからだ。
「エリス行こう」
俺は咄嗟にエリスの手を握った。
そして、そのまま逃げてしまえばいい。オークは身体が大きいが決して俊敏な動きをするクリーチャーではない。
しかし、その手はすっぽ抜けてしまった。というより、掴んだ気がしなかった。
「エリス…?」
エリスの方を見ると、彼女は黒目のまま固まっていた。気絶、いや失神…?言うならばフリーズといった感じだろうか。何かを知っているわけではないが、すぐに理解できた。恐らくオークもしくはクリーチャーがエリスにとってはトラウマなのだ。だから、彼女はその恐怖を目の前にして決して動くことができなかった。
そうこうしている間にオークはすぐ目の前に迫ってきている。おかしい…。ジルドさんの話ではオークはさほど早く動けないってことだったのに、なんか早い。というか、興奮している…?
そんなことより早くエリスだ。エリスを何とかして助けなければ、俺がこの世界で何よりも大切なもの、エリスを守らなくては。
俺はエリスをお姫様抱っこのように抱え、すぐに森林のさらに奥へ、平野に向けて走り出した。かなり早かったと思う。現実世界でも異世界でも今まで過ごしてきた経験の中で1番早く走っていたと思う。
しかし、それでも興奮状態のオークには決して逃げ切ることは出来なかった。もはや手遅れだ。寸前にまでオークは迫っていた。
一か八か…。
俺は力いっぱいでエリスを木の上に放り投げた。普段ジルドのお店でナルッポを担いでいるんだ。華奢で可愛い大切な想い人を守るためなら余裕である。
オークは木の上に放り投げたエリスのことを見つめた。すかさず、俺はオークに石を投げる。
「お前の相手は俺だ!かかってこいよクソ野郎!」
オークの顔はみるみる赤くなってきた。オークには怒ると顔を赤くして興奮する性質があるのだ。攻撃力が非常に高くなる、と言われている。しかし、俺の狙いはそれだけではない。オークはこの状態になると知能が急激に下がる。元より頭の悪い種族である、そして更に頭が悪くなれば…。そもそも力では勝てない相手である。そんな相手であれば他で戦うしかない。
「さて…、まずはどうしよっ」
頭をフル回転しようとしたその刹那、オークのもつ棍棒が俺にクリーンヒットした。
見誤った…。所詮俺が持っている知識はゲームや平和な時代の産物だった。
俺は空中に放り出された。
冷たい空気が勢いよく俺の身体に突き刺さる。きっと飛行機から何もなく落下したらこんな感じなのだろうな。下には木々が生い茂る。きっとここで堕ちたら死ぬだろう。
あぁ。もう少し長く生きたかったな。
でも、最後に非リアでオタクだった平凡な俺の人生がエリスやジルドさんのお陰で少し楽しめた。
エリスは無事なのか。
彼女だけでも、助けたい。
俺に力があれば…、誰でもいいからエリスを助けてあげてくれ。
そうだな風の力が、魔法が使えればエリスをスミノフに送ることだってできる。
何ならオークだって倒せるんじゃないか…?
って…、ははっ。俺は馬鹿だな。
「…聞き入れました。」
…?
何だ今の声。男の声がした気がする。
その刹那、俺は竜巻に包まれた。
う、浮いている…?
下から強い浮力を感じる。ちょうど竜巻の中心部に乗っている。
なんだこれ…、何の現象が起こっているんだ?
「旦那様、聞こえますか?」
さっきの男の声がした。周りを見回してみるが誰も見当たらない。
「だ、誰だ!!」
「おっと、名乗るのを忘れておりましたね。私の名前はベル。そうですね、いうならばウィザードといったところでしょうか。」
「ベル。ええーと、それよりもお前は…」
この間のエリスとの会話が頭に浮かんだ。
「ベル。俺の名前はハヤト。君が誰かはよくわからないが、とにかく助けてほしい。」
そう言うと、目の前に高級そうな執事服を着た男が現れた。その顔は非常に端麗で、スタイルはモデルのようであった。
「ハヤト様、存じ上げておりますよ。さて、それではこれより初陣を始めましょう。」
そう言って目の前のイケメンはニヤリと笑みを浮かべた。
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「簡単に申し上げますと、現在竜巻で浮いておりますのは風の魔法によるものでございます。そして、それは旦那様、あなた自身の魔力によるものです。」
「魔法…?そんなもの、俺は持ってないはずだけど…。」
「旦那様、祝福を覚えておりますでしょうか。」
「祝福…。それってユウマが言っていた亜空間に飛ばされるときの…。って、まさか俺が異世界に送られてきたのを知っているのか!?」
「えぇ。その通りです。ですからユウマ陛下のことも存じ上げておりますよ。」
「陛下…?それってどうい」
「旦那様。お急ぎになられた方が宜しいのではないでしょうか。」
そう言ってベルが指差した先には、エリスの乗った樹木にオークが手を伸ばそうとしていた。
「エリスッ!」
「旦那様!手のひらをオークに向けて、念じてください。風で、空気で、弓矢を編んでください。」
ベルの言う通り、俺はオークに狙いを定めた。
すると、心臓から脚に、心臓から腕に温かい血の流れと違った、身体の循環を感じた。
「身体の根源から魔力の動きを感じるのです。さて、そろそろ宜しいですね。」
「今ですっ!!!!力を解放しなさい!!!!」
ヒュン
旋風のように鋭利を増した空気の流れが鏑矢の様に走ったのを感じた。そして、その矢はオークの頭に命中し、たちまちオークは灰のように消滅した。
「やった!…のか…?俺の力で。なぁ、ベル。」
未だ自分の力が信じられず、執事服の男の方を向いた。
しかしそこには何もおらず、あるのはただの漂う雲だけであった。
「ベル…?って…、これどうすればっ。」
その刹那、俺の足下に浮力を与えていた竜巻が消滅していた。
えっ。これ、堕ちるくね。
わぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!
ザボーン!!!!
し、死ぬ…。なんとか水面にまで上がってきた。
まじで死ぬかと思った。てか、ベルはどこにいっ…。
あっ!エリス!!
エリスは大丈夫なのか!!
まだびしょ濡れであったが、すぐにエリスを放り投げた樹木に駆け寄った。木陰に少女が体育座りで座っていた。
エリス…!!!
「エリス!だいじょ…」
声をかけようとした刹那、エリスは俺に抱きついた。
こ、これは遂にモテ期が来てしまったかぁ!?!?
「エリス!今俺びしょ濡れだか…」
「ありがとう…!」
恐怖の中から絞り出したような震えた声で、目に大粒の涙を浮かべた少女は俺を強く抱きしめた。
「ありがとう!ありがとう!ありがとう!!!」
すごく怖かったのだろう、その強い感謝は痛いほど伝わった。
俺はそれを受け止め、強く抱き返した。




