第7話 謎の連鎖
とうぜんながら響花の死は、〝穴倉の陽キャたち〟の面々に大きなショックを与えた。友基は彼女が自死を選ぶ前に最期に会った人物ということで警察から長時間に渡って事情聴取されたが、彼の証言によって自殺の動機が鮮明になったため、嬉しくはないが担当の警察官からはかなり感謝された。土曜日の夕方、聴取を終えたあと部室に立ち寄って、部長の浜地戎と副部長の満子に今回の事件のあらましをざっと説明した。ふたりとも、響花が自殺したことは知っていたが、彼女の身に何が起こったのかはまったくわかっていない状態だったので、悲しみにくれるというよりもひたすら困惑しきっている様子に見えた。
「何て残念な知らせだ。将来有望な1回生をこんな形で失ってしまうなんて。俺は正直それほど彼女と腹を割って話したことはないが、こうなる前に部長としてもっと気にかけてあげられたらよかった。今となっては、何をしても手遅れだが…。とりあえず、お葬式に参列してご両親に我々にできるかぎりの弔意を伝えられたらと思っている」
浜地部長がそう言ってうなだれた。そこにはいつもの尊大不敵な男の面影はなかった。
「私も、信じられない気持ちよ。こんなことになるなら、サークルに来なくなったのに気づいた時点ですぐに彼女のマンションに行って話をするべきだった。私の説得で響花が死を思いとどまってくれたかはわからないけど…」
満子はこぼれ落ちる涙を拭おうともせずに言った。自分の感情を整理するだけでも大変そうだったが、優しい彼女はすぐに気遣わしげな視線を友基に向けた。
「友基は大丈夫なの? きっと私たち以上にショック受けてるよね。でも、響花は最期にあなたとゲームセンターで遊べたことをきっとあの世で喜んでくれていると思う。だから絶対にあの子の死を止められなかったことで自分を責めないでもらいたいの」
「自分を責めるというより、昨日からずっと頭が真っ白で何も考えられないんです。すいません」
友基は言った。
「これから部員全員集めて響花のこと説明しようと思ってるんだけど、お前はもう帰っていいぞ。今日はしんどいところわざわざ来てくれてありがとう」
浜地部長がそっと友基の肩を叩いて言った。ふたりの優しさが余計つらくはあったが、とにかく今は一刻も早く自宅に帰ってひとりきりになりたかった。その晩、明里は電話口の友基の声がさらに暗くなっていることに気づいて心配したが、試験勉強に集中している彼女にこれ以上気を患わせたくなかったので、サークルの後輩が亡くなったことについては秘密にしておいた。
日曜日は、葬式に出席するためにサークルの部員全員で朝から響花の実家のある岡山市に移動した。響花の両親はとても腰の低い上品な方々で、娘を突然亡くして悲しみのどん底にいるはずなのに、友基たちのような初対面の人間にもひとりひとり丁寧に感謝の言葉を述べられていた。葬儀は滞りなく行われたが、響花の妹さんらしきセーラー服を着た女の子が「お姉ちゃん、お姉ちゃんウソでしょ? ねぇ、お願いだから戻ってきて」とずっと周りの目もはばからず泣き叫んでいていて、見ている者全員にとって心の痛むお葬式となった。
弔問を終えたあと、〝穴倉の陽キャたち〟一同は岡山一番街の定食屋で昼食をとった。とうぜんながら全員まだ意気消沈していて、普段騒がしい恵理佳や弘美でさえほとんど口数がなく、浜地部長と満子が時折軽く言葉を交わす以外はほとんど誰も話をしようとはしない暗い食事会となった。店内においてあるテレビの音声だけが賑やかに鳴り響いている。
友基は無意識に響花が生前好きだと言っていたカレーうどんを注文していたが、まったく口に運ぶ気にもなれずぼんやりとスマホの画面を眺めた。葬式のあいだ電源を切っていたので気づかなかったが、小寺先生から「もうすぐ本番だ。頑張るぞ~!」というLINEが送られてきていた。ここ数日大変な出来事が多くてすっかり忘れていたが、そういえば今日は小寺先生が初のトライアスロンレースに出場する日だった。すでに時刻が13時半に差し掛かっていることを考えると、順調にいけばそろそろレースが終わっていてもいい時間帯だろう。
そのとき、突然示し合わせたかのようにテレビのニュース画面が目に飛び込んできた。
「速報です。現在、千葉県木更津市で開催されているトライアスロン大会で水泳中に行方不明になっていた兵庫県姫路市在住の公立高校教員、小寺尚史さん(40)ですが、先ほど救助隊により発見され死亡が確認されました。警察は溺死の可能性が高いと見て捜査を進めています」
「えっ、友基。この人ってまさか…」
隣に座って同じようにぼんやりとテレビを眺めていた比佐司が、血の気の引いた顔で友基を見た。
「間違いない、小寺先生だ」友基はどうにかうなずくのが精一杯だった。
「道で助けたおじいさんに、響花に、小寺先生。今週だけで自分の身の回りで3人も人が亡くなってる。一体どうなってるんだ」
「ひどい偶然だな。1回お祓いしに行った方がいいんじゃないか。まぁ、さすがにこれ以上悪い出来事なんて、起こりはしないとは思うけど」
浜地部長が苦笑しながら言った。サークルの面々はもちろん小寺先生とは面識はなかったが、友基の知り合いがレース中に不慮の事故で命を落としたということで、響花に対してやったのと同じように哀悼の意を表してくれた。
岡山から神戸に戻ってきたときには、友基はかなり自分のメンタルが弱っているのを感じていた。比佐司が気を遣って「気晴らしにボーリングでも行かないか?」と誘ってくれたが、とても遊んでいるような元気はなかったし、とにかく一刻も早くひとりきりになりたかったので彼に礼だけ言って断った。家に帰ってきて着替えもせずに床に寝転がって生気のない目で天井を見つめていると、小寺先生の奥さんから電話がかかってきた。何度か先生の家に招いてもらって夕食をご馳走になったことがあったので、奥さんとももちろん面識はあった。
「急に電話してごめんなさい。実は、夫のことなんですけど…」先生の奥さんは、聴き取るのが困難なほど消え入りそうな声で言った。
「先生の事故のことは、ニュースで見て知りました。つい先週お会いしたばかりなのに、こんなことになって本当に信じられない気持ちです。心からお悔やみ申し上げます」友基はゆっくりと起き上がると、今にも溢れそうな涙をこらえながら言った。
「私もまだこれが現実だと信じられないわ。初めてのトライアスロンってことで、私も子どもたち連れて千葉に応援に来ていたんだけど、溺れた参加者がいるらしいって話は私たちの待機場所まで伝わってたんだけど、まさかそれが自分の夫だなんて想像もしてなかった。でも、大半の参加者が通過しても一向に姿を現さないからどう考えても行方不明者は尚文じゃないかって思って、すぐに運営本部に向かって…。捜索作業が進められているあいだは、〝どうかこの嫌な予感が間違いであってほしい〟ってずっと祈ってたわ。遺体を目の前に見せられて確認した今でも、まだ何かの間違いじゃないかって願ってるくらいよ。子どもたちの方が父親が亡くなったてこと実感してるみたい。さっきからふたりとも大泣きしてるから」
「何て声をおかけしていいのかわかりません。小寺先生がいなければ、僕は高校時代完全に生きる道を踏み外しているところでした。まだ何ひとつ恩を返せてないのに逝ってしまうなんて…」
友基は言った。
「そんなことはないわ。主人は〝友基のことを俺は心の底から誇りに思っている〟って折に触れては言っていたから。毎月のようにあなたと吞みに行くのも、すごく楽しみにしていたのよ。だから私、友基くんには本当に感謝の気持ちしかないわ」
奥さんの前で泣くのは避けたかったが、そこまで言われるとどうしても号泣せずにはいられなくなった。最後はふたりで大泣きしながら、友基は先生のお葬式に必ず参列することを約束して電話を切った。
「これで今月3件めのお葬式か…」
友基は再び仰向けに寝っ転がりながら、ひとりでつぶやいた。あまりにもつらすぎて、もはや着替える気力すら湧いてこなかったが、あと何時間かすれば明里から電話がかかってくるというだけで少しだけ気分が明るくなった。試験勉強に集中している彼女に響花や小寺先生が亡くなった話を今すぐにするつもりはなかったが、とにかく明里の声から癒しをもらわないと、友基自身がおかしくなりそうだった。一刻も早く、彼女に会える来週末がやってきてほしかった。
しかし、まさかそのころには〝彼女に会いたい〟という気持ちが跡形もなく消え失せてしまうなんて、この時点では想像もしていなかった。