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『十一』

『11』

 アジュが読み漁った文献などから得られた情報、特にアジュが紙片に書き記したものを資料とし、アジュ、ルネル、デルソフィアの三人は大万薬の調製書が奉納されたとされる中央薬師堂を探しだすことを第一の目標として定めた。

 アジュの居室において三人での話し合いが始まってから、さほどの時を要せず進むべき方向は集約されていった。ジュスやミーシャルールを中心に取り組む、大万薬に代替する薬の創製をコルンジュ病終息に向けた一つの柱とするならば、もう一方の柱は大万薬の復活しかない、と。

 その結論に達した際にルネルは、いたずらに競い合う必要はないが、二つの取り組みを同時に走らせることで、互いに切磋琢磨し進捗率を向上させるといった狙いが、ミーシャルールの心内にはあるのかもしれないと感じた。

 飄々とした態で語られることが多いミーシャルールの言葉だが、そこにはいつも何かしらの意図がある。その心の深淵は窺い知れないが、信じて進めば、きっと間違いはないと思わせてくれる。深い絶望の闇に包まれてしまったかのような祖国に光明を齎す術となり得る筈だ。方向性が定まり、祖国でのコルンジュ病との闘いにおいて、自身が何に取り組むべきかについては、ルネルに何の迷いもなかった。

 ただ、ルネルにはこの祖国でもう一つ為すべきことがあった。そのことは、ルネル自身もよく分かっていた。会いに行かなければならない、家族に。

 コルンジュ病との闘いを言い訳に、それを蔑ろにすることはできない。そんな中途半端な姿勢でコルンジュ病と闘っても、きっと良い結果は得られない。

 堂々と家族に会いに行こう--。そう決めたルネルは、自身で書き記した紙片に目を落とすアジュへ視線を向けた。

 アジュ・レステンシア。ウォルバレスタ王国の第二王女。当然その存在は知っていたが、まさか共に行動することになるとは思ってもみなかった。

 故に、どのような人物なのかはよく知らない。或いは、王宮からの仕事を請け負っている父と何らかの面識があるかもしれないが、ルネル自身にとっては、王国の王女なぞ雲上の存在に他ならなかった。

 一見でその人物の全てを知ることは難しいが、アジュに対するルネルの第一印象は悪くなかった。自身より年少の女という存在が、身近にいたことが余りなく、それだけでまずアジュの存在は新鮮だった。

 加えて、王女然として偉ぶるようなところもなく、どちらかと言うと物静かで、一つひとつ丁寧に受け答えする姿勢は好もしかった。ただ、時折俯く眼差しは、どことなく陰が差すような雰囲気を纏っており、そこは気になった。

 そしてもう一つ。デルソフィアとの会話を意図的に避けているような気もした。だが、それは同世代の男に対する一種の恥じらいのようなものだと判断することにした。

 アジュの手助けをし、これから行動を共にするという点において何ら瑕疵はなく、むしろ奮い立っている自身をルネルは自覚した。


 三人での話し合いは夕刻近くまで及んだことから、実際に活動するのは明日以降となった。拠点基地へと戻る道すがら、ルネルはデルソフィアに「寄りたいところがあるから、先に戻ってて」と切り出した。

 デルソフィアは少しだけ眼を瞠ったが、何も訊いてはこず、一つ頷くと、その場にルネルを残し、先へと歩みを進めた。遠ざかるデルソフィアの背に一礼した後、ルネルは踵を返した。生まれ育った実家へと足を向けた。

 もう何年も遠ざかっている実家だったが、道に迷うことはなかった。これまでに、一体何度往来したことか。そう考えれば、眼を閉じていても辿り着けるくらい、その道程は身に染み付いていた。足取りも決して重くはなかった。堂々と帰宅する--そう決意したように、ルネルに臆するところは皆無だった。

 見覚えのある、記憶の中に特に蟠踞している建物が視界に入った。実家近所に建つ教会だ。記憶の中にある教会と、視界の中にある教会が重なった。当時と何も変わっていないようだ。

 ただ、実家周辺においても、当時と決定的に違っていることがあった。それは往来する人が極端に少ないことだ。実家に近づけば既知に遭遇する可能性も想定していたが、見知らぬ者と数人すれ違った程度で、ルネルは実家の前に到達した。

 数年の時を経て再び眼にした実家は、当時と変わらなく見えた。だが、実家もまた、王国街や近所と同様にコルンジュ病の影響を受け、その只中に沈んでいるのだろうか。それは外観だけからは判断できなかったが、久方ぶりの実家を前に、ルネルの身内に込み上げてくるものが確かにあった。

 一つ大きく息を吐き、込み上げてくるものを少し鎮めてから、ルネルは実家の門をくぐった。石畳の前庭を躊躇いなく進み、家内へと繋がる扉を叩いた。

 しばらく待ったが、反応は無かった。二度、三度と扉を叩いたが、同様だった。留守なのだろうか。

 父や兄はともかく、かつてなら母は在宅している時間帯だったが、そうしたこともこの数年で変化しているのかもしれない。さらに言えば、今はコルンジュ病が猛威を振るっている渦中であり、当時の当たり前は通用しなくなっていても何らおかしくない。

 ルネルは辺りを見回し、実家が醸す生活感のようなものを探した。だが、整然とした前庭や石造りの実家からは、それらを感じられなかった。

 「昔からそうだったっけ」ルネルは苦笑混じりに思わずひとりごちた。

 出直すしかないと考え、改めて実家を視界に収めた。納得して踵を返そうとした時だった。

 「ルネル…か?」背後から声がした。

 随分と長い間、聞くことがなかった声。付随する思い出は苦いものばかりだが、よく覚えている声。

 振り返らずとも、記憶の中の面影が敢然と蘇った。父、アラウ・アーバイン。

 鼓動が跳ねた。堂々とした態で会いに来たが、やはり長年の無沙汰が、この家を去る際の経緯が、ルネルの心を揺らした。

 門をくぐる時と同様に一つ大きく息を吐いてから、ルネルはゆっくりと振り返った。強布で顔の下半分を覆っていたが、紛れもなく父だった。

 数年ぶりに再会を果たした父と娘だったが、感慨に打ち震えるような姿は互いに無く、ルネルと同じくアラウの表情も無に近かった。立ち尽くしたまま一向に縮まらない二人の間の距離が、彼我を分つ溝そのもののようだった。

 それでも、先に動いたのは娘だった。見つめ合うために、ここへ来たんじゃない--。ルネルは心内にそう言い聞かせ、一歩踏み出した。

 一方のアラウは、動かなかった。近づいてくる娘を待ち受けるようだ。

 ルネル側から二人の間が縮まり、互いに手を伸ばせば触れ合える距離で、父と娘は相対した。

 「ご無沙汰しています」

弾むわけでもなく、沈むわけでもなく、平板な口調でルネルは切り出した。自然と敬語となった。

 「戻った」「帰った」といった類いの言葉を使わなかったのは、引け目があるからではなく、父と対等に向き合うという気持ちの表れだった。

 父の眼光に、鋭さが増したように見えた。そのまま怒りが発出されるように感じたが、父は無言のまま頷いた。それを先を促す合図と捉えたルネルは続けた。

 「ウォルバレスタの国も王国街も大変なことになってしまって…。今回、我々ランスオブ大聖堂も、コルンジュ病と闘う人たちに助力することとなりました。微力ながら私も力を尽くせればと思っています。つきましては、何の挨拶もなく家を飛び出した理由を、きちんと話したいと…」

 「その必要はない」

 ルネルが話し終わる前に、アラウが言葉を被せた。「…家族でない者がこの家、いや、この地を去った理由などに微塵の興味もない。そんな話を聞くほど暇ではない。それこそ時間の無駄である」

 「家族でない…」ルネルは思わず溢していた。

 「そうであろう。仮に家族であるとするならば、このような状況下、しかも長い間会っていなかった中においては、まず家族の心配をするのが常識だ。だが、お前は真っ先に自分たちの助力の件を切り出した。それが、最早我々が家族ではないことの証左だ」

 アラウの口調は淡々としていたが、それ故にルネルの心を確実に抉った。父の言葉は甚だ尤もであり、ルネルは自身の未熟さを痛感した。たが、次のアラウの言葉は、ルネルの怒りの琴線に触れた。

 「そんな者のいるランスオブ大聖堂とやらの力も高が知れているわっ」

 アラウは今度は吐き捨てるように言い、さらに言葉を重ねた。

 「そういえば、かつて大聖堂だか何か知らんが、十官を名乗る者から手紙が届いたな。一読して、時間の無駄遣いをした己を恥じたわ。

 世界を見聞?良い御身分だな。お前らが優雅に世界を揺蕩っている間、こちらは地に根を張り、時に這いつくばってでも今日を明日へ繋げている。それでも思い通りならぬことがある。

歯を食いしばり、身を削るような思いで決断を下すこともある。藁にもすがる思いで他者に頭を下げる日もある。そうやって皆が生きている。

 見聞などという言葉に置き換えた遊び半分で、この惨状の中、一体何の役に立つというのか。まったくもって話にならん」

 怒髪天--まさにその言葉のごとく、天を衝かんばかりの怒りがルネルの中を突き抜け、言葉が溢れた。

 「優雅?遊び半分?ふざけないで。人には人それぞれに役割がある。それを、その役割を必死に努めている者を、その役割の外から批判する資格は、誰にもないわ。

 大陸を持たないポリターノの島々は、皇国や王国に比べ、多くの面で劣っている。だけどそれを補完するために、各国を見聞し、良きところを少しでも吸収しようと努めているのよ。

 地に根を張る?聞こえは良いけど、裏を返せば、国や大陸に寄り掛かかっているだけじゃないの?

 自分には自分、他者には他者の生き方や考え方があって、十人いれば十の生き方や考えがあって然るべきだと思う。何故それが分からないの?己の枠から逸脱した者は、皆すべからく悪なの?

 そんな狭い了見だから…」

 ルネルはそこで一瞬躊躇した。だが、アラウが被せるように言葉を継いだ。

 「狭い了見だから、何だっ?」

 強布で顔の下半分が覆われながらも感情を露わにしたことが容易にわかった父の顔に、かつての不干渉で表情すら無かった父の面影が重なっていき、その画はぐちゃぐちゃに歪んだ。

父ならぬ画を前に、ルネルの口はそれを告げて いた。

 「…家族を失うのよ」

 決定的な一言だった。

 上半分だけが窺える父の顔から怒りの表情が消失し、無表情だけが残った。長き時が拵えた溝は健在で、その深さを著しく増したようだ。最早埋めることは適わないと思えた。

 ルネルの顔が歪んだ。それは苦笑だった。

 挨拶もなく、一瞥もくれず、ルネルはアラウ の横を通り過ぎ、実家だった家を後にした。


 どこをどう通ったかは定かでなかったが、ルネルは、ミーシャルールとタクーヌに初めて会ったあの高台まで来ていた。闇雲に歩く中で、沸点に達していた怒りは冷めつつあった。

 父へ感情の赴くままの言葉を放ったことに対する後悔は皆無だったが、これではミーシャルールとの約束を果たしたことにならないなどと考え、一つ息を吐いて空を仰いだ。

 次の瞬間、「…ルネル?」と背後から声をかけられた。

 同じような状況が少し前にもあったが、今のは若い女の声だった。それも、今日聞いたばかりの声に酷似している。

 いや、間違いなかった。アジュ・レステンシア。明日から行動を共にする王女だ。

 ルネルが振り返ると、自身より背の低い者が 立っていた。頭巾と強布で顔の大部分を隠していたが、こちらを見据える眼差しは、先刻見たアジュのそれで間違いなさそうだ。しかし、まだ二度しか会っていないのに、後ろ姿だけで自分だと判断されたことに、ルネルは少々驚いた。

 強張った顔に無理矢理微笑を称え、ルネルはアジュの傍まで近付いた。

 「アジュ様、どうしたのですか?」ルネルは辺りを見回しながら訊いた。

 従者や側仕などの存在を探したのだが、「私ひとりよ」と機先を制され、少々たじろいだ。どうやら、ただ頂にあるだけの王女ではないようだと、ルネルは判断した。

 「そういえば、初めてお会いしたのも、この場所でしたね。何かあるのですか?」

 口にしてから、ルネルはすぐに後悔した。土地に紐付いた思い出などが良いものだけとは限らない。機先を制されて芽生えた微かな焦燥が、その場を取り繕うような軽々な発言に結び付いてしまった。

 ルネルの問いにアジュは答えなかった。だが、眼差しには何故か少し穏やかさが宿ったように見えた。

 アジュは無言のまま歩み出し、高台の先端立つと、一度だけ振り返った。それをルネルは、傍に来るように促していると受け止めた。 ルネルも歩み出し、アジュの少し後方まで進んだ。

 「横に来て」アジュは前方を見据えたまま言った。

 「私たちは主従ではないわ。それに、横に並んで聞いてほしいの」

 アジュの言葉に従い、ルネルは横に並び立った。

 続いてアジュの口から語られた話に、ルネルは字義通りに絶句し、言葉を継げなかった。ルネルがこれまでに経験してきた感情では何一つ表すことができず、溜め込むしかなかった重い心が酷く痛んだ。

 覗き見るようにアジュの横顔を窺った。横顔もまた頭巾と強布で、その多くが隠されている。

 だが、ルネルにはその全貌が見えた気がした。生命すら賭す覚悟を持つ者のそれを。

 同時に、考えていた。何故アジュは、この話を出会ったばかりの自分にしてくれたのだろう、と。


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