馬鹿野郎と天才姉貴
「ってことがあったから、災天高校入学のために勉強を見てほしいんだけど、いいかな?」
「はっはっは! 勉強ってのぁ0歳でも99歳でもすべきだから教えるのはやぶさかでもない。しかしお姉ちゃんとしてお前の覚悟に一言言わしてもらうと、合格はほぼ無理だと思うぜ! 色んな意味で!」
不猿の決断を気持ちのいい笑顔で一蹴したのは、彼の1つ年上の姉、聡憂優。災天高校の現一年生である。学校指定の紺色をベースとした冬用セーラー服を着用し、その上から燃え上がる深紅のエプロンを着用している。腰に結ばれたエプロンのリボンは、さながらプロミネンスのようだった。
そんな優は、今晩の出来内家の夕食であるカレーライスを二人分配膳した。料理用に束ねていたポニーテールをほどくと、不猿が電車で見た女子中学生に負けず劣らずの綺麗な長髪が翻った。そして不猿に向かい合うようテーブルにつき、手を合わせて「いただきます」とあいさつする。これらの所作がとても丁寧で無駄のない動きなため、優がおしとやかで華を愛でるような慎ましい女の子に見えるかもしれない。が、第一声から分かるように、彼女の性格は嵐をも笑い飛ばすものだった。
「姉貴も行けたんなら、俺も行けるかもしれないだろうが! 何で無理なんて言うんだよ」
「おいおい無理とは言ってないだろ、ほぼ無理って言ったんだ。私にかかればお前の学力くらいガンガン上げられらぁ!」
と、男らしい胸にポンと右の拳をたたく。その手には真っ白な手袋が着用されていた。彼女の両手袋はかつて事故に遭った時の怪我を隠すものらしいのだが、そんな過去は既に乗り越えた過去でしかないと言わんばかりの頼もしさが、優の立ち居振る舞いはあった。
「だがそれ以前にストーカーは良くないだろ普通にキモイぞ」
笑顔を一瞬で真顔に戻したと思ったら、右手の人差し指を不猿に指し断言する。流石に自覚があったのか、うぐっと、まるで刺された指の先から弾丸が放たれたように呼吸が一瞬停止した。そしてなんとか釈明しようと言葉を探し、思いつく限り陳列させる。
「ほ、ほらあの、それくらい好きになったってことだよ、愛は止められないんだって、ほら、俺って世界の中心だからさ」
「いくら地球が丸いからって自分を中心だと断言するとは大きく出たもんだ、ちゅーしたいくらいだ。だがそれは本当の愛なのか? その場限りの気持ちでしかないんじゃないのか?」
「何を!? 今回の俺は本気の本気だ! 超が百億兆個あるくらい本気だ!」
不猿は自身の一目ぼれを軽んじられたと思ったのか、スプーンを置いて顔をムスっと縮こまらせた。
「そうか! そりゃ超本気ってこったな」
優はそんな不猿を軽やかに笑ってあしらうと、スプーンを置いてギロっと笑い、不猿に向き直った。
「好きな女のケツを追いたい大いに結構。だがそのためには相応の代償を支払う覚悟が必要だ。やれんだな?」
薄暗い優の試すような笑みを見て、不猿も負けじと笑い返して見せた。
「おうよ! やってやらぁ!」
「流石は私の弟だ! 泣きべそ弱音は今のうちに吐いとけよ! 出したい時に出ねぇようにな」
「姉貴はいつまで俺を弱虫扱いするんだよ。俺はもう今までの俺じゃねーんだ!」
と、不猿の息巻いている様子を優は温かい目で見ていたのだが、彼女はそこで少し違和感を覚えた。確かにいつも馬鹿でアホな弟はこうして無駄な虚勢を張ったりしては返り討ちに遭うような人生を送ってきた。その都度ひょっこりと立ち直っている不猿だったのだが、今日の様子はいつもと具合が違う。「今までの俺じゃない」とは、どういう意味なのか。
その優の違和感はすぐに判明した。さっきまで温かかった彼女の目が一気に冷え込む。そんな優の様子など知る由もない不猿は、自慢げに自身の右手の甲を見せるのだった。
正確には、その手の甲にできた、星形の痣を。