咲緒里の夢
吉瀬咲緒里はプロになりたかった。
それというのも、大好きだった叔母・吉瀬杏沙と交わした、ある約束に理由がある。
「わたし、よしとおじさんの代わりに、プロになって活躍する!」
そう言った咲緒里に対し、杏沙はとても嬉しいそうな声で感謝を伝えた。
「ほんと! 嬉しいわ。私、ツアープロになった佳斗さんを応援に行くのが夢だったの。でも……、うふふ、それが叶うのね。今から楽しみだわ」
その言葉が本気であったかどうかは、わからない。
ただ、まだ幼かった咲緒里にはその言葉が鮮明に残り、杏沙が亡くなったことで意味をなさなくなった。
元々両親が共働きで忙しく、祖父と祖母に育てられた咲緒里。
そのため、『おじいちゃん、おばあちゃん』とよく懐いてはいたが、彼女の楽しみは時々遊びに来る叔母の杏沙であった。
「サオリちゃん、元気してた?」
「うん、アズサお姉ちゃんが来るの待ってた。来てくれて嬉しい」
「ほんと! 私もよ。それでね、今日は何して遊ぼっか?」
「う~ん、わたし、お出かけしたい」
「そうね……。近所のスーパーでもいい?」
「うん!」
「じゃあ、いこっか」
それは彼女にとって、忘れることのできない楽しい時間。
優しかった叔母は、いつも咲緒里のことを気に掛けてくれていたのだ。
けれど、その叔母が佳斗と結婚。
吉瀬家を訪れることも少なくなり、咲緒里にとっては寂しい日々が続く。
新しい生活の始まった叔母は、すでに子を身籠り、時間の余裕は無くなっていたのである。
そんな中、久々に吉瀬家を訪れた叔母を見た咲緒里は驚いた。
叔母のお腹は大きく膨らんでおり、中には新しい生命の息吹が感じ取れたのだ。
「アズサお姉ちゃん、さわっていい?」
「いいわよ」
「あ、動いた」
「うふふ、元気な子みたいね」
そう優しく微笑む叔母は、以前と何も変わらない。
咲緒里はそれが嬉しくなって『中にいる子もそうだったらいいな』と、子供ながらに思っていた。
「ねえ、名前は決めてるの?」
「ううん、まだね。でも、佳斗さんの斗の字をつけようかって話はしているわ」
「……、と?」
「そう、由来は北斗七星からみたいだけど、響きがいいじゃない。それにお父さんの名前を付けたら喜ぶと思うのよね。でも、女の子だったら杏沙の沙の字をつけようかって話もしているのよ」
「うん、いいと思う」
この時、咲緒里はまだ五歳。
とても素直な子供であった。
その咲緒里とゴルフとの出会いは、陸斗が生まれてからのことだった。
子育てで忙しくなった杏沙が全く吉瀬家へ訪れることが無くなり、代わりに咲緒里が祖父と祖母に連れられて神川ゴルフ練習場へ訪れるようになったことから始まる。
娘可愛さ、孫可愛さの祖父と祖母は、頻繁に神川家へ訪れるようになったのだ。
当時は佳斗の両親も生きていて、仲も良かった。
咲緒里も叔母だけでなく、可愛い従弟の陸斗を見たくて、毎回付いてきていた。
そんな彼女が美里の娘である詩穂とカエデに出会ったのは、運命だったのだろう。
一つ年上で面倒見のいい詩穂と、一つ年下で自由奔放なカエデの姉妹。
二人に誘われて始めたゴルフ練習が切っ掛けとなり、ゴルフを始めたのである。
咲緒里は才能があったのか、すぐに上達。
先に練習を始めていたカエデを追い越し、詩穂にも迫る勢いだった。
「サオリ、あんたプロを目指したらいいんじゃない」
「プロ?」
「そう。ヨシトおじさんがツアープロの資格が取れなくて、今はティーチングプロをしているのだけど、あなたならツアープロになれるんじゃないかしら」
詩穂からそう言われても、咲緒里にはその意味がよくわからなかった。
もともと練習場経営を生業とする神川家と違い、吉瀬家はゴルフと無縁。
理解することの方が無理だったのだ。
とはいえ、こうして来るたびにボールを打っていれば、だんだんとわかってくるもの。
咲緒里は年齢と共に、ゴルフへの意識が芽生えて行った。
そして、杏沙と交わした約束へと繋がっていく。
叔母の気持ちはどうあれ、咲緒里は本気だった。
目標を定めた子供の成長は早いもの。
佳斗から受けた指導も簡単に吸収し、上達していく。
なんせ、大好きな叔母が暇な時は練習を見に来てくれて、凄く褒めてくれるのだ。
これでやる気にならない子供はいない。
だからこそ、本気でツアープロを目指し、叔母を喜ばせようと彼女は努力した。
市民大会のような小さな大会で子供の部に参加し、見事優勝。
その勢いのままジュニアの大会にも出ようと決めていた。
けれど、咲緒里が十歳の時に陸斗の祖父と祖母が事故で亡くなり、その三年後には苦労が祟ったのか、大好きな叔母が病に倒れ、この世を去った。
こうして、神川家は佳斗と陸斗、二人だけとなったのである。
不意に訪れた不幸に大人たちの事情にも変化が起きる。
咲緒里の祖父と祖母は孫の陸斗を不憫に思い引き取りを申し出たが、佳斗は息子がそれを望んでいないと突っぱねた。
そして……両家は疎遠になった。
当時十四歳だった咲緒里には、過酷な現実だった。
通っていた中学にゴルフ部は無く、練習できるのも神川ゴルフ練習場だけだったため、行き場を失ったのだ。
まだ中学生だった彼女に、移動の足は無い。
これまでは同じ市内の神川練習場だったので、道具は置いておいて自転車で通ってくれば良かったが、遠くの練習場へ通うには車が必要だった。
そして何より、約束を交わした相手が、もういなかった。
目的を見失った彼女がゴルフをやめてしまうのも、必然だったのだろう。
だが、ここで運命はまた交錯する。
高校を春乃坂学園へ進学した咲緒里を待ち受けていたのは、夏目詩穂。
ゴルフ部へ入部していた彼女は、ここで咲緒里を誘ったのだ。
「久しぶりね、サオリ」
「シホねえ……」
「あんた、ゴルフやめたんだって」
「……うん」
それはまさかの出会い。
神川家とは疎遠になり、詩穂が春乃坂学園に入学しているとは知らなかったのだ。
けれど、詩穂は咲緒里の入学を知っていた。
「もう、なにやってんのよ。あれだけプロになりたいって言ってたのに、あんなことがあったくらいで諦めるなんて」
それは叔母との約束を知らない者の言葉だ。
咲緒里がそれまで頑張ってきた理由は、叔母の言葉があったからだった。
「何も知らない癖に」
咲緒里は苛ついたように、そう口にする。
たとえ相手が詩穂であっても、そんなことを言われたくなった。
けれど、詩穂は知っていた。
「あんたとアズサさんとの約束は知ってるわ」
「えっ……」
「だからこそじゃない。亡くなったアズサさんのためにも、あんたはプロにならきゃダメなのよ。でないと、一生後悔するわよ」
それに何の意味が……。
咲緒里はそう思っていた。
「知ってる?」
「何を?」
「リクがね。サオリお姉ちゃんは、いつプロになるの? だって」
「えっ」
「なんでって聞いたら、お母さんが言ってたからだって。一緒に応援へ行く約束までしてたみたいよ」
「うそっ……、まさかそんなことって……あるの」
それが、彼女の素直な気持ちだった。
約束は生きていたのだ。
それからというもの、咲緒里には大きな変化があり、ゴルフ部へ入部後、自ら進んで神川ゴルフ練習場へ通い始めた。
両家のしがらみなんて関係ない。
叔母との約束を果たし、プロになった自分の姿を陸斗に見せるためにも、練習を続けた。
そして現在。
咲緒里はここまで七ホールを終えて3アンダーと、瑠利にも負けないスコアーを叩きだしていた。
昨年、一昨年とブランクに泣き、本来の力を発揮できずに不甲斐ない成績で終えたが、今年は瑠利の加入によって刺激を受けて練習量も増えている。
スタミナ的にも不安はなく、この快進撃が止まることは無さそうだ。
「チッ、春乃坂学園はあの朝陽瑠利って子だけじゃなかったのね」
そう呟く同組でプレーする選手に、咲緒里は自信ありげに言い返す。
「フフッ、勘違いしてもらっては困る。ルリが入っただけで、団体戦優勝を目標に掲げるわけないじゃないか。彼女だけでなく、私だってプロを目指しているんだ。先輩の私が、無様姿を晒すわけにいかんだろう」
もはや彼女に死角なし。
完全にブランクを払拭した咲緒里はこの後も崩れることなくプレーを終え、後半を3アンダーの33スコアー。
トータル68(35、33)スコアーと個人戦でも上位に浮上したのである。




