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『十八』

『18』

 デルソフィア、ルネル、アジュの三人は当初の予定と変わり、三つ目の訪問地として西薬師堂跡を訪れた。本来、三つ目と四つ目については、遠征ということで複数日を使って連続して薬師堂跡を探索する形を想定していたが、アジュの父の状況を踏まえ、日を跨いでアジュが王宮を離れることは避けるべきと判断し、一つずつ訪問するということで計画を練り直した。

 薬師堂と異なり、薬師堂跡はほとんど何もない地だった。本堂がなく、それに付随する建物もない。これまでに訪れた二つの薬師堂を思えば、がらんとした光景を前に、そこに至った理由を知りたくなった。

 問いかけたデルソフィアに、アジュは淡々と「火事よ」と告げた。

 デルソフィアは辺りを見回し、「このような辺境の地で火事…」と溢した。

 「自然発火か何かじゃない」とルネルが応じた。

 デルソフィアはアジュへと向き、「そうなのか?」という問いを視線に込めた。

 「私には分からないわ。見ていたわけじゃないもの」

 アジュの声色には苛立ちが滲んでいた。無理もない、とデルソフィアは理解を示した。

 現存する二つの薬師堂で成果を得られなった際、「残るは薬師堂跡」と言ったルネルに対して、「薬師堂跡は…」と、アジュが言葉に詰まった理由が眼前にあった。それでも、新たな目が加われば或いは、と考え、藁にもすがる思いで西薬師堂跡にまで足を運んだのだろう。だが、結果的に西薬師堂跡でも何ら成果を得られなった。

 アジュの落胆が大きいことは、デルソフィアにも容易に分かった。

 コルンジュ病に苦しむ民や街、そして国。コルンジュ病に倒れ、病床にある父。皆を救いたい。アジュは間違いなくそう思っている。

 だが、その想いが強ければ強い程、立つ場が頂に近ければ近い程、求められている役割や望んでいる自身と今の自身との乖離に愕然とし、無力を激しく嘆いてしまうのだろう。無力感は焦燥感と協調し、心を荒ませる。余裕を奪われて目一杯となった荒んだ心は、優しさや慈しみ、配慮や気遣いなどを擦り減らし、消失させる。荒んだ心の内側は、悪意はなくとも態度へと反映され、善だった者も悪辣な者に見せる。

 だが、そんなアジュにデルソフィアは惹きつけられた。いや、そんなアジュだからこそ惹きつけられたと言い換えられるかもしれない。

 物事が捗らない時の苛立ちは、多くの者が経験する。苛立ち、惑い、悩み、立ち止まり、そしてまた歩き出す。そんなことを何度も繰り返していくこと、それが人生であり、その時々に個々人が抱く想いや気持ち、行動がまさに人間味と言える。

 特に別な地位にある者も人間であることに変わりはない。苛立ちも、上手くいかない時に態度が悪辣になることも、アジュの人間味だ。それに触れたいと、デルソフィアはいま思っている。

 そして恐らく、アジュはずっとそのまま不貞腐れてしまうような小者ではないとも思う。立ち止まることはあるかもしれないが、きっとまた歩き出す。

 見ていたい。

 傍でも、傍でなくてもいい。手を引くこともなく、背を押すこともなく、言葉を分け合うこともなくていい。

 アジュを、見ていたい。この瞳の中にアジュを映していたい。

 初めて抱くこの気持ち。時折、つんとした痛みを伴う刹那はあるが、総じて優しくて穏やかで温かい。もう何となく解っている。

 これが、愛おしさ。アジュを愛おしく思う気持ちなのだ、と。

 ルネルから、アジュの出生に起因する母への想い、そして、アジュ自らの生が纏う宿命の話を聞いた。

 神皇帝皇子として生まれ、神皇帝という全世界を統べる頂のすぐ近くで生きてきた。それを殊更強調することはなかったが、忌避することもなく暮らしていた。特別な存在という自意識が皆無だったかと問われれば、即座に首肯できない自分がいる。

 だが今、神皇帝一族という枠から逸脱し、只の人となった。そんな自分だが、世界は受け入れてくれている--そう感じることができた。

 同時に、只の人となった自分を、自分自身は好もしく思っている。神皇帝皇子だった時には、一度たりとも抱いたことのない気持ちだ。

 神皇帝皇子が、神皇帝が、或いはその一族が特別なのではない。誰もが特別な生を生きている。

 そして、アジュの特別な生をデルソフィアは苛烈だと思う。ただ、アジュよりも苛烈な生を、残酷な宿命を背負っている者もいるだろう。

 苛烈さを、残酷さを比べ合うことには何の意味もない。苛烈さを、残酷さを強調することは、畢竟、自慢ともなり得る。それらを包括して除去すれば、アジュを放っておけない--ただその一点に尽きた。

 デルソフィアは、自身が描いたアジュ像と鬼気迫る姿を晒したアジュ本人との乖離によって生じた違和感を拭えずにいた。だがそれは、自身の描いたアジュがアジュで、鬼気迫る姿を晒したアジュはアジュではないと、決めつけていたようなものだ。そんな馬鹿な話はない。

 民を、父を、街や国を、救いたいと必死になっているアジュ。

 焦燥を募らせて悪辣な態度をとってしまうアジュ。

 自らの手で自らの美しい髪を切り落としてしまうアジュ。

 王国王女であるアジュ。王女という枷から解放されるアジュ。

 すべてのアジュを見ていたい。

 苛烈な宿命と対峙していくアジュ。

 苛烈な宿命を乗り越えていくであろうアジュ。

 遥か彼方の未来を生きているアジュ。

 そんなアジュを支えたい。

 自身が描くアジュ像との同一性や乖離など、最早どうでもいい。アジュはアジュでしかない。

 デルソフィアの心内にはアジュへと向かう想いが蟠踞していた。


 崩壊に向かう世界を救い、民を先導していく--その大義の途上にデルソフィアはある。大義のために歩み続ける姿勢は何ら揺らがないと、今この瞬間も確信している。だが同時に、デルソフィアの心にはアジュへの想いが確かに芽生えている。

 大義はすべてに優先する、と意識するまでもなく、これまでのデルソフィアは自然とそう行動してきた。幾つかの願望や想いが浮上したこともあったが、大義に向かう生の中では、いつの間にか消失した。

 アジュに対する想いの芽生えが、これまでの幾つかの想いや願いと同等であるかどうかは、まだ分からない。

 例えば、大義のみに邁進する者と、様々なものを背負い、その重みに四苦八苦しながらも大義へと向かう者。両者の進捗に如何程の差異が生じるかは定かではない。

 或いは、いわゆる恋心なるものは大義を為すためには邪魔物以外の何物でもなく、不要と断じてしまってもいいのだろうか。大義を為す力の源とはなり得ないのだろうか。

 失うものが無い者の強さは厳然と存在するが、失いたくないものがある者の強さも、守る者がある者の強さも否定されるものではない筈だ。強さが、大義を為すためのすべてではない。時には弱さが必要な場合もあるかもしれない。いずれにせよ、大義を為す者は、強さとは何か、その解も導き出せる者であろう。

 アジュ・レステンシア。この者との出会いは運命であり、大義を為す途上にあるデルソフィアの行き道を確かに変えた。

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