第180話 家族 3 親の心、子知らず
「皆の事も聞いているわ。さぁ、入って……」
「ぁ……うん」
なにはともあれ、玄関先でボケっと立っていても仕方ない。女性はドアを大きく開けて、一行を招き入れる。
先頭のリリーナが静かにノロノロと歩いていくので、後ろに続く皆も同様に静かにゆっくりとだ。若干の気まずさがある。
一瞬でしんみりとしたこの空気の中で元気良く挨拶するのもなんだか憚れるので、どうしたものかと考えさせられているらしい。
やはりと言うべきか、リアーネからの手紙で全員の事を知ってくれているお陰で多少は気が楽ではあるけれど。
「あぁしまった、お茶くらいしか出せないのにカップさえ足りない……どうしましょうか……」
全員が部屋に入った後、女性はキッチンへ行き呟く。夫婦だけで生活しているからか、急に何人も来ては対応出来ないのだろう。
それには皆も、お構いなくとしか言えなかった。唐突に押し掛けたのはこっちだし、気を遣わせる為に同行した訳では無いのだから。
「やぁ、どうも。狭いけれど出来るだけ寛いでくれ。――あぁ、私はラルフ。そして妻のリリアンだ」
「あ、私ったらちゃんと挨拶もせずに……ごめんなさい」
そして父親も挨拶をする。リリーナを柔らかい表情で見るのは同じだが、言いたい事は一旦抑えてまずは皆への挨拶をと意識を切り替えたようだ。
逆に母親の方は感極まっているのか、何を言おうか何をしようか、判断さえも上手く出来ない状態らしい。
しかしそれも仕方ないだろう。
娘だけでなく、新しく家族となったらしい少女と精霊と話したい事は沢山ある。何故だか危険な旅に出た事にも、叱りはせずとも言いたい事はある。勿論同行しているセシリア達に対しても。
とにかく話したい事だらけなのに、7年振りに会えた娘を目にしただけで一杯一杯になってしまっているのだ。その様子だけでも、離れてもちゃんと子を愛しているのだと見て取れる。
ひとまず無言のままのリリーナは置いて、一行も簡単な自己紹介を返した。
その挨拶をしている間に、皆は気付いた。当然リリーナも、何処か呆然としていたがしっかりと気付いた。
この部屋があまりにも質素な事に。そしてその理由に。
入ってすぐの小さなリビングとキッチン。風呂トイレは別として、1つしかない寝室のドア。必要最低限の家具。
寝室の中は見れないが、文字通りなんの飾り気も無い部屋――いや、唯一テーブルの上には昔の家族写真のみ。
あとは精々、仕事に関わる道具や書類等が部屋の隅に積まれているだけだ。
そして仕事用とは別だろう部屋着扱いの着古した服。国の運営に関わる偉大な人物が暮らしているとは到底見えなかった。
リリーナの家は裕福と言っていい。元よりお金に悩んだ事は無かったし、両親が出て行ってもそれは変わらなかった。
何故なら両親からの仕送りがあったから。それについては皆の知る所だったが、具体的な金額はリアーネしか知らない事だった。
しかしこの部屋を見て理解出来てしまった。彼らは人一倍ある筈の収入の殆どを、子供達へ送っていたのだ。それがせめてもの出来る事だと言わんばかりに。
自分達は極最低限の生活でいいから、残してきてしまった子供達へ充分過ぎるお金を。
そんな想いを全員があっという間に察してしまった。
故に尚更、誰もリリーナを差し置いて口を開く事が出来ずにいた。
そして流石親子なのか、3人は何も言えず見つめ合うだけだ。きっと心の中ではあらゆる言葉が渦巻いているだろうに。
一体何分経ったのか……もしかしたら数十秒程度だったかもしれない。
ようやく、リリーナは声を出す事が出来た。
「ごめんなさいっ!」
眼をギュッと瞑り俯いて、ただ一言。
何に対してかなんて本人でさえも分からなかった。
当時少なからず恨んでしまった事なのか。今まで手紙でも関わろうとせず逃げ続けた事なのか。
両親がこんな生活をしてまで、自分達を想ってくれていたのだと考えもしなかった事なのか。
ともかく、散々グルグルと悩み続けた果てに口を衝いて出たのは、そんな謝罪の言葉だった。
「……どうしてあなたが謝る事があるの? 謝るのはこっち」
リリアンは心底、娘に謝らせてしまった事を悔いた。そんな事を言わせる前に口を開くべきだったと、悩むよりも動けと自分に言い聞かせた。
だからこそ、彼女は娘を抱きしめようと近付き手を伸ばす。リリーナは拒絶しなかった。
「今までつらい思いをさせてしまって……本当にごめんなさい……」
優しく、柔らかく抱きしめて、声を震わせて伝える。1歩退いて見守る皆は、彼女の目元に光る物を見た。
「こうして会いに来てくれた事がどれだけ嬉しいか……」
親子の抱擁を受け入れてくれた事に安堵し、一際強く力を込めながら喜びを語る。
わだかまりを解消しているリアーネでさえ、お互いの生活から会う事は出来ていないのだ。
手紙のやり取りも拒絶している様子だったリリーナが会いに来てくれた嬉しさは、母にとっては言葉に出来ない程の物だった。
「つらいとか……そんな……私はただ、逃げてただけなの……」
リリーナも腕をゆっくり上げて抱擁を返し、今までの想いを伝える。
事実つらいと感じたのは最初だけだった。両親は両親の、自分達は自分達の道へ進んだだけだととっくに割り切っていた。両親を嫌いになりたくないから、それ以上は何も考えないようにしていた。
手紙が届いても読もうともしなかった。姉と妹に投げて、逃げ続けた。それを今、酷く後悔している。
「ごめんなさい……ちゃんと向き合わなきゃいけなかったのに……」
それ以上はどちらも一言も口に出さなかった。ただ抱き合うだけで、お互いの気持ちをしっかりと理解出来たから。
皆からは見えないが、リリーナも母と同じように泣いているのだと声で分かる。長い時を経て涙を流して抱き合う親子が、大切に想い合っていない訳が無い。
神妙に見守るラルフも、父としての想いはリリアンと同じだ。それでも今は自分の番では無いと見守る事に徹している。
見守るのは父だけではない。セシリアは笑顔で何故か達成感に満ちているし、セシルも安堵して微笑んでいる……きっとリアーネから相談を受けたりしていたのかもしれない。
そしてシアは、切なそうに……けれど嬉しそうに笑っていた。その目が潤んでいるのは、抱き着くように寄り添うルナだけが気付いた。




