覚醒の時
話は合宿二日目まで遡る。
午後になって自主練習となった頃、舞木りんは佳斗に指導を求めた。
「先生、わたし、どんな練習してけば、もっと上手くなれる?」
彼女がそう悩む理由は、チームの置かれた状況にある。
名実ともに春乃坂学園の絶対的なエースとなった瑠利と、大黒柱の咲緒里。
この二人が崩れることなどまず考えられないが、残るカエデと佳奈美は未知数だ。
状況次第でどちらにでも転びかねないため、不安要素でもあった。
となれば、ジュニア時代から経験のある自分が頑張らねばと彼女が考えても、不思議ではない。
ゴルフは年季とも揶揄されるように、経歴の長さは重要だ。
最近ではプロゴルファーの多くがジュニア時代からの経験者で、リンもゴルフを始めたのは小学校低学年の頃からだった。
そんな彼女に比べ、練習にあまり熱心でなかったカエデと高校デビューの佳奈美では、同じように指導を受けたとしても得るものは少ない。
というのも、二人には教えられた知識を昇華する能力が足りていないからだ。
まだ同じ高校生といっても、リンはベテラン。
安定感という意味でも、彼女の方がレベルはずっと上だった。
「そうだね……、舞木さんは全てにおいて高いレベルで安定しているから難しいけど、私ならパッティングの練習をお薦めするよ」
「えっ」
それは予想外の提案。
彼女としては、アプローチやショットの正確性を磨くものをと考えていたが……。
「ははは、驚いたかい」
「うんうん」
「まあ、そうだろうね。でも、たとえルリくんがその飛距離を武器にグリーンを攻めても、パットが入らなければスコアーは伸びない。また、サオリが得意なアプローチで寄せたとしても、キミが長い距離のパットを一発で決めてしまえば同じだろう。
いいかい、競技でのゴルフはね、パットの出来いかんですべてが決まるといっても過言ではないんだ。
どんなにボールを飛ばしても、どんなに素晴らしいショットでボールをカップに寄せても、たった1メートルのパットを外せば意味ないからね。パットイズマネーとはよく言ったものだと僕は思うよ」
佳斗からそう説明を受けたことで、リンも理解できた様子。
「うん、わかった。わたし、パッティング練習頑張る。でも、どうしたらいい?」
ただ、そうは言っても、アプローチ練習場はみんなが使っていた。
「ははは、そういう事なら、いい練習場所を教えてあげるから、ちょっと、待ってて」
「はい!」
その申し出に、嬉しそうな様子で返事をするリン。
彼女は、飛距離で瑠利に勝てないし、アプローチなどのショット力で自分は咲緒里に劣ると考えていた。
そのため、二人に対抗する武器としてパッティングを磨くことは、大歓迎だ。
もちろん一朝一夕で身につく技術でないことはわかっているが、指導者があの神川佳斗であるならば、残り一週間という短い期間でも可能性はある。
だが……。
「お~い、陸斗!」
「な~に? お父さん」
「こっちに来なさい」
佳斗は、たまたま練習場の清掃に来ていた陸斗を呼び寄せた。
そして、何も知らない息子がそばに来ると、あることを頼む。
「これから舞木さんが例の部屋を使うから、案内してあげて」
「うん、わかった。りん姉ちゃん、いこう」
「あ、うん……」
そう、リンの戸惑う理由は思っていたのとは違っていたからだろう。
けれど、この後の彼女には天国と地獄が待っていた。
陸斗に母屋のある部屋へ案内されたリンは、まさかの光景に驚く。
「うそっ、この部屋、パター練習専用?」
「そうだよ。外のグリーンは高麗だから、ベント対策としてこの部屋一つをパッティング練習場にしたんだ」
それは陸斗の言葉通りの光景だ。
八畳の床全面が絨毯ではなく人工芝で覆われ、小さなマウンドがあったり、ストロークを確認するための線が引いてあったりと、様々な工夫が凝らされたパッティング練習場。
もちろん浅めではあるがカップサイズの穴も開いている。
「どう? 凄いでしょう」
「うん、すごい。これ、私が使っていいの?」
リンはそう尋ねながらも、目をキラキラさせる。
「そうだよ。お父さんの指示だからね。あとでルリ姉ちゃんも来ると思うけど、それまでは自由に使って大丈夫。これから練習の仕方を教えるから、一緒にやろう」
「うん、わかった。よろしくね」
こうして始まったリンのパッティング練習であるが、意外にも陸斗はスパルタだった。
「ちょっと、まって。腰が限界」
「もう? 早いよ。まだ15分しか経ってないよ」
「でも、腰が固まって、キツイ」
「しょうがないなぁ。あとでマッサージしてあげるから、あと15分頑張ろう」
それは甘い誘惑。
疲労を重ねた腰に鞭うつ所業であるが、甘美な誘いに抗う術はない。
「うっ……、じゃあ、もうすこしだけ」
「うん、じゃあ、再開ね」
それから練習すること15分。
「じゃ~ん、休憩の時間だよ。僕がマッサージするから、うつ伏せで転がって」
「う、うん。よろしく」
「は~い、どう、きもちいい?」
「さいこう」
そんなことが繰り返されること、二時間。
「あっ、リクくんここに居た。それにリン先輩も」
「ルリ姉ちゃん、お疲れさま」
「おつかれ」
リンのマッサージ中に姿を見せたのは瑠利だ。
その様子に状況を悟った彼女は、憐れみを持った目でリンを見つめる。
「大変だったみたいですね」
「そうなの、リクト、厳しい」
「ええ~、そんなことないよ。こうしてマッサージもしているし」
だが、それが悪魔な所業だと二人にはわかっていた。
「そうだね、リクくんがマッサージしてくれるから、やめられないのよね」
「わかる」
そう話す通りに抗えないのが、彼女たちの宿命だ。
厳しいながらも丁寧にマッサージしてくれる陸斗の姿を見ていると、二人はとても癒された。
結局、リンは合宿終了後も毎日この部屋に通い、パッティングの集中トレーニングを続けることとなる。
そして、現在。
「ナイスバーディー」
「うそっ、また入ったの?」
「ふふふ、もう、こうグリーンは読み切った」
舞木りん、覚醒の瞬間だった。
昨日の練習ラウンドと、今日の前半はベントグリーンになれるまでの時間。
そして後半に入ったことでこのグリーンにも慣れ、練習の成果が表れ始めたのである。
ちなみに、後半を16番まで終えて、舞木りんは3アンダー。
香坂雫はパープレーと、前半と比べて差がつき始めていた。




