『五』
『5』
ウォルバレスタの王国街に入ったミーシャルール一団だったが、今回は行動の拠点として、いつものように宿屋を選択することはなかった。街よりも小高い丘に手頃な場所を見つけると、簡易的な基地を設営し始めた。
簡易的とはいえ、十五人が寝食を共にする基地である。丸一日を費やす仕事になることが見込まれた。持参した食糧等は豊富だったが、それでも昼過ぎになるとミーシャルールは、ルネルとデルソフィアに対して食糧の調達がどの程度可能かを調べてくるように命じた。
結局、デルソフィアの素性は、ブラウラグア調査の際に同行していたルネルとタクーヌだけにしか明かされていないままだった。
元々、口数が極端に少ないタクーヌは何ら問題ないようだったが、ルネルは当初、デルソフィアにどう接すれば良いか戸惑った。ひとまず他には素性を明かさないと決めた以上、ルネルのデルソフィアに対する態度や口の利き方が突然変われば、皆がそこに注目する。気付かれぬ程度でデルソフィアとの接触を減らすよう努めたが、同じ船内、しかも十五人しかいない中では無駄な努力と言えた。
戸惑う日々が幾日か続いた後、快晴の空の下、船首にて二人きりになった際、デルソフィアから「俺たち二人は、これまで通りで構わないのだぞ」と言われた。こちらの戸惑いなどどこ吹く風の態で、「当たり前のことを俺は言っている」然としたデルソフィアの顔を見ていると、降り注ぐ陽射しの眩しさも相まって、戸惑っていた自身が馬鹿らしく思えてきた。
神皇帝皇子であるという事実より、出会ってから今日までの日々の方が遥かに現実感があり、強く、優しく、重く、ルネルの心内に蟠踞していた。それに気付くと同時にルネルは、「わかってるわよ、デル」と口にしていた。
その日以来、以前と変わらぬ二人でいられた。神皇帝皇子であるという事実を忘れたわけではなかったが、普段はそれを心奥に閉じ込めておけた。いつか再びその事実を目の当たりにする日が来るとしても、今はそれでいいと思った。
街中を歩くルネルの目に映るウォルバレスタの王国街は、大きく変貌していた。
街並みも時の流れと相応の変化をしていたが、何よりも街に暮らす人々が放つ雰囲気が一変していた。活気がない--その一語に尽きてしまうが、顔半分を強布で覆った乏しい表情からも、そこに潜む悲しみ、憎しみ、怒り、失望、絶望といった負の感情の蠢きが伝わってくる。
病いの流行、感染拡大による影響の一端をまざまざと見せつけられ、コルンジュ病が奪い取ったものは、生命だけではないのだということを痛感した。それに伴い、自身の中に怒りにも似た感情が芽生えていることをルネルは自覚した。
何年も前に飛び出した祖国だったが、「捨てたわけではなかったのだな」と、言い聞かせるように独りごちた。隣を歩くデルソフィアが、「どうした?」という顔を向けてきた。
「何でもない」首を振り、そう答えた。
生まれ育った国が、街が、病いに覆われた。話で聞くのと、実際に目で見て、その只中に
身を置くのでは、覚悟の重みに雲泥の差が生じる。
ミーシャルールが、コルンジュ病が蔓延している最中にウォルバレスタ王国を訪問地として選択した理由を推測してみた。贔屓目で見なくとも、部下の祖国であるという理由もあると思う。
要領よく機械的に最善を選択するだけの小者でないことは、よく承知している。心のあるがまま、感情の赴くままに動くことがあることも知っている。
旅をしている以上、危険が皆無というわけにはいかないが、ミーシャルールという男は、部下を自身より危険に晒すことがないよう常に努め、無数の施策を張り巡らせている。そして、ここ一番では部下のために身体を張れた。
先日のナハトーク樹海での一件も、デルソフィアを護るために、その身を呈した。デルソフィアをミーシャルールの部下とするかは微妙で、神皇帝皇子という身分もあるが、打算よりも身体が先に動くという側面も持っている男であることは間違いない。
だが、今回のウォルバレスタ王国選択の背景は、決して部下の祖国という理由だけではないだろう。他にも何か必ず理由がある。
そこまで思い至ってから、ルネルは思わず微苦笑した。これ以上、考えを巡らせても仕方ない。解はいずれ分かる。それを隠し通すような男ではない。それに、誰よりも信頼できるミーシャルールの選択なら、それを信じるだけだ。
それよりも…。
ルネルは隣を歩くデルソフィアに再び視線を送った。デルソフィアは街のあちこちへ視線を送っていた。その瞳はどこまでも澄み、潤んでいるようにも見えた。
世界を救い清浄へ導く。
民の支えに応えて先導していく。
そういう者になると、あの日、デルソフィアは宣言した。その途上にある今、ウォルバレスタの惨状を少しずつ目の当たりにしている。心内の痛嘆は手に取るように分かった。
そんなデルソフィアを見ていると、先日、彼に家族の話をしたことをルネルは思い出した。この街に家族がいることを、デルソフィアは知っている。彼に限らず、今回共に上陸した仲間たちは皆、その事実を知っている。
そして、ミーシャルールの顔が脳裏に浮かぶと、かつて交わした約束が心奥から浮上してきた。いずれまたウォルバレスタ王国を訪れた際には、必ず両親に会いに行き、自分の言葉で説明すること--この約束を果たす時が来たのだということを自覚する。
コルンジュ病が、家族にどんな影響を与えているのか。気にしないように努めてきたが、気にならないと言えば嘘になる。
家族との再会の時は近い。そう思うと、ルネルの歩みは自然と速くなった。すぐそのことに気付き、ルネルはふと足を止めた。
同時に前方に高台が見えた。見覚えのある高台に記憶が刺激され、瞬く間に懐かしさが溢れた。
デルソフィアも立ち止まり口を開きかけたが、その機先を制し、ルネルは前方の高台を指差した。
「あそこでミーシャルールさんとタクーヌさんに初めて出会ったんだ」
そう告げると、デルソフィアは少し目を見張り、それから踵を返して前方を向いた。「あれが…」とだけ口にし、高台を凝視しているように動かなかった。
ルネルはその真横に並ぶように立った。改めて高台へ視線を送ると、そこに人影が一つあることに気付いた。