『四』
『4』
長い歴史を遡ってみると、ウォルバレスタ王国に流行病が蔓延し、大きな影響を与えたことは今回が初めてではなかった。二百五十年以上前の出来事で、伝説といった位置付けになって久しかったが、過去にも一度、流行病の蔓延及びその影響を経験していた。
今回のコルンジュ病の感染拡大によって、悲劇の歴史が再び繰り返された格好だ。では、過去の歴史を紐解けば、コルンジュ病を終息させる糸口になるかもしれない。誰もがそう考え、多くの識者らが実践し、歴史書の類を読み漁った。
その結果、解は容易く見つかった。前回の流行病であるタタイラ病を終息させたのは、たった一つの薬の出現だった。
大万薬と名付けられたその薬は、タタイラ病に対して著しい効果を発揮した。大量生産が適う薬ではなかったようだが、現在より遥かに人口が少なかった上、タタイラ病の流行によりさらに人口が大きく減少していたため、生き残っていた者たちへ薬は行き届いた。その後まもなくしてタタイラ病はウォルバレスタ王国から根絶され、一連の流行病は約二年で終息した。
タタイラ病とコルンジュ病は症状等が非常に酷似していた。そのため、現在の識者や医師らは二つを同系列の疾患に分類。この大万薬を再び調製すれば良いとの結論を導き出した。容易く解に行き着くという僥倖に、識者も医師も民も、そして王宮も安堵した。
だが、安堵感に包まれた時は束の間だった。大万薬の調製方法が分からなかったのだ。
当時を知る者が生存していないのはもちろんのこと、大万薬の調製書の類も現存しているものは皆無だった。ならば歴史書等の書物に何かしらの記載がないかと、識者や医師、さらには一般民も加え、それこそ国中に現存する歴史書等に目が通された。
しかしながら、大万薬の調製方法に関する記載を見つけることはできなかった。唯一、王宮に仕える者が地下の書物庫から見つけてきた一冊の書に、『タタイラ病終息の後、大万薬の調製書を中央薬師に奉納する』との記載があった。だが、中央薬師なるものもまた歴史の流れに沈んだのか、現存はしておらず、その場所なども含めて詳細を知る者はなかった。関係する記述はこれまでに幾つか見つかっていたが、場所等を示す手掛かりにはなり得ず、現在に至っていた。
浸りかけた安堵感があっさりと崩され、再び絶望に沈んだ人々は強く打ちのめされた。希望を捨てない心を保てる者もいたが、何かの行動に移せる者は日に日に減っていき、神に祈り、縋ることを最後の希望とするしかない者が大半を占めていった。
天空を見上げる者、地にひれ伏す者など、祈り方は様々だった。中には王宮に向かい首を垂れる者もいた。機能を著しく低下させているのが実態の王宮であっても、王国街に暮らす多くの民にとって、王宮は象徴であり、非常時の中、祈り、縋り付く神の具現であるとも言えた。
そんな王宮の中にある王女アジュの居室は現在、神の具現の一翼とは程遠い状態だった。幾つかある部屋のうち、寝室として使用している部屋は、中央に設置された長床以外は足の踏み場もないという有様だった。
床面に広がっているのは書、書、書で、開きっ放しのもの、今にも崩れそうに積み重ねられたもの、破れて本体とは引き離されてしまった紙片などが、まさに書の海と化していた。側仕女オルセーラすら入室することを禁じた寝室で、アジュは書の海の中に座り込み、手にした書を一心不乱に読んだ。
一つを読み終えると、傍らにある紙片に何かを記し、それを長床の上へ放ると、次の書を手に取った。それをひたすら繰り返している様は、狂気すら漂わせていた。
だが、当のアジュは、狂っているわけではなかった。それが証拠に、室内にある書は全て、歴史書か薬に関する書のどちらかだった。
アジュはまだ諦めていなかった。大万薬が、この惨劇に終止符を打つ切り札になると信じ、その調製に繋がる糸口を探し続けていた。大万薬や中央薬師などにほんの僅かでも関連していそうな記載は、忘れぬように書き留めた。その紙片はもう幾枚にも及び、長床の主人となっていた。
明日壊れても構わない--そんな態で、身を削るが如く懸命な姿は、現王君の娘、王国の王女の姿としては余りそぐわないものだった。医師であり、二十五歳の実姉ジュスとは違い、アジュはまだ十七歳の少女なのだ。
だが、耽溺するアジュにそうさせているのは、実姉、実兄の存在であり、二人が闘う姿勢を目の当たりにしているからに他ならなかった。
また、病床にある実父を救いたいとの想いも、実母を既に亡くしているアジュには極めて強かった。
母の死--それと表裏一体となってアジュの心奥に消えぬ瑕疵としてあり続けるのが自身の誕生だった。アジュを産み落とすと同時に生命の灯を消した母。その事実を知った時に芽生えた、生命を賭してまで産んでくれたという感謝は次第に、産まなければ死ななかったという悔恨に凌駕されていった。
母の生命と引き換えに産まれてきたという言葉は常にアジュの脳裏から離れず、母の身代わりの生を生きているのだと言い聞かせてきた。身代わりの生ならば、自身よりも他者のために生きなければならない。それが、コルンジュ病との対消滅も辞さないアジュの行動の源泉として蟠踞していた。