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第6話 説得

ただでさえ静かな部室の中が、しんと静まり返った。

響花は微動だにせず、澄んだ目で友基をまっすぐに見つめていた。問い返すまでもなく、彼女の「死にたい」という訴えが真剣であることが伝わってきた。

「とりあえず、場所を移してゆっくり話そうか。このまま部室にいたら、いずれ誰かやってくるだろうし」

友基は言った。響花は黙ってうなずき、鞄を持って立ち上がった。学内のカフェでは知り合いに出くわす可能性があったので、ふたりは駅の近くのショッピングモール街にある照明の暗いカフェまで移動した。穴倉から穴倉への移動。コーヒーの値段が学内のカフェより200円高いということもあり、どちらかと言えば学生よりおば様方がよく利用している印象があったが、ひっそりと話を聞くにはそういう店の方が都合がよかった。まだランチタイムの前ということもあり、店内は程よく空いていた。

おばさんの店員がふたりの雰囲気にそぐわない満面の笑みでオーダーを取りにきたので、友基はコロンビア産ブラックコーヒー、響花はロイヤルミルクティーを頼んだ。注文を待っているあいだ、響花は目を閉じて後ろのソファに軽くもたれかかっていた。その店では本格的なコーヒーや紅茶を飲ませる分、待っている時間も長かったが、そのあいだ響花は精神統一するかのようにじっと目を閉じて待ち続けていたし、友基も空気を読んで一切彼女に話しかけなかった。彼にとっては手持ち無沙汰だったので、ずっとポケットに入れてある皮のキーホルダーを触っていた。

「私、高校時代からずっと同じ人を想い続けてきたの」

10分後、ようやく飲み物がやってくると、響花は自分のミルクティーに口をつけもせずにいきなり語り始めた。

「相手は、高校1年生のときの担任の先生。まだ20代前半の若くてかっこよくて優しい先生で、とうぜん女子生徒全員に人気があったけど、私は周りと違って真剣に先生に恋していた。私は男性が苦手だったから、入学して数ヶ月はむしろ先生に近づかないようにしてたんだけど、テストで満点を取ったときに頭を撫でられた、そのたった1回の出来事でやたら胸がときめいてしまって、気がついたら四六時中先生のことしか考えられなくなってしまったの。」

響花は、ここでようやく飲み物に口をつけた。友基は黙って彼女が先を続けるのを待っていた。

「まぁ、誰でも先生に憧れた経験くらいはあるかもしれないけど、私が人と違ったのは、憧れで終わらずに真剣に先生の恋人になるつもりでアタックし続けたこと。彼が職員室にいようが、他の生徒たちに囲まれていようが、お構いなしに話しかけに行ったし、プレゼントを渡しにいったり、お弁当を作っていったり、好き好きアピールも山ほどやった。アピールが激しくて時々先生を困らせてしまうこともあったけど、基本的には私に好意を向けられているのを喜んでくれているみたいだった。ただ、私が先生とつき合うためには、教師と生徒という身分の差以上に大きな問題があったの。そのときすでに先生には、結婚して丸1年になるパートナーがいたの」

響花はそのときの苦しみを思い出すように、唇を噛んだ。

「だから私はずっと先生を想いながらも、在学中は1度も告白することができなかった。どんなに一生懸命に自分の気持ちを伝えたところで、決して先生は応えてくれはしないってわかっていたから。何度かドライブに連れて行ってもらったり、食事をご馳走してもらったことはあるけど、それはデートとはとても言えない内容だった。だけどけっきょく、3年間の高校生活で想いが積もりに積もって耐えられなくなった私は、卒業式の日の晩に彼を近所の公園に呼び出して告白した。真剣にひとりの男性として、ずっと先生のことが好きだったって」

響花は堪えきれなくなり、あふれてくる涙をハンカチで拭った。友基は1度もコーヒーに口をつけることなく、じっと彼女の話に耳を傾けていた。

「もちろん、そのときは〝既婚者だからきみの気持ちには応えられない〟って言ってあっさり振られた。その日はひと晩中泣いたけど、私も春から大学生になるのをひと区切りにして、きっぱり先生への想いを断ち切って新しい恋愛を始めようと決意していたの。だから、振られてからわずか2週間後に先生から〝デートしないか〟って電話がかかってきたときは、本当に驚いたわ」

「ちょっと待って、どういうこと?」友基は堪えきれずに口を挟んだ。

「響花を振った張本人から、どうして〝デートしたい〟って誘いが来るわけ?」

「私も不審に思って、電話口ですぐに問いただした。先生が言うには、奥さんと仲がよかったのは結婚して最初の1,2年だけで、最近ではすっかりふたりの関係は冷めきっていて一切一緒に食事もとらないくらいだって。毎日喧嘩ばかりしてイライラしてるって言ってた。〝近いうちに妻とは離婚するつもりだ。そうなったら響花、俺とつき合ってもらえないか?〟彼は私をディナーに呼び出すと、そう告白した。それから私は、奥さんのいない時間帯を狙って頻繁に先生の家に泊まりに行くようになった。彼の奥さんは夜勤の多い看護師さんだから、不在のタイミングはいくらでも狙うことができたの。自分がやってるのが不倫だっていう自覚はあったけど、先生のことを愛していたし、いずれは先生は奥さんと離婚して私と結婚してくれるって信じてたから…」

響花の涙は、身体中の水分を排出するかのようにさらに勢いを増し、ほとんど嗚咽の域に差し掛かっていた。友基は彼女には触れずに、コーヒーを飲みながらじっと落ち着いて話し出すのを待った。

「でも、その約束はウソだった。彼は本心ではまったく奥さんと別れる気がないばかりか、よりにもよって私以外の女性も家に呼んで不倫してたの。私はたまたま彼の家に忘れ物を取りに行ったときにその女性と鉢合わせになって、事実がすべて露呈したの。先生は必死に言い訳してきたけど、私との関係が単なる遊びだったのは明らかだった。私は泣き叫びながら彼の股間を蹴り飛ばして、悶える彼に散々罵声を浴びせかけた。それ以来もう彼とは連絡を取ってない」

響花は泣きながら、感情の込もっていない笑顔を向けてきた。

「人生で1番愛していた人を失った悲しみと、裏切られたショックで心がボロボロなの。私はもう生きてはいけないわ」

「つらいのはわかるけど、死んじゃダメだよ。これを乗り越えたら、響花ならまた素敵な男性に出会って幸せになれるはず。一時の感情で投げやりになるな」

「でも……」

「わかった。今から俺が響花の言うこと何でも聞いてやる。どこへでも連れて行ってやるし、好きなもの何でも買ってやるから、頼むからもう死ぬとか言うな」

友基はぎゅっと響花の肩をつかんだ。

「本当に何でも言うこと聞いてくれるの?」

響花は泣き腫らした目をこすりながら言った。店員が何があったのかと好奇の視線を向けてくるが、ふたりとも気にする余裕はなかった。

「あぁ、約束する」友基はうなずいた。

「だったら、ひとつだけ行きたいところがあるの」

響花は言った。そうして彼が連れて来られたのは、同じ建物の3階にあるゲームセンターだった。平日の昼間ということもあり利用客はほとんどおらず、ゲームのにぎやかな効果音だけが空虚に鳴り響いている。響花は他のゲームには目もくれずにまっすぐにUFOキャッチャーのコーナーに歩いていくと、たくさんの動物たちに紛れて置かれている等身大の豆柴のぬいぐるみを指差して言った。

「前からずっとこのぬいぐるみ欲しかったんだけど、自分じゃどうやっても取れないの。友基くん、取ってくれる?」

「わかった。その代わり俺が取れたら本当に死ぬのはやめてくれよ」

友基はコインを投入すると、何度もぬいぐるみの位置を確認しながら慎重にアームを動かした。彼はUFOキャッチャーなど今まで2,3回しかしたことがないが、このゲームが得意な友だちに1度だけコツを教えてもらった経験がある。そのときの記憶を思い返しながら細かく位置を修正して、自分なりのベストポジションを探っていた。普段遊び感覚でゲームをプレイしているときとは比べ物にならない集中力が発揮されていた。

「今だっ!」友基は心の中で叫び、〝降下〟のボタンを押した。

アームがゆっくりと開き、豆柴の身体をがっしりとつかんだ。持つ上げるときに重みで足から落ちていくかと思ったが、どうにか堪えて見事景品口の方へと落下していった。何回かトライするつもりでいたが、まさか1回目で成功するとは予想していなかったので、友基は「やったー」と叫んでその場でガッツポーズをした。

「すごい! 友基くん、UFOキャッチャー上手なのね」

響花もさすがに興奮を隠せないようだった。彼女は景品口からぬいぐるみを取り出すと、感動した面持ちで豆柴の全身を色んな角度から眺めていた。

「本当にありがとう。ぬいぐるみ、大切にするね」

響花はそっと手を合わせて言った。少しだけ彼女が元気になったように見えて、友基は心から安堵した。そのあと太鼓の達人を数回プレイしたあと、ふたりは家路に着くことにした。そのころには、響花の顔にだいぶ血色が戻ってきていた。

心配だったので、駅で別れずに名谷の自宅マンションまで彼女を送り届けた。

「俺でよかったら夜中でも朝方でもいつでも話を聞くから、絶対に死ぬなよ」

友基がエントランスでしつこいくらいに念押しをすると、響花は呆れたように笑って、「もう死なないわよ」と言った。

「今日はつき合ってくれてありがとう。友基くんが同じサークルにいてくれて本当によかった」

響花は「バイバイ」と言って、マンションから去る友基に向かってぬいぐるみの前足をいつまでも振り続けていた。彼女は柔らかな笑みを顔に浮かべてさえいた。なので友基もとりあえず安心して帰宅の途につくことができた。

しかし、彼はそのとき家に帰るべきではなかった。友基が去った1時間後、響花は自宅マンションの屋上から飛び降り、短い18年の生涯に幕を閉じることになってしまった。彼女の遺体のそばには、血を浴びて真っ赤になった豆柴のぬいぐるみが一緒に転がっていたらしい。









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