新学期
入学式が終わり、とうとう待ちに待った高校生活が幕を開けた。無事入学できた新入生はこれで一安心してるかもしれない。あの最難関と謳われる災天高校の受験をようやく乗り越えて、トップクラスの勉学を学ぶ権利を獲得できたのだと。それに周りの人に自慢できるのだと。俺は、私は、災天高校生なのだと。
災天に限った話ではない。世の中には災天とまではいかなくとも、難関な高校というのはごろごろ存在するもので、それら高校の入学試験という名の学歴大戦を乗り越えたことを確信できた時の安息に、人は兜の緒を緩めずにはいられない。何なら甲冑全てを脱ぎ捨てて風呂に浸かってもいいレベルだ。実際、そのままとろけてもいいほどの勝利を収めた。学業を修めた。
しかし、その中で一部、兜の緒を締めるどころか、更に良い装備を見繕う者もいる。受験がなんだ、ここからが本当のスタートじゃないか、俺たちの戦いはこれからだ。そう緊張感を張り詰めさせている人もいる。「ふえーん勉強なんてもうこりごりだよー」とか、高校デビューなんてもってのほか。三年という期間を存分に利用し、更なる自分の力をつけるために、人生を豊かにするために、夢のために、油断している暇は無いのだと。超長期的な視点を持つ人もいる。
さて、聡憂不猿は一体どっちだろうか。中学校の担任に最底辺の高校を進学先として薦められてしまうくらい諦められたのにも関わらず、最高峰の高校に主席合格することができた男は、果たして鼻を伸ばしてドヤ顔で風呂にとろとろ溶けているのだろうか。それとも、このまぐれ入学をチャンスと捉え、これからの人生を有利に進めるために色んな勉強をしようと息巻いているのだろうか。
「ねぇ、好きな人に話しかけるって、まず何をすればいいと思う?」
ただただ、恋焦がれていた。
* * *
「え、ええっと、好きな人?」
「そうそう好きな人。俺気になる人がいるからここに来たんだけど、いざ来てみると、まず何て声をかければいいのか分からないんだよね、そこで君、ほら、彼女いるんじゃん? だからその恋愛マイスターな君のノウハウを教えてほしいんだよ」
災天高校に入学することが許された新入生は、選ばれたというよりは、自身の人生を選ぶ力を有する者たちであるので、それなりに賢い。だからワクワクと、意気揚々と不猿に尋ねられた佐々木修也は明らかに困惑していた。箸で持ち上げた卵焼きをそっと弁当箱に戻し、苦笑いをあははと返した。
(え、好きな人にアプローチ? このタイミングで? っていうかこの人主席だよな、なのに聞き違いかな、『気になる人がいるからここに来た』って言ってたような気がするんだけれど。『ここ』って、俺の席の前ってことで良いのか? まさか、『災天高校』に来た理由が『気になる人がいるから』ってことは、無いよな?)
主席という肩書の割に、行いが馬鹿すぎる。スタディサプリやeラーニングという勉強方法が存在する昨今、鉛筆だけでこの最難関をトップ通過した人のセリフだとは、修也はどうしても思えなかった。いやそういう常識外れな勉強をしてきた人間だからこそ、理解の外側な行動をしていると解釈できなくもないのだが、しかし理解の外過ぎる。災天は勉強やスポーツの成績を修めることができれば基本アルバイト良しで髪染め良しな校風で、入学が決まってから即座に茶色に染めたパーマの髪を、修也は無意識にいじくった。返す言葉が見当たらなかったから。
「ねぇ聞いてよ! 彼女いるんだよね、確か井ノ上蒲公英さんだっけ、どうやってあんなかわいい人に好きになってもらったのさ、俺は君のその恋愛術を知りたいんだよ!」
面食らってだんまりするしかなかった修也を、純真無垢な目で食い入るように不猿は見つめた。その真剣なまなざしは、まるで戦を前に万全の準備を整えようとする、燃え上がる男の目そのものだった。修也がそう感じたのには理由がある。あるものに似ていたのだ。
そう、それは受験前の修也の目。中学時代では同じクラスの蒲公英の方が要領が良くて頭も良かった。だが少し抜けている部分があり、それが男子にとても人気だった。だから修也は好きになったし、その女の子に好きになってもらうためならば、どんな努力も惜しまなかった。そしてアプローチをしまくり、彼女に認めてもらうことができたのだ。
そんな修也が蒲公英の家に遊びに行った時の事。蒲公英の父がとても娘大好きな父親で、出会いがしらにこう言われた。
「蒲公英に相応しいのは、蒲公英を守れる者だけだ。蒲公英は災天高校を目指している。足を引っ張るなら今すぐ帰れ」
修也は緊張で氷漬けになった。そんな冷たい俺を蒲公英は「大丈夫だってお父さんいつもこんなんだから、それに災天でなくとも少し低いところでもいいし」と緊張を溶かすように気遣ってくれた。その蒲公英を見て、修也は察した。これが足を引っ張るということなのだと。自分の実力がないばっかりに、蒲公英の人生を、悪い方向に歪ませようとしている。それに気づいた時、修也の心は燃え上がった。その日から毎日鏡を見て呟いていたのだ。「蒲公英を守れる、強い俺になるんだ」と。その情熱があったから、今の修也がここにいる。
今目の前にいる男の目は、その時の目にそっくりだと修也は思った。そんな彼が頑張ろうとしているんだ。こんなに真っすぐに。だから、受験時に尽きた炎を再び燃え上がらせた。その火が彼のためになるのなら。
「オッケー、入学式の時はただのガリ勉野郎だと思ってたけど、漢じゃねーか、いいぜ、付き合ってやるよ」
「本当!? ありがとう!」
こうして不猿は、理解者を獲得したのだった。