『二十九』
『29』
約一月後。
ある者は、朝、目を覚ますと、そのことすら悲観した。この絶望が振り払われるまで、いっそのこと眠ったままでいたかった、と。
ある者は、夜、眠りにつく時、ただただ切望した。次なる目覚めが、これが全て悪夢であったことを証してくれるように、と。
ある者は救いを求めることに意味を見出せなくなり、ある者は希望という感情を愚の骨頂と断じた。
他者への攻撃性を厭わぬ者が増え、共存、共栄、或いは共闘といった類は著しく減退していった。
幼き命が幼きままで終わってしまう悲劇も繰り返され、涙を枯らす者、無力を嘆く者、諦めの下で傍観する者たちが街中に溢れた。
範は最早無く、解を示せる者もいなかった。結果、王国街は荒廃した。
悲鳴が悲鳴に重なり、それらを裂帛の叫びが覆うことが王国街の日常となった。
諍いは茶飯事のように頻発し、涙だけでなく、血を流す者も続出した。
それが怪我等によるものか絶望によるものか判断のつかぬ態で、地に横たわる者の数が日に日に増していった。
善行に依る祈念や祈願といったものは嘲笑の対象となり、どうせ終わるのだからと悪行に手を染める者が現れた。
裕福な家が標的にされる強盗なども相次いだ。その主犯が、元裕福な家の者などという事例もあった。
荒廃していく王国街に、民たちが、そして街そのものが震撼していた。
それは偶然だった。
王国街の現状を少しでも知ろうと、ルネルは街中を歩き回っていた。その最中、各所で諍いを目にし、往時との乖離に悲しみを禁じ得なかったが、多くが小競り合い程度のもので、後ろ髪を引かれながらもきりがないとの判断で、止めに入るようなことはしないと決めた。
そうした中で、それは何かが違っていた。殺気にも近いものを感じ取り、ついつい足早になっていたルネルは思わずその足を止めた。
辺りを見回した。その発信者は、すぐに分かった。
殺気や闘気といった類を抑えたり、隠したりすることができていない、有り体に言えば、戦いに不慣れなごく一般的な民だった。一般的な民が抱くには非日常的な感情だったが、非日常的な惨劇の只中ともいうべき今を鑑みれば、あり得なくは無いとも思えた。
それでも、ルネルには気になった。故に、その者の死角に移動して様子を窺った。顔の下半分を強布で覆っている上に、頭巾も被っているため、顔を判別することは難しかった。
だが、体型からいって男であると分かった。特段鍛え上げられたようには見えず、いわゆる中肉中背。年齢も判断できなかったが、高齢者ではないようだった。
その頭巾の男は、通りに沿って植えられた樹木の一つに寄り掛かるようにして前方に視線を向けていた。何かを待っているように見えた。
微動だにしない姿に、何らかの思いの強さを感じたルネルは、余計に頭巾の男が気になった。ルネルも微動だにせず、死角から頭巾の男を窺い続けた。
そうした構図がしばらく続いた。その間、通りを行き交う人は何人かいたが、通常時であれば目立ってしまう、通りの流れに抗う態のルネルや頭巾の男の姿も、非常時ゆえに特段気に留める者はいなかった。
どれくらいの時が経過しただろうか。頭巾の男に緊張が走ったのをルネルは見逃さなかった。
頭巾の男が見つめる先へルネルも視線を移した。次の瞬間、ルネルは戦慄を覚えて固まった。ルネルの視界に映った者に見覚えがあった。いや、強布で顔の下半分を覆っていても分かる、よく知っている顔だと言えた。
アラウ・アーバイン。それは、父だった。
いったい何が…。
当惑が先行したが、逆にそれが奏功した。固まっていた身体が解かれていった。
父と頭巾の男を交互に見遣った。直感的に、頭巾の男の攻撃性を感じ取った。
それとほぼ同時に頭巾の男が動き出すのを視界が捉えた。いつの間にか右手に何かを持っている。それが短刀であると気付くよりも早く、ルネルは駆け出していた。
間に合うか?即座に浸食してくる不安を打ち消し、ルネルは懸命に駆けた。頭巾の男の後ろ姿が大きくなり、驚愕の色が滲む父の眼差しと自身のそれが交差した。
三つの身体がぶつかるように重なり、その僅かな後、一つだけがその場に崩れ落ちた。




