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第16話 竜人族のべファル王


 ああ、我ら竜人族は今日という日をどれだけ待ち続けていたことだろう。


「王」

「王」

「我らが王よ」

「皆、静まれ。まだだ。まだ涙を落とすな」


 目頭を押さえて我は涙を堪える。


 長かった。本当に長かったのだ。


 事の始まりは、我の母であった。

 ようやく生まれた我が、幼いながらによたよたと立ちあがり、やがて飛んで走れるようになり、背の翼や尾を消せるようになったとき、母上は我の鼻や口を覆うように布を巻きつけてきたのだ。


「ベファル。今日は決して飛んではならない場所へ行こう。聖地へ巡礼だ」

「聖地……我が聖地へ」

「決して飛んではならない。翼や尾を出してはならない。大きく口を開けてはならない」


 翼と尾を消せるようになった。とはいえ当時の我はまだまだ幼い。少年とも言えぬ幼さだった。


 聖地。神殿。信じられぬほどに巨大な神の石像。雲まで届く神の塔。

 聖地の絵や話しか知らぬ幼い我が、あの日どれほど心踊ったか。


「そして、いずれ竜人の王となるお前に、会わせねばならぬ、他族の白い女がいる」

「他族……」

「いいか。他族の言葉は何一つ意味がわからぬ。それでも、静かに会うんだ。今日は口を閉じて静かに見ていればいい。どんなに驚いても、決して翼と尾を出してはならない。この布をしっかりと巻いて、決して大きく口を開けてはいけない」


 母上の差し出す手に、とても緊張したのを今でも憶えている。


 聖地には我ら竜人とは違う一族がいるのだと。

 なにか幼い自分が他族相手に粗相をしてしまわないかと、不安になったのだ。


 稀有だった。

 稀有だったのだ。

 本当に本当に稀有だった。


 他族とは――。


 聖地とは――。


 幼い我はあまりの衝撃にふらふらとしながら、母上に手を引かれて王都へ戻った記憶しかない。


「王子頼むよ。王子お願いだ。もう放してくれ」

「嫌だ! 駄目だ! 聖地へ行くな! 絶対に行っては駄目だあっ!」


 その日から、幼い我は泣いて皆を引っ張る日々だった。

 本気で、あの聖地へ行けば死んでしまうと思っていたのだ。

 皆を死なせないように、幼い我は自ら門に立ち、聖地へ向う者の服を引っ張り全力で止め続けた。


 聖地は、他族は、臭くて汚く、腐った魔物の死骸のようだと思ったのだ。


 あんな腐った毒のような臭気を吸えば、皆が死んでしまうと――。



 時折、聖地へ神の怒りが降り注ぐ。

 暗雲が立ち込め、雷と嵐、そして大雨が降る。


 怒った神の掃除だ。



 その後、女王である母上が退位して、我が竜人族の王となったとき、決めた。


「もう聖地に救いはない。母上も悲しみのあまりに退位された。白い女は亡くなってしまい、おそらくあの一族の者はもう誰もいないのだ。皆、神の怒りの翌日だけだ。聖地へ巡礼へ向うのならば、神の怒りの翌日のみとする。聖地の門番に今ある白い女の布を。これももういつまで持つかわからぬが、白い女の香り袋を――」


 聖地の神殿の前にある我が国の門。

 そこだけは、誰か立たねばならぬ。

 我は身を切る思いで、白い女の布と香り袋を死地で立ち続ける門番たちへ渡した。


「今日もいたのか」

「はい。布を巻いた他族たちが、ダンジョンの方へ向かって行きましたよ」

「わからぬ。我には理解出来ぬ。何故なのだ布を巻く同士の他族たちよ」

「おそらく、ダンジョン内は、布を巻かずに鼻を出した他族たちに近づかなければ、あまり臭くないからではないでしょうか」

「だが来るだろう。いるだろう汚くて臭い他族たちがッ」

「ダンジョンの宝物が欲しいのでしょう」

「わからぬ。我には理解出来ぬ。宝物などどうでもいいではないか」

「布の同士たちには、きっと必要なのですよ。以前、私はダンジョンへ行きましたが、彼らはダンジョンに出る魔物相手に苦戦することもあり、その、おそらく戦う訓練もしていました。彼らは、おそらく私たちのように空も飛べず、口から火も吹けず、爪で引き裂けず、尾で薙ぎ払うことも出来ず、強靭な身体でもないのです。魔法は使えるようですが、私が見る限り、おそらくは――」

「泣くな。泣いては布の同士に失礼だ。他族を哀れだと思ってはならぬ。聖地へ行くのだ。彼らは決して弱くない」

「そうですね。しかし白い女も、他族たちも、あまりに短命に見えるのです」

「……そうよな。ところでいつ、我に無断でダンジョンにまで行ったのだ?」


 無事に国へ帰って来たその日の門番と話す日々――。


 他族は我ら竜人族よりも短命。


 女王だった頃の母上もよく、白い女の酒をちびちびと飲みながら言っていた。


「あの白い女と出会ったとき、我と同じ年頃の女だと思ったのだよ。神殿もまあ他よりマシだが、臭いものは臭い。あの日はそこへ、今でも布を巻かぬ魔獣のような他族たちが大勢で祈りに来てな。我は鼻を押さえて逃げたのよ。外にある巨大な神の石像の裏。皆、神の顔ばかり見上げて立ち去る。その裏側ならば誰も来ないだろうと思うてな。さすれば居たのだ。我と同じように鼻を押さえて涙目の他族たちが。そこにな、ふと白い女が突然現れたのだ」


 母上は酒をちびちびと飲ながら、我を相手に白い女との思い出を語るのだ。


「白い女に我はそれはもう驚いた。思わず火を吹くところだった。何の気配もなく、本当に突然現れたからな。それは他族たちも同じだっただろうさ。だがな、その前に白い女が香り袋をパンパンと手で叩いたのよ。もうわかるだろう。爽やかな良い匂いがした。そうして、我らに香り袋をひとつずつくれたのよ。鼻に近づけて吸えと、言葉は通じぬから、何度も香り袋を鼻に近づけて吸う、そうやって実演してみせてな。我らが同じようにすれば、白い女は笑った」


 フッと母上も静かに笑った。


「小柄で愛嬌のある美しい赤い瞳の白い女だった。我も他族たちも笑った。言葉は通じぬが、互いにここは本当に臭いなと笑ったんだ。それから、神の怒りの翌日には香り袋を持って巡礼に行くようになった。そうして、ふと神殿の帰りに石像の裏へ行った。またあの白い女がいないだろうかと。行ってみれば、香り袋を持ったあの日の他族たちがおってな。我はつい聖地で涙が出るほど大笑いしてしまったのよ。先にいた他族たちも大笑いする我につられて笑い出した。またあの他族たちと笑い合ったのだ」


 眩しい太陽でも見るかのように、目を細めて母上は懐かしむ。


「するとな、白い女がまた現れた。あやつはなあ、我らが喧嘩をしそうになると引き止める間もなく消えてしまうのよ。はじめからいなかったかのように、消えるのだ。だからな、我らは順に香り袋をもらうようになった。何でも順にだ。白い女が何かをくれるまで、ただ待つのだ」


 この母がだぞ、と面白そうに言う。


「ベファル。あの日、幼いお前に巻いた布はな。実はもうひとつの白い女の布だった。初めてあの布を白い女がくれた日にな、白い女は二種類の同じ布を持っていたんだ。一枚目はあの布だ。もう一枚は、あの白い女の国のただの布かもしれん。白い女は初めに、そのただの布に我が国では見たことのない葉を挾んで顔に巻いたのよ。我は白い女と同じように葉を挾んで、ただの布を顔に巻いた。臭くなくて驚いたよ。だが、それからもう一枚あの布をくれたんだ。布を変えろと。こちらの布を巻いてみろと。そうしたら、アレだ。全然臭くないんだ。あの布を巻けば完全に臭くないのだと理解出来た。白い女が、我らが持てる分だけあの布をくれるようになった。不思議な鞄から次々と布を出しては、我らにくれるんだ」 


 もうひとつの布。そうだったのか。と、我は随分と後になってから聞いた。


「我は幼いお前にあの臭さを教えねばならんと思ってな。完全に臭くないあの布ではなく、葉を挟んだままとっておいたもう一枚の布をお前に巻いたんだ。帰りに石像を見上げさせて、お前の顔から布を取ったのも同じ理由だ。ちょうど、近くに布を巻かずにいる他族たちがいたからな。すぐに吐きそうになったお前と我が国の門に向かった。何事も経験せねばわからぬだろ」


 不満げな我に頷く母上。


 我にとっては、今でも悪夢にうなされているくらい心に深く刻まれた、決して忘れられぬ衝撃だったのだが――。


「本当にいろんな物を白い女に貰った。この透明の酒の実が、運命の分かれ道だったのか、わからぬが。いや間違いなくそうであろうな。布を巻かずにいる髭の他族まで、白い女に不思議な実を貰うようになった。やつらは、あの髭のせいか布を泣いて嫌がるのだ。他の実も絶対に泣きじゃくって受け取らん。とても濃い酒の実だけを受け取るのだ。我らは髭の者たちがあまりに汚く、そして我らが濃い酒の実を貰うと全員で泣きじゃくって嘆くから、濃い酒の実は白い女に先に全部貰って帰れと追い払って、それからゆっくりと白い女と過ごすようになった。我らも白い女に御礼の品を持参してな。他族にも貰って、我も渡して。楽しい日々だった。そうしているうちに、布を巻いた他族のひとりが老婆になった。孫だろうなあ。ある日いつもはひとりで来ていた老婆が子どもを連れて来てな。次に会えばその子どもだけになった。そうしたことが、何度もある。そしてな、とうとう白い女も老いてきたのよ。我は出会ったときとそう変わらぬのに、白い女が老いてきた。だから、お前を連れて行った。ベファル。白い女は本当にもう死んだのだろうか。初めて見る箱を皆にくれたんだ。開かぬこの箱を……」


 母上の手にある箱。


 当時の我は何も言えなかった。


 母上がぽろぽろと涙を落とすから――。


「布を巻いた他族の同士たちと神の怒りの翌日に会うことになった。以前のように、石像の裏で出会ったよ。我が目印なのかもしれん。我だけが、ずっと同じだからな。白い女が来ないから、あの布はどの国でも貴重なのだろうな」


 あれからしばらくして、母上はまた荷物を持って聖地へ向かうようになった。


「布を巻いた同士たちも開かぬ箱をまだ持っていた。これは箱ではないのかもしれん。懐かしいなあ。白い女のことも、初めはわからぬことばかりだった。ああ、我はもう一度、あの名も知らぬ赤い瞳の白い女と布を巻いた同士たちと日々笑い合いたい……何故あの白い女の一族だけがいないのだ…………」


 ぽろぽろ。ぽろぽろ。

 母上は涙を落とす。


「ああ、この透明の酒も果実の酒ももう終わる。この髪の艶も消え失せるか。爪ももう塗れまい。皆、地味になるな。赤い爪ももう塗り直せない。名前だけでも知りたかった。あの白い女は、本当に、もう……来ない、か……」


 母上の嘆きはたいそう深く、以前のように笑いもしない。


 母上の話を聞けば、布の同士の他族たちの老いの早さもわかる。

 老いた布の同士の若い頃に似た子どもや若者だと、寂しくもうれしいような話をすることもあった。


 白い女に似た者は来ないと涙を落とすこともあった。


「ああ、不味いな。我が国の酒は本当に不味いな。布を巻いた同士の酒は飲めるが、白い女のように不思議な鞄がないからなあ。交換してくれるだけ有り難いか。この酒もどうやって作っているのか、わからんなあ。ああ白い女の赤い瞳が、囀るように笑う声が、あの透明な酒と赤い爪が恋しいな……」


 聖地の門番が神の怒りが降り注いでいると報告をすれば、その日だけは少し笑った。


 翌日にはただの布を巻いて、交換する物を背負って母上は聖地へ行った。


「巡礼に行くのではない。もう我は長いこと神殿で祈ってない。布を巻いた同士の他族たちと会うだけよ」


 そう言って、聖地へ行く。


「布を巻いた同士は魔物の爪や牙がもっと欲しいようだ。我の楽しみは白い女の遊戯を知る同士たちと、これだけだ。お前も大きくなったからな。もう寂しがりの母に付きまとわれては嫌だろう」


 我に王になれと、そう言った。


 それ以外は憂さ晴らしのように、王都から出て魔物と戦う日々。


 父上と同じだ。もう魔物を倒すしか、楽しみがないのだと言う。


 歳を重ねるほど、こうなるのか。


 もう王都には若い竜人しかいない。


 いつまでこのような日が続くのか。


 母上はまだ、魔物の牙や爪などを布を巻いた同士の酒と交換して、白い女の遊戯をするという楽しみがあるだろうが、いつか、母上までもが滅多に帰って来ない父上たちのようになるのかもしれない。


 魔物と戦うだけの日々。


 我ら竜人は、それでいいのだろうか。


 そう考える長い長い日々――。





 それを終わらせたのもまた、母上だった。


「ベファル! ベファルベファル! 白い子だ! 白い子がいた! ああ、皆を魔物の山や谷から連れ戻せ! 透明の酒だ! 赤い爪も! ああ、懐かしいなあ。爪を塗れば魔物が倒せんではないか。赤い色が剥がれぬように、また大人しくせねばな。ははっ。ああ! あの香り袋もくれたぞ! 白い女にそっくりな見た目で可憐な声の幼い子でな。ああこの可愛らしい囀りのような声だと、いや待て。先に透明の酒を用意せねば話にならぬ! 我の話を聞くように皆を連れ戻せ!」


 母上が笑い出せば、父上も皆も、王都に帰って来るようになった。


 透明の酒や果実の酒を飲みながら、色を塗った互いの爪を見せ合い笑い合う。


「やはり神はおかしかったのだと我は思うぞ。女神を見よ。あの常に綺麗な聖地を。布を巻いていない他族が余計に目立つが、布を巻いていない他族さえいなければ、普通に呼吸が出来る。布を巻いていない他族さえいなければ。髭がなあ。どうにかならぬのかあいつらは。白い子の前でもまったく変わっていないんだ! 幼い白い子にまで、濃い酒が欲しいと身振り手振りしながら泣くんだぞ。思わず笑ってしまったわ!」


 膝を叩いて笑う母上の話が、父上たちの楽しみだったのだと、我は気づいた。


 変わらぬ日々では、誰もこうして話すこともないのだ。


「今度こそ、白い子の名前だけでも聞きたいんだが、今日我はなんとなくわかった。髭の男の名前だ。白い子がな、髭の男をこう呼ぶんだ! キュピゥン、キュピュン、そんな言葉だ! 我は白い子の名前が知りたいというのに、よりにもよって布を巻いていない髭の呼び方だ! ひどいと思わないか?」


 母上の話は楽しく、皆が笑う。

 美味い酒を飲みながら笑い合う。


 ああ、楽しいなと我も思った。


「そうだ! 我は女神に白い子の長寿を願わねば! 子どもだが他族の成長はあっという間だからな! いっそ不老長寿でも願うか! 白い子は小さくて可愛いんだ。あのままでいいだろう。あの白い女の一族は皆が可憐なのだろうなあ。ああ、絵を描け! 白い女の絵と並べよう。ファベル! 次はお前も一緒に会いに行こう!」

「あはは! また我もか! いや、懐かしいな。あのときもそうやって我に絵を描けとお前は大騒ぎしたな」

「懐かしいばかりだぞ! 白い女のように我の角に触りたがってな! 我は涙が出るほど笑った。そうしたらな、静かにしろだ。また白い女と同じことをするんだ白い子が! この我に静かにしろなどと、ああ、やはりなんという命知らずだろう! 我はとてもよいこに口を閉じて静かにしたぞ。白い女にきちんと躾けられているからな!」


 楽しい日々が戻ってきたのだ。


 父上と母上が笑い合い、皆も笑う。


 こんなに賑やかだったのだ。


 静かにしろと、そう白い子に思われるほど、母上は大笑いするのだ。


 静まり返る城には、もう戻りたくないと、我は思った。


 若い竜人たちは、皆が同じようなことを我に言うようになった。



 一番若い門番もそうだ。


「白い子が、いなくならなければいいのにと、つい考えてしまうのです」

「そうよなあ。我らと同じほど、老いなければよいのになあ。女神に祈る母上たちを、見るとなあ」

「試練の塔の扉はやはり開かず。女神に祈るしかないのでしょうか」

「白い女と白い子では別の願いになるかと思ったが、同じ願いということだ。そうよなあ。我ら竜人族の望みは同じこと。同じ願いであるよなあ。神に祈って叶うとも思えぬが――、我の願いはまあ叶ったよな」


 あの聖地は死地であると。

 我は、神が去り女神が現れるまで、本気でそう思っていたのだ。


「……そうですね。叶いました。ええ、女神さまは叶えてくださいましたね」


 幼い我がどれほど神に祈ったか。

 神の怒りの大雨では追いつかぬと、皆が死んでしまうと何度祈ったか。


 女神は叶えてくれる神なのかもしれないと、そう思った。


「ところでいつ、我に無断で試練の塔にまで行ったのだ? たまには正直に答えよ」


 門番は、聖地で巨大な女神の石像に祈る楽しみが出来たと笑った。


「王よ。女神フクさまより神託が下りました」


 そして、女神は叶えてくれる神だと、我は確信することになる。


「んー、ようわからぬ神託だな」

「なるべく皆で集まっていればいいのだろう」

「そういうことだと我も思う。夜には皆集まるのだから、それでいいのでは?」


 母上と父上、そして我と話し合い、いつも母上が皆を集める大広間で、夜を待つことにした。


【はじめまして! わたしはみんなを見守る女神フクさまの使いのフクエルだよ! 今日はみんなに聖地の決まりを教えるよ!】


 突然出現した透明な何かに、驚愕したのを今でも憶えている。


 女神は、神託だけの神とは違い、使いというものがいるようだ。


 皆が言うには、フクエルとやらは女神像を模したような見た目であると。


 それから、だ。

 我が涙目になったのは。


【こういう建物! こういう絵が書いてある場所がトイレなんだ! こっちが男性用で! こちらが女性用! 大人が赤ちゃんや小さい子どもと一緒に使う用! これから聖地ではトイレ以外で排泄したりしちゃ絶対駄目だよ! じゃあこれから、このトイレの使い方をみんなに教えよう! ダンジョンでも同じトイレだから安心してね! その前に! みんなー! 女神フクさまの合言葉は「綺麗に! 清潔な暮らしをしましょう!」なんだよ! トイレは特に綺麗に使わなきゃダメなんだ! トイレの使い方を絶対覚えるんだよ!】


 女神だった。


 この方こそ救いの女神だったのだ。


 我の本当の本当の神は女神さまだったのだ。


 トイレとは――。

 綺麗な聖地とは――。


【ちょうど、お顔に布を巻いている一族とお顔に布を巻いていない一族がいるよね! じゃじゃーん! こちらがお顔に布を巻いてる一族専用の絵! こちらがお顔に布を巻いていない一族専用の絵! 神殿やトイレが混むと大変だから、それぞれ専用の神殿やトイレを使うんだ! 専用の絵の方にしか絶対に入れないから注意してね! そしてなんと!】

「ほらァ! ほらなッ! 我の思ったとおりではないか! 神がおかしかったのだ! フクエルも遠回しにそう言うておるではないか! 絶対に入れない! 混むからだと! 我ら布の同士たちの神殿とトイレが混むだけだろう! それでもこう分けたのだ女神が! 痛ッ!」

「聞こえん!」

【ぜーんぶ変わるんだ! そのときはまた神託があるから楽しみにしててね!】

「はじめて息子に脇腹を殴られたんだが!? ファベル!」

「白い女にきちんと躾けられたよいこのベルゼア。よいこに静かにしろ、だ」

「ファ!?」

「フクエルの声が聞こえなかった。何が変わるんだ?」

「私にも聞こえませんでした。また神託があるとは聞こえましたが」

「母上も父上も皆も静かにせよ。皆、静かにこの奇跡を見るのだ」

「ッァ!? すまん……」


 我はあまりの衝撃にポタポタと涙を落としながらうるさい母上と父上を交互に黙らせ、女神フクさまの敬虔な信者になった記憶しかない。


【では最後にみんなで言おう! 女神フクさまの合言葉「綺麗に! 清潔な暮らしをしましょう!」さあ、みんなわかったかな? もう一度女神フクさまの使いフクエルのお話を聞きたいなら◯もう終わりでいいなら✕。どちらかの絵に優しくそっと触ってね!】

「ベ、ベファル」

「ベファル」

「王」

「王」

「我らが王よ。ご決断を」


 我はふらふらとしながら立ち上がり、決断した――。


「もう一度だ!」

【はーい! もう一回だね!】

「ああ!」

【女神フクさまの使いフクエルと、今の聖地の決まりを一緒に覚えようね!】

「ああ! もちろんだ! 女神フクさまの使いフクエル!」

「ベ、ベファル、ベファル、座れ」

「落ち着け。翼をしまえ。我らに見えん。尾まで出すなベファル! ッグ!」

「ファベル! ッあ! 皆急ぎこの場から離れよッッ!」


 静かに見れば見るほど、涙が溢れる。


 これだ。これなのだ。


 我が求めていたのは、汚くない、臭くない聖地なのだ。


「もう一度だ!」

【はーい! もう一回だね!】

「ああ!」

【女神フクさまの使いフクエルと、今の聖地の決まりを一緒に覚えようね!】

「ああ! もちろんだフクエル!」

「ベファル! ベファル! ◯に触ったらあの髭たちのようにスッと座らぬか! 母もはじめてお前を殴るぞ!」

「また我らに見えんだろう! いい加減に聞けベファル! 父がはじめてお前を蹴るぞ!」

「黙れッ! 静かにせよッ!」

「いい加減になさい王よ! この巫女が生まれてはじめて王に火を吹きますよッ!」


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